1話 そこは争いのない理想郷

「お兄ちゃんはここまでだよ、ミナ。後は一人で頑張りなさい。」


「待っ……て……」

※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※

 

「……ミナ、ミナ!」


 聞き慣れた声に少女は目を覚ますと、兄のアルトが少女を覗き込んでいた。どうやら夢を見ていたようだ。夢の中では長く感じたが、起きてみるととても一瞬の出来事であった気もする。


「あっ……うっ……お兄ちゃん……?なんかすごい夢を見た気がする。すごくきれいで、すごく楽しくて、でもすごく怖かった。」

「そう、か。全く、昨日も夜遅くまでぼーっとしてるからきっと疲れたんだよ。駄目だろー?早く寝ないと。」

「ごめんなさい。」


 アルトはしばらく無言で家の掃除をこなすと、たまにちらちらと神妙な顔で彼女を眺めた。彼はいつもなら彼女を起こすとすぐに散歩へと誘うはずなのだが――。

 ――でも何故?今日ばかりは散歩どころか口数も少なく感じる。

 

「ミナ……本当に唐突で申し訳ないと思っているんだが、今から出発と言ったら、出来るか?」


 今日見た夢は、「正夢」というものだろうか。ミナがふと家の窓から丘を眺めると、

 

 ――夢の中と同じ風の匂いがする……

 近くに見える木々が風に靡いて静かに音を立てていた。

 

「出発とか準備って、散歩のこと?どこにいくの?」

「いや、散歩じゃない。今日向かうのは、あの丘の向こう側だ。」

「なん……で……?」

 

 本当は嬉しいはずだった。ずっと行ってみたかったから。でも――

 

 既視感デジャヴ、という言葉をミナはまだ覚えていなかった。でもその感覚を強く初めて現実として感じたのはこの瞬間だった。でもミナは断る理由もなかったのでいつものように兄の腕を掴んでこくりと頷いてしまった。


 


◆◇◇

 ――ミナとアルトの故郷、レイデヤ国最前線部隊

<第六部隊、後退しました。前線部隊はそのまま現状維持、支援が来るまで耐えてください。>

 戦場の悲鳴と銃声の中、トランシーバーが呻く。

「くっそ、なんて量だ!支援、支援はまだなのか!」


<支援部隊は敵の伏兵集団と交戦中。到着まで予定より一時間は遅れる見込みです。>

「一時間だと⁈俺達を見殺しにするつもりか!」

「仕方ない、それでも支援がくるまではこのクソったれな武器でなんとかするしかないんだから。」


 薄暗い茂みに隠れる兵士たちは、度重なる戦闘に疲労が溜まっていた。しかし彼らの後ろには家族が住む村がある。その緊張が常に彼らを締め付けていたのだ。そしてその前線は、ついにミナとアルトの住む国の端の村にまで及んでいた。


 しばらくすると、兵士の一人が敵の部隊の少佐らしき人物に見つかってしまった。少佐は戦場慣れしている様子でその兵士のいた方向を指で指し、合図をする。


「貴様ら伏兵の拠点はその茂みか!我が同志の無惨なる血の跡がそれを示している。死んで詫びるがいい!」


 敵国の少佐の声が緊迫した戦場に酷くなり響く。逃げ場なんてものは存在しない。茂みの兵士は玉砕の覚悟を決めていた。


「何発もずかずか敵を殺してるんだ。そら敵が気付かないはずもないよな……」


 一人の兵士がさっと目を移すと、そこには単独で茂みを掻き分け、こちらへと突進してくる敵の少佐がいた。場所が把握された伏兵達は驚き、逃げようと退路を模索していたが、既に少佐は兵達の在り方へと到着。伏兵達は壊滅、やがて血の匂いと共に静まり返った……




 

◇◇◆

――――4年前

 あの丘を越えた先には何があるの?


 昔、少女は幾度となく彼女の兄に尋ねていた。


「あの丘の向こうには、俺たちが求め続けた平和な世界があるんだよ。一面に建物が建ち並んで、水路の水が美味しいんだ。春になると桜が咲き響き、その中で銃声がなり響くこともない。」


 兄の話すその国は何もかもが綺麗で、まさに理想郷そのものだった。

 

「そんな国、なんで今から行かないの?」


「この国にもこの国なりのルールがあるんだよ。国を出入りするっていうのはそんな簡単な話じゃない。」


 兄はそういって少女の頭を優しく撫でた。

 

「それに俺、アルトはこの国の大佐だ。簡単に国を離れたりできやしないさ。」


「なら、どうやっていけばいいの?」

 

「いつか大人になったら、俺が連れてってやるさ。」


 ユートピア、美しい響きだった。幼い少女ミナの心にもこの言葉は彼女の頭に強く印象づけた。

……―――

 時は今に戻る

 

 夕暮れ、街は既に焼きこがれていた。少女は昔、この景色を見たことがある。街が焼きこがれ、彼女の親はかならず戻るとだけ口にしてその後二度と姿を見ることはなかった。


 当時兄は、少女に死という言葉を教えるにはあまりに幼く、残酷であると知っていた。いつか会えると、彼女を騙し続けたのだ。


「ミナ、今日は……引越しのチャンスだ。お兄ちゃんが道を開くから、ミナは丘を越えて隣の国へ向かうんだ。ずっと、走り続けるだけでいい。」


「道を……開く……?お兄ちゃんは一緒にいってくれないの?」


「途中までは一緒さ。そこを過ぎたら俺は一仕事あるからね、後で行く……ごめんね。でも、すぐに追いつくだろうさ。」


 アルトは昔から、無理をしているとき、頭を手で押さえる癖があった。アルトと共に外へと出ると、いつもの道には近所の人々が避難中と言わんばかり全力で走っていた。


「あそこの森は穴場だ!押し寄せる前に逃げろ!」

 

 アルトはその声にも耳を貸さず、ただひたすらにミナの手を取りながら丘へと進んでいった。悲鳴、人々の掛け声からは夢に見た「赤く、張り裂ける空気」に近しいものを感じる。

 

「ミナ」

 

 アルトは普段になく小さくて頼りない声で、そうミナに呼びかけた。その手は細かく震え、顔は彼の黒髪に隠れていた。悔しがっているのか、悲しんでいるのか、彼女には判別出来なかった。


「なに」


「いや、その……楽しむんだよ。アルカンテネスでの生活を。」


「お兄ちゃんがいれば、どこでも楽しいよ!」


「…………ついたぞ。ここで一旦俺は仕事に戻る。まっすぐ行くとすぐにシルバーさんが待っているだろう。」


 アルトはミナの言葉を無視し、普段より少し低めの声を出してそう告げると、ミナに軽くハグをした。

 

 ――頼むぞシルバー。国に縛られた俺の代わりにミナを、守ってくれ。俺は……お前の分まで戦うから。

 

「無事に辿り着くんだぞ。」


 作戦を離脱したと思われたくなかったのだろう、アルトはそう言うと、足早にミナの元を去っていった。


「…………あ、あの、お兄ちゃん!」

 

 ミナはアルトに返事をしようとしたが、その時にはアルトの後ろ姿はもう見えなくなっていた。

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