第5話§明星遥斗①§






学校にいたのはそれから15分ほどのこと。




僕は校舎こうしゃへと入り、下駄箱げたばこかい、自分のスニーカーからシューズへとえた。




その瞬間、両足の裏に何かに刺される痛みがともなった。僕はシューズを慌ててぎ、痛みの原因を探るようにその場に座り込み、足の裏を見ると、僕の両足には画鋲がびょうが刺さっており、僕はその瞬間もまた僕の心には拒否反応が顔をのぞかせて、僕は画鋲の針を抜く手をふるわせながらゆっくりとなるべく痛みのないように抜いていった。



足裏にはかすかな痛みがあり、教室まで行く足をまた玄関扉の前で立ち止まるように立ち止まり、立ちくす。




足が怖くて動かない。




教室で待っているのは僕の居場所とは程遠い、嘲笑と暴力による制裁せいさいだけだ。



そこには味方や正義のヒーローは存在しない。みんな僕を見せ物小屋の何かだと思っているんだ。じゃなきゃ、僕が暴力を振るわれた後にみんなが笑い出すことはしない。




僕は下駄箱の前に展示てんじされている折りおりがみ創作物そうさくぶつに挟まれている姿見すがたみのちょうど前方に立っていて、姿見は皮肉にも僕のおびえてる姿をうつし出す。


そして、姿見の横にひらいたペースがあり、そのペースの横に保健室がある。




つまり、今ここで保健室に逃げることも出来る。




視線の先にはそんな現実から逃げようと怯えてる僕が姿見でありのままを映していて、僕は見るにえないとひとみをギュッと強く閉じた。



教室に向かう前から僕はイジメという現実に怯えていて、時より足を動かせなくなる。



それは僕が止まった時間を生きていて、現実で行われる光景、それによる記憶により、僕の心は苦しいのとつらい気持ちをこの言葉のメッセージを誰かに受け入れてほしくて、誰かに理解してほしくて、でも、そんな存在は1人もいなくて、もしたとしても今度は畏れでけることも出来ず、きっと受け入れられないとはなから決めてしまう。


でも、現実が上手くいったとしても僕は臆病で勇気もないし、それらの強さもない。



───だから現状げんじょうは変わらない。




だから、見たくない現実にまぶたを閉じる。



見たくない記憶でさえも目をそむける。




僕の意識いしきが【逃げよう】と認識にんしきすると不思議ふしぎと足は動くようになる。まるで重いかせから解き放たれるみたいに。




動く僕の足の感覚を感じると保健室に歩を進めて行く。




その時───ズキンと両足の裏が痛んだ。





そして、その痛みが何かの化学反応かがくはんのうみたいに、僕の心とむすび、まぼろしみたいに記憶が心より再現さいげんされる。



瞳の奥底おくそこにスッと映し出されるあの日の記憶に。



あの頃の僕は11歳であねあかねは15歳。




僕はあの当時、かこむようにして野次やじばされていた。




それがなぜなのかはわからなかった。


ただ、具体的ぐたいてきな理由があるとするならば、僕に野次やじを飛ばす輪の主犯しゅはんの好きな女子が何気なにげなくその日、僕にボールペンをしてくれたことくらいで、その女子は隣の席だったから親切にしてくれた───



それだけのことだった。



でも、その主犯の大山金太おおやまきんたは何かを勘違かんちがいしたらしく、僕を仲間と共に取り囲み、輪の隊列たいれつを組み、ひたすら僕に心無い言葉をげかけ、それは次第に暴言ぼうげんとなり、次には肉体的な暴力へと変わった。



微かな雨雲あまぐもが小さなしずくを囁くみたいに辺りを濡らし、僕は金太のりがお腹に当たり、堪らず倒れた。



頬をポツポツと小さく打ちつける雨粒あまつぶに僕は目をほそめた。




金太は僕を見下みおろしてにやりといびつな微笑みを浮かべる。その仲間達も。




その時、思わぬ乱入者らんにゅうしゃが入ってくる。




金太は無言でき飛ばされ、それはどうやら乱入者のいきおいをつけた飛び膝蹴とびひざげりで、主犯のリーダーがやられるとその仲間はもろくも逃げて行く。





金太は苦々にがにがしい顔をして、かさを持つ乱入者。僕の姉、あかねを見つめて、「今日は腹の調子が悪い」となかしみにも近い発言をして去って行った。




きっと、金太は女子に負けたことを認められないのだろう。




茜は起き上がる僕に向けて傘を差す。そして、僕に聞いた。




「なんで立ち向かわないの遥斗?」




僕は起き上がり、雨に濡れた服をしぼるようにして茜の質問に答える。




「あいつら、5人いたんだよ。勝てるわけないじゃん。それに金太くんは身体がでかくて強いんだ。僕じゃ無理だよ」




茜はポケットからハンカチを取り出し、僕の当時、小さくてガラスのようにもろい身体のいたるところの雨粒をきながら、


「ならなんで私は金太くんに勝てたの?私は女子だよ。金太くんより身体も小さい」


と言うと茜は僕をいたわるように僕の両手を軽く、それでいて繊細せんさいに、まるでこわれないように気をくばるような何か大切な物を包むように両手で包み、僕を真っ直ぐ見て微笑み「うん」と頷き、言った。




「時には立ち向かう勇気も必要なんだよ」




と茜は僕の濡れた頭をハンカチで拭いた。僕は茜に答えた。純粋な感想だった。




「もしも、僕が強くなって立ち向かって勝てたとしても金太くん達は今の僕と同じ思いをしなきゃいけないんだよ?僕は誰かに同じ思いをさせたくない。



だって苦しいもん」



茜は僕の純粋な言葉を聞いて、その瞬間、僕の身体をギュッと包んだ。




「その優しさはズルいよ、遥斗」




なぜか茜は泣いていた。空も雨粒の勢いを、その装いを激しくしていく。




相合傘あいあいがさで茜と僕は帰った。




茜は帰りの道中どうちゅうに濡れる街々をながめて隣にいる僕に向けて、「でも、良かった。私さ、あんまり時間取れないでしょ?でも、今日にかぎって遥斗、帰ってくるのが遅いからむかえに行って正解」と言い、茜はクスッと笑う。




そして─────「ねえ、遥斗。


【立ち向かう】のは【やり返す】ことじゃない。それに【勝ち負け】でもない。


それと【強さ】でもない。【暴力に抗う意思】と【言葉でわかり合おうとする意思】だよ」




茜は人差し指を立てて、うんうんと自身の言った言葉で頷く。




唐突に茜は言う。




「きっと、遥斗は立ち向かう勇気があるのに、ただそれに気づいていないだけ」




そんな茜の言葉に「そーかなー」と半信半疑はんしんはんぎな僕。




「そう。だから、だからだよ。遥斗は大丈夫なんだよ」───────


 


フッと現実に戻る。


保健室に歩を進める足はきびすを返かえして、嘲笑と暴力が僕に向けられる教室へと向かう。




ただ、僕はまた歩を進めるたびに震えていた。



茜の言っていた言葉が僕を突き動かした。



毎日続く学校生活の中で、僕にとって茜との記憶が大切で、今は亡き男勝おとこまさりな姉の言葉を信じて突き進む。


それは亡くなった姉との記憶を否定ひていしたくなかったからだ。




1年A組のクラスは授業中にも関わらずにぎわっている声が聞こえた。



僕は教室の戸との前に立ち、嘲笑と暴力の待つ戸を開けた。


顔がひきつりそうで身体全身は頭から足先まで震えていて、すごくこわい。




僕の姿が教室に現れると教師と生徒の男子と女子は一斉いっせいに僕を無言で見ると、教師は僕から目を背そむけ、何事もなかったかのように授業を続ける。




男子と女子は僕を見て、小声で「逃げたわけじゃなかったんだ」とか「今日も顔がひきつってる、キモいよね」とか「来なければいいのに」とか「よく来れるよね、あれだけやられたのに」と言った言葉をわざと聞こえるように囁き、僕が席につくと隣の女子はまるで僕を汚いものが来たみたいにつくえを遠ざけて、心底嫌悪しんそこけんおするものを見るみたいな目で僕を見る。



僕の机には死ねや消えろが書かれていて、僕は必死ひっし平常心へいじょうしんを保たもとうとかばんから教科書とノートと筆記用具ひっきようぐを出して、いざ、授業に集中しようとすると、紙飛行機かみひこうきが僕の前を飛び、僕の足元あしもとに落ちた。




僕はそれをひろった。


どうやら何か書かれているらしく、僕は紙飛行機を開く。そこには一列の短文が書かれていた。






──────お前が死んでも誰も悲しまない。




僕は紙を持つ手が震えてしまい、隣の女子はそれを見て「キモい」と言い、授業中にもかかわらず立ち上がり、僕から逃げる。



教師はそれを見ているのに自分の業務ぎょうむである授業をまっとうしている。



僕はうつ向いて、歯をしばった。


苦しい。



心が痛い。



でも、ここで逃げたなら、姉の綺麗事きれいごとの言葉を否定してしまう。


そして、かつての自分の純粋な言葉もすべて否定してしまう。




だから僕は逃げたくない。


すると背中に頭に小さな痛みがにぶく当てられる。



僕の後ろのせきの男子と女子が消しゴムをちぎって投げて笑っていた。






僕は消えたい───お姉ちゃん、ごめん。




僕はお姉ちゃんの言葉を否定してしまう。






机にひたいをつけて、絶え間なくあふれる大粒おおつぶの涙。



どんなに我慢がまんしてもあふれてくる涙と強くえる感情に僕は知らぬに歯を大きくめた。




苦しい……



痛い…。





お姉ちゃん────



なんでお姉ちゃんは自殺したの?




僕はお姉ちゃんが大好きだった。




なのに……



なのに…



なんで自殺したの?


お姉ちゃんが亡くなってから大好きな父さんが自殺した───



それから大好き母さんもあとを追いかけるように僕を残して自殺した。




僕はひとりぼっちになった………。



だけど……




何度も─




何度も───




そっちに行こうとしたんだ。




でも───


僕は臆病で勇気がないからお姉ちゃんと父さんと母さんがいるそっちへ行けなくて────




だから、大切な記憶を思い返して、温かくてその優しい家族での思い出にひたるんだ。




でも、戻れない記憶を見ているとすごくまぶしくて……



それを見ていると瞳から涙が溢れて…



どんなに泣いてもこの瞳に溢れる涙はれてくれなくて………。




心がいつも痛くて。すごく痛くて。



苦しくて。



辛くて。



消えたくて───



だから…願うんだ。




もしも───


神様がいて願いを叶えてくれるなら、僕はまた家族で一緒にいたい。



お姉ちゃんがいて……父さんと母さんがいて…



ある日、家に帰ると「おかえり」って…



叶わないのは知ってる───




だけど…願ってしまうんだ。






行き場のない僕の願いは大切な記憶で忘れたくない言のことのはで。


家族を夢見て残酷ざんこくな現実を生きるための僕の心の真ん中にあるしんで、御守り《おまもり》のようで。


それは絶対にげたくない気持ちで───




だから──




僕はお姉ちゃんを否定したくないんだ。




父さんも母さんも否定したくないんだ。





だから逃げたくないんだ──────





横から蹴りが飛び、僕の脇腹わきばらを強く打ち、僕は椅子いすごと倒れ、白いリノリウムのゆかに頭をぶつけた。すると、男子と女子は一斉に笑い出して喝采かっさいする。



教師はそれを見ていながらも事務的に授業を続ける。



僕はリノリウムの床に手をつけて、それが次第にこぶしにぎる。




前髪が倒れた拍子ひょうし目元めもとを隠しているが、涙はリノリウムの床をらし、僕は歯を食い縛り、この嘲笑と暴力にこらえようとした。




お姉ちゃんのかつての言葉はイジメられて、その現実からのがれられない人からすれば残酷だ。




でも、その現実がわかっていながらもお姉ちゃんの言葉を否定したくない。




授業が終わると教師は何事なにごともないとでもいうみたいに平凡へいぼんな表情で教室から退室たいしつした。




すると大山金太と合わせて5人が倒れて微かにすすり泣く声を力一杯ちからいっぱい結んだ唇から漏れ出さないように堪えている僕のその姿を見下ろし、金太は僕の頭に右足を押しつけた。



そしてまた教室中がドッと笑いに包まれる。



金太は右足に力を込めてぐりぐりと僕のこめかみを痛ぶるみたいに、そのさまを楽しそうに眺めて僕に向けて言った。





「お前って、家族含ふくめて弱いよな。


お前の姉ちゃんは自殺。お前の父親も自殺。お前の母親も自殺。



お前も自殺しないの?」



と、言いへへへと笑う金太。僕はその言葉に、この暴力に、この嘲笑に、それに対して何も出来ない。



あらがう勇気も立ち向かう強さもない。あきらめてるんだ。


この状況じょうきょうでお姉ちゃんの言っていた【言葉でわかり合おう】とする意思は無意味むいみであり、この嘲笑と暴力を長引ながびかせる行為こういなんだ。


でも、原因は僕にあるのかもしれない。



だって…





僕は臆病だから───




もう…イヤだ。もう終わらせよう。



金太が足を退けるとしばらく金太の仲間達が僕の頭以外の身体の部分を蹴り、それが終わるのを待った。




もう肉体的に痛くない。



ただ…ただ……心が痛い。




姉と両親のことを残酷な形で言われ、僕は『立ち向かっても敵わない』と心のどこかで思い、結局は姉の言葉を否定した。


そして、どれだけ残酷な言われ方をしても言い返すことも出来ず、父さんと母さんまでけなされても僕は無力むりょくにも何も出来ない。


僕はもう『終わらせる』としか考えてない。自分のことしか考えてない。




ようやく蹴りが終わると次の数学の教師が現れ、その現状を見ているのにも関わらず、まるで僕が見えないように授業を始める数学の教師。



金太はまた一蹴ひとけり僕にくわえるとつばを僕の顔に吐きかけて、自分の席へと戻った。




僕は椅子から倒れた時に頭を打ちつけて、どうやらタンコブが出来たみたいだ。それ以外の部位は強く蹴られたから身体中がきしむような痛みをともった。




ヨロヨロと立ち上がり、ほおについている金太のつばぬぐい、僕は鞄から出した筆記用具と教科書とノートをしまい、その場から結局けっきょくは逃げた。



僕は姉のあの時の言葉を否定するみたいに「どうせ…」と不意ふいに心で思う。




───どうせこの現実は変わらない。




僕は下駄箱でシューズからスニーカーに履き替えると前のめりに崩れて、今度は歯を食い縛るのをやめて、我慢せずに込み上げる感情のありのままに心をゆだねて溢れる涙とかすれた声を上げて泣いた。




そして───「消えたい」とせつに願う。




終わらせる勇気がないのに、終わらせようと考えたら気持ちが楽になる。



逃げようと考えたら気持ちが楽になる。



立ち向かおうと勇気を振り絞ったら現実は僕をイジメへといざない、嘲笑と暴力が僕を苦しめる。



亡くなった家族のことを言われて何も言えない自分が嫌いで、言葉の一つ一つに心が痛む。



…………僕は…最低だ……。




外へと出ると雪が降りわずかにもっていた。


白く塗られていく、このゆらゆらと降る涙の結晶が白くアスファルトの大地を冷たい白銀はくぎんへと変えていく。




僕は歩を一歩進めた。すると、「遥斗くん」と誰かが僕の後ろで呼び止めた。



振り向いた僕の目に映るその先には保健室の担当教諭、田幡真白たはたましろ先生が心配や不安をはらんだみたいな表情を浮かべて吐く息を白くさせる。



真白先生は「いつもいつも、あの教室で何が行われているの?」と優しく小さな子供に聞くみたいに僕に問いかける。



でも、僕は真白先生のその言葉に皮肉を感じた。



先生達は教室で行われる嘲笑と暴力を見てみぬふりしてきたじゃないか。




何を今さらになって聞くんだろう。



知らないふりするなよ。



お前ら教師達、全てが僕から見れば同罪なんだ。




ゆらゆらと降る雪の中で、僕の時間は無言という形で止まり、「遥斗くん、教えて。何を苦しんでいるの?」と真白先生の声でまた時間が動き出す。



僕は真白先生に振り向くのをやめて、真白先生が口から出す言の葉を受け取れず、いや、受け入れることが出来ず、心の中で「僕は言葉なんていらない。言葉はいつも僕を傷つける。言葉はいつも、僕を、僕自身を受け入れることなく、最終的に僕の気持ちを、僕の心を置き去りにする。誰かと言葉を交わして、支えてくれたり、助けてくれたり、救ってくれたり、そんな言葉は僕からいつも遠ざかり、まるで逃げていくんだ。



でも───言葉が怖くて逃げているのは僕も同じなんだ────」




真白先生の言葉の一つ一つを無視して僕はゆっくり校舎の外へと出た。




少し、少しづつ、雪は勢いを強め、僕の身体中を冷たく包んだ。




僕の足はこれからどこへ向かうのだろう。



その彼方かなた、先の未来──僕が、僕自身の身体や心が、まるで苦痛を伴うこともないような形で、まるで今まで僕がこの世界に存在しないみたいに、そんな形で──


どうか消えていますように──────




§





















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