第4話§明星遥斗①§



§明星遥斗みょうじょうはると①§





目覚めると泣いていた。




いくつものつらなる記憶の中で、僕はあの当時の幸せな記憶を無意識むいしきに選んで、いつもそう、夢による幸福の再現さいげんをループしている。



涙を拭うと、僕の日常はいつも通りの繰り返しだった。



起き上がって、窓辺のほころぶ明かりをはなつ。カーテンを広げると朝陽あさひが僕の姿に影を落とすと同時に温もりを与えてくれる。




この日々、傷つき、んでいく心はどこへ向かうだろう。




行き場のないこの心の言のことのははどこへ気持ちを伝えるのだろう。




洗面所で鏡と向き合いながら歯をみがく。丁寧ていねいに磨いて、真水で洗い流した後、顔を洗う。そして、真新しいタオルで顔をぬぐう。やはり冬のこの季節は顔を洗うのは苦行くぎょうだ。



そのままの流れでいつも通りに自室で制服に着替えて、ネクタイを結び、ブレザー姿になり、リビングへと向かう。




「おはよう、遥斗くん」



義理ぎりの姉のこよみが僕の姿を見るとパッと花が咲いたような明るい表情を浮かべる。僕は暦に対して、「おはよう」と無理に笑顔をつくろうと叔母おばさんにも「おはよう」と言い、食卓しょくたくについた。



叔母さんは暦に対して「暦、あんた遅刻しないでよ。せっかく仕事を見つけられたんだから」とすでに先に食事をとっている暦を嗜めるように言い、僕が座る席に目玉焼きとみそ汁と茶碗ちゃわんられたご飯を置いた。




暦は「はーい。わかっていますよ。なんたって私は新任しんにんの教師なんだから遅れるわけないじゃん!」と胸を張る。




僕は暦の教師らしくない性格を眺めながら目玉焼きの隣にあるウィンナーにはしをつける。すると叔母さんは暦に対して、「遥斗くんを見習って欲しいわ。私がもし、暦の生徒なら遥斗くんみたいな真面目で可愛い先生がいいって言うわね」


そんな叔母さんの発言に暦は言い返す。




「遥斗くんは確かに真面目だし、可愛い。けど、年が足りないもんねー。遥斗くん?」




僕は頷く。いや、頷くしかないのだ。




この親子の会話は毎回、朝から小さなコントを始める。しかし、今まで暦は赴任する学校が見つからず、オンラインゲームをしていた日々。


改めて教師になる暦と叔母さんは変わらず小さなコントを朝から毎日恒例こうれい行事ぎょうじのように繰り返す。




つまり、何が言いたいかと言うとリアクションに困るのだ。




暦が叔母さんと小さなコントをしている間に僕は食事を終えて、「ごちそうさま」と手を合わせる。


叔母さんは僕の顔を覗き見て、これも毎回だが、「美味しかった?」と聞いてくる。


もちろん、僕は「うん、美味しかったよ」とまた無理に微笑みを繕う。すると叔母さんは心底しんそこ嬉しいというふうに顔を綻ばせる。




暦は黒と灰色の小さな縞模様しまもようのスーツを整え、バッグを持って、「んじゃ、私は行って来るね、遥斗くん」と僕の肩に手を置いて、玄関に向かう。


その去り際に「あ、ついでにお母さんも!」と暦が言うと、叔母さんは「私は雑誌の付録ふろくか何かかい!」と、言い返す。




もはや、朝から僕は何を見せられているのだろう。



と───


立ち上がると「僕も行ってくるね、叔母さん」と言ったところで、テレビのアナウンサーが皆既日食かいきにっしょく皆既月食かいきげっしょくの2度の奇跡が起きると、特集とくしゅうを組んでいて、僕の足は一瞬の一間ひとま、立ち止まる。



コメンテーターの話がはさまれ、「これは日本古来こらいによる奇跡きせきが起きるわけですから──」と、力説りきせつしている話を食い入るように見る。



完全に僕の時間は止まり、なぜだかそれが重要なことに思えた。




ポン。




僕の止まった時間を動かしたのは叔母さんの両手だった。僕の両肩に手を置いて、「学校、頑張ってね。遥斗くん」と言われ、叔母さんは僕の頭をでた。




僕は我に帰り、玄関でスニーカーをいて「行って来ます」とまた無理な笑顔を繕い、見送る叔母さんに手をった。





微笑ましい叔母さんの姿が玄関扉を閉めて、見えなくなると僕は吐息といきをつく。




これまで作ってきた表情がまるで色を無くしたように、そこに影が色を落とし、くすんだ気持ちにさせる。



もう、ひょっとしたら心はくさっているのかもしれない。



玄関前で立ち止まる僕はまぶしすぎる太陽の陽射しを浴びて、この後、歩を進めて学校へと向かわなければならない。



でも、それを考えたら怖くて一歩を踏み出せない。



僕は重い足取りで下を向きながら歩いた。




学校へ行くと何が僕を待っているのか───




それを考えたら身体全身からだぜんしん拒否反応きょひはんのうを起こしてしまい、とにかく怖くて、手に汗が出て、僕の身体をつつむような粘着質ねんちゃくしつにも似た嘲笑ちょうしょう暴力ぼうりょくが待っている。



だから、いつも、玄関扉げんかんとびらを締めると一時ひとときあいだは立ち止まってしまう。



その時の僕の記憶の中には不安やおそれがあり、毎日、鮮明せんめいに映し出される嘲笑と暴力の光景は変わることなく、現実で行われ、それをいつどこで思い出そうとも、僕は毎日の学校での記憶に拘束こうそくされて苦しくて、辛くて、逃げたくて、そしてまた、どうせならこの瞬間に消えたいとさえ思う。




僕はその事を誰にも打ち明けられない。


いや、打ち明けたところで、どうせ現実や事実は変わらない。



学校が近づくにつれて、息が荒くなり、視界がにじんだ。




学校での記憶の出来事が今日もおこなわれると思うと胸に圧迫感あっぱくかんがあり、頭がおかしくなりそうだ。




とにかく今、僕は息苦しい。




毎回そうだ。学校へ行こうとすると僕はこの発作ほっさに見まわれる。



足が手が痙攣けいれんし出す。



僕はたまらず、この状態を止めるために学校から近い、神明神社しんめいじんじゃへと向かい、なんとかしどろもどろな足どりで鳥居とりいをくぐり、神社の石段いしだんに寄りかかり、その場でくずれて胸を両手でおさえる。




心臓の鼓動が激しく高鳴り、それと呼応こおうするように学校での日常の記憶が僕を苦しめる。



息遣いきづかいは激しくなり、僕を嘲笑する声と暴力を受けた時の気持ちが頭と胸に、そして身体全身を駆け巡るように僕をむしばむ。



まぶたを閉じていた。



多分、瞬間的に瞼を閉じたのだと思う。




僕は臆病だ。




わかっている。




その臆病さが僕を学校でのイジメの対象にさせたのだろう。




立ち向かう勇気があれば変わるかもしれない。いや、変わらないかもしれない。でも、立ち向かう勇気もないし、強さもない。



それにこの悩みを打ち明けられる人もいないし、打ち明ける勇気もない。



毎日、叔母さんや暦は気遣きづかってくれてると思う。【家族】を失った僕を引き取り、優しくむかえてくれて、優しく声をかけてくれる。




それでも僕は学校に行く勇気がなくて、毎日を玄関扉を閉めた途端とたんに息を吐いて、『消えたい』と思ってしまうんだ。




僕は臆病だ。




僕は弱い。




僕は毎日が辛い。



毎日が苦しくてたまらない。




この発作もきっと臆病で現実に立ち向かえない僕に与えられた【罰】なんだ。




苦痛で石段にもたれている僕の肩を不意にトントンと軽く誰かが叩いた。僕は苦痛の中で瞼をゆっくりと開けた。



目の前には手水舎てみずやきよめられた水に満たされた柄杓ひしゃくがあり、それを飲むようにうながしている1人の少女の姿があった。




少女は苦しむ僕を真っ直ぐにんだ瞳で見つめるとおだやかに、そして、それとなく安心させるような声音で柄杓の取っとってを持って言う。




「ゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐いて、またゆっくり息を吸って、また息をゆっくりと吐くの。



落ち着いたら、この水を飲んで」




僕は少女に言われた通りにする。


荒い息遣いから少女の言う通りにゆっくりと吸って、吐いてを繰り返す。


すると僕の身体のいたるところの不具合ふぐあいが良くなるのを感じた。



かすんだ視界しかいも少女の実態じったいうかがうことが出来た。



僕は柄杓の満たされた手水舎の清められた水を口にふくんで、口内の乾燥と喉のかわきをうるおした。




「あり…がとう」




僕は起き上がろうと身を上げようとした。


少女はそんな僕の行動にあわてて、「まだ、動いたらだめ」と言い、僕の行動を小さな手で僕の肩に手を置いて止める。




僕はそこであらためて少女を見た。



ツインテールの黒髪で二重瞼ふたえまぶたのつり目で、その瞳は深い茶色をしていて、陽射しを浴びると瞳が赤茶色に輝く。


小鼻こばなと薄い桃色のくちびるはとてもととのってて、顔の全体図がなぜかウサギを連想れんそうさせる。


つまり、可愛かったのだ。



それに少女のまるであま清楚せいそな声音はプロの声優にも引けを取らない。僕の耳の鼓膜こまく心地好ここちよひびく澄んだ声だ。




少女は石段に座る僕の隣に座ると、「私もよくその発作になるんだ。だからわかるよ。そんな時には無理に身体を動かしちゃだめ」と僕の横顔を見る。



僕はたしかにとなりにいる少女のおかげで発作は良くなった。しかし、困ったことがある。




それは今だかつて同世代どうせだいの女子とこんなに近づいたのは初めてで、また心臓が高鳴たかなる。緊張しているのだ。




少女は僕のブレザーの紺色を見て、「私と同じ学校なんだね」とうんうんとうなずく。



僕は「同じ学校?」と多少たしょうの驚きがあった。


なぜなら少女が童顔どうがんで中学生にしか見えないほどおさなく見えて、その姿は制服ではなく、私服しふく長袖ながそでの白いセーターとジーンズをいていたからだろう。




少女は僕のいに頷く。




「キミ、何年生?」少女は聞く。




僕は「1年」と、ぼそりとつぶやくと、少女は「私は2年。キミより年上だね」と顔をかたむけて、可愛らしい仕草しぐさをする。そして、次には「サボってるけどね」とくわえて、クスッと笑う。




僕は一連いちれんの少女の姿や声や仕草に今まで感じたことのない感覚に包まれる。




たとえるなら安心感や胸がギュッと掴まれるような切ないような感覚だった。




「私もさ、色々あってさ、学校をサボらないとキミと同じ発作におそわれる。



あれはパニック発作なんだってね」




少女はそう言いながら地面に足をパタパタとつけたり、伸ばしたりと足をもてあそぶようにして口にすると、「キミはこれから学校に行くんだよね。きっと、キミにも何か【原因】があるから発作になるんだよね。同じだね」




僕は少女に見とれてしまい、曖昧あいまいに頷く──しかない。



少女はなにかに気づいたように手をたたいて陽気ようきな声音で、「あ、そー言えば、可愛い後輩にまだ名前を名乗なのってなかったね」と言い、「よっと!」と、石段に立ち上がり、僕の目の前で右手をし出して言った。



「私は出雲詞葉いずもことは!キミは?」




僕は差し出された手に握手あくしゅわし、すこれてしまいながらも名乗った。




「僕は明星遥斗みょうじょうはるとって言います」




詞葉は手を合わせて嬉しそうに言う。




「私達ってお互いめずらしい苗字みょうじだね」




「そ…ですね」




そう僕が言うと詞葉は「丁寧口調ていねいくちょうはやめにしょ?だめ?」と首を傾げて僕に聞く。



僕は詞葉の仕草があまりにも可愛くてほおを赤らめてしまい、それを隠すようにうつむき、「いいですよ、いや、わかったよ、詞葉」と女子耐性たいせい0の僕の精一杯せいいっぱいの返事を返す。



僕は立ち上がり、制服のズボンについたほこりはらうと、「じゃあ、僕は学校に行くね」と詞葉にげる。




詞葉は「無理しないでね」と言うと微笑みを浮かべて、僕は「ありがとう」と礼を言って、詞葉から背を向けて歩を進めた。




鳥居とりいをくぐると今まで朝陽が差していたのに唐突とうとつ暗雲あんうんが立ちこみ、暗雲は太陽を隠した。



すると空が泣き出すみたいに白い雪が無数のなみだ結晶けっしょうのようにはじめて街々まちまちかなしそうなよそおいにつつんだ。



12月13日の空はまるで誰かが泣いてる姿みたいに思えた。



僕はポケットからスマホを取り出した。時刻は9時55分を示していた。




完全な遅刻だ───




§



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る