⑤ スケイデュ遊団と風読み





 こんこん、がちゃん。


「し、つれいします。」


 夜でも明るい建物の最上階の一番奥に、その暗い部屋はある。

 日常的な指揮や管理を司る部署は直属の者にそのほとんどを任せているため、司令官たるその男の部屋へは要人からの報告や急報が届けられる程度だった。

 そんな不気味な静けさは恐怖を煽って少年の心を凍えさせる。


「掛けろ。確か・・・ハユ、だったな。」


 思いのほか口調は穏やかだった。だが大きく落とす影とビリビリくる声色に余裕は顔を出すこともままならない。


「は、い。」


 そう促され簡素な背もたれに身を沈めようとした時。


 こんこんっ!


「・・・ふう。」


 素直な少年に気を好くした遊団長の珍しい笑顔は、しかし息せき切らせた伝令係によって遮られてしまう。


「なんだ。」


 この組織の内情を知らない少年はそのやりとりをただ見続ける。


「失礼いたしますっ! フローダイム様より伝令が届きましたっ!



 ウゴケ



 以上です。それでは、失礼しますっ!」


 若い伝令係は中央の椅子に掛ける少年に目もくれず紋切り型の挨拶と礼に終始し出て行った。


「せわしいな。・・・邪魔が入ってすまなかった、ハユ。

 すでに部下に尋ねられたとは思うが、聞かせてくれ。志願したその理由を。」


 今日、聖都オウキィから西に離れた『スケイデュ遊団』本部では激しい雨が降り続いていた。

 定義上、旅団とほぼ同規模・同格のこの部隊は統府指揮下の陸上兵団でありながら、「教皇の私設兵団」として特別任務に従事するため兵団本部とは仕切られた土地に設けられている。

 そんな特異な境遇がいわば「お山の大将」を演じさせてはくれるものの、それが故に制約もしがらみも少なくない。

 ただ二十余円ほど就いただけのこの長には、そのような組織間の軋轢に抗えるゆとりがなかった。


「おれ・・・おれ、強くなりたいんだ。厳しいってのも知ってるし、こんな年じゃ入れないってのも知ってる。

 んでも、強くなんなきゃならないんだ。強くなって、兄ちゃんが暮らす村を守って、兄ちゃんを守るんだ。

 兄ちゃんはやることがあるから、おれがなんなきゃいけないんだ。だから・・・」


 その少年の身元について既に調べはついている。またこの状況下で大人相手に嘘を言うとも思えない。遊団長は少年の言葉を丁寧に受け取ることにした。


「ハユ。幼いながらも立派な心掛けだ。これはまだ入団前のお前への提案なのだが、どうだ、俺の世話係になっては。

 ・・・ふ。ここへやってくる者の多くは歳をある程度重ねている。純粋なお前のような者を、俺も一から育ててみたいとはかねがね思っていたところなのだ。そして幸運なことにお前はヌイの子。ヌイ族は旧く忠義に殉ずる部族と聞いている。どうだ?」


 子を生むことも徳とされる家に生まれたその男に継ぐ者はまだいなかった。養子にするつもりはないのだろうが、情を覚えたのは嘘ではないようだ。


「う、ん・・・あ、はいっ!」


 遠く近く鳴っては部屋に入り込む稲光に、無骨な男の細めた目が照らされる。


「そうだな。まずは礼節から学ばねばなるまい。

 さあついてこい、ハユ。案内してやる。」


 そうして大きな男の背を追って立ち上がる少年の「はい」に、雨はいっそう強く応える。

 何かを洗い流すように、やがて訪れる次の晴れ間を呼ぶように。





 昨夜の高鳴る気持ちがまだ消えることはなかった。

 目を覚ましてそこにいる三人を確かめるとキペには俄然、力が涌いてくる。

 まだまだ距離のある聖都へ心は飛んで行けそうなのにノロノロとしか進めない足が恨めしいほど。


「よーし、支度はできたな。んじゃ、さっき話したとおりナナバの村ってトコへ行くぞ! そこから川を下れば一日で聖都の近くまで行けるからな。さあ、出発だ。」


 実はまだ旅用のクロークを買いそびれていたキペだったがあと二日三日で聖都に着くと知ったからだろう、些細なことは気にせず先頭を行くアヒオについて宿を出た。

 因みに途中で先頭はリドミコに替わってもらったが、その理由を風読みと本人はわかっていない。



 ともあれそうして一行は聖都オウキィに接する湾に出られるマノア川を目指した。朝から曇っていた空は徐々に青を隠して気温を下げたものの、歩いて暑くなるよりは快適な空模様だったろう。

 ところが昼食を摂って丘を下り始める頃になると急に降り始めてきた。


「アヒオさーん、ちょ、あの、このあたりに集落とかないんですかー?」


 緩やかではあったが下りということもあり、アヒオは全速力で丘の裾の大木を目指す。小脇にリドミコを抱えながら。


「さあーてなー。村に着くまで休憩できるトコがあるなんて聞いたことなかったからよー。」


 走れるかな、と思った風読みはといえば早歩き程度の歩調でどんどん離れてゆく先頭集団を追いかけている。


「あ、風読みさまっ!・・・どうぞ乗っかってください。」


 それに気付いたキペは急ぎ足で戻り、風読みの頭に自分の小さなショールをかけて背に負った。返すべき恩義を返せる時ほどヒトが強くあれる場面もないからか。


「これはどうも。ふふ、じゃあ甘えさせてもらいますね。」


 それでも止むか続くか知れない雨足は心配をよそにさらに激しさを増して大地を叩きながら四人を急かす。


「いやー参ったなー。リド、濡れてないか?」


 うん、と頷く唯一まったく無傷のリドミコ。

 アヒオの大きなマントに包まれていたので泥はねすらも見られない

 。

「大丈夫でしたか、風読みさま。せめて法衣が脱げればいいのですが・・・」


 もはやさらしだけの上半身が雨に濡れたキペは、そう言って法衣の雨粒を拭ってやる。ただでさえ不自由極まりない服装なのに、この小さな大陸を周らなければならない風読みにできることをしていたかった。


「ええ、大丈夫ですよキペ。・・・しかし弱りましたねえ。こうけたたましく降られてしまうとにっちもさっちも行きません。最悪のことを考えて今のうちに乾いた枝を集めておくのが得策かもしれませんね。」


 幸い森の奥は葉や梢のおかげでびしゃびしゃになってはいなかった。

 とはいえ夜営を張るにはもう少し場所を選びたいところだ。 


「あ、そうですね。じゃ、薪になるものを拾いながら奥へ行くことにしましょう。ねえリドミコ、方角は大丈夫?」


 ウィキの町で現在地と向かうべきナナバの方位は地図で確認していた。

 アヒオほどに方向音痴でない者でも、初めて訪れる薄暗い森では迷子になる危険は少なくない。迷い込む前に把握すべき段取りを取っておくのが妥当だろう。


「リド、うまそうな実の生る木を見つけたら報せるんだぞ。おれが取ってきてやるからな。」


 うん、うん、とやるリドミコの手を取り、アヒオも乾いた枝を拾って歩き出す。


 しかしやがて程なく樹冠に守られていた森の地面にも雨が幹を伝って滲み始め薪集めは困難になってきた。といってまだ夜を越せそうな岩陰や洞窟も見当らないため一同は腰を下ろして暖を取ることもできずにいる。

 そして夜より早く森は光を奪われ、凍えるリドミコにアヒオがマントを巻いて歩かねばならないほどそこは寒々とした空気に包まれていった。


「あ、そろそろ灯りをつけた方がいいかな。・・・えっと、あ、アヒオさん、ちょっと火燈り持っててくれな―――」


 その瞬間、何かに呼びかけられたような気がしてキペは闇に沈む木立ちに目を凝らす。

 リドミコも同じ気配を感じ取ったのか、やはり手奥の茂みに顔を向けていた。


「だれか、いるんですか?」


 すると声を掛けられたことに驚きもせず現れた人影は迷うことなくこちらへ歩み寄ってくる。

 アヒオに渡した火待ち金が火燈りに灯ると、その姿ははっきりと伺えた。


「んげっ!・・・んあ、たびのヒト? そいともまよったが?」


 そこで剣状葉と浮水葉を編みこんだ笠と蓑を羽織り、手に大きな倒心形の葉の傘を持った小柄な男がかん高い声で尋ねてくる。

 こちら四人とはまた異なる姿だが敵意は微塵も感じられなかった。


「おや、救いの手でしょうかねえ。そちらにおられるかた、私どもは旅の途中の者。怪しい者ではありません。

 ただ、夜営するにも相応しい場所が見当らず困っていたところです。

 私は風読み。決してあなたに危害を加える者ではありませんゆえ、どうか導いていただきたいのですが。」


 つぶらな瞳とにこやかな口元のその男は物珍しそうにリドミコばかりを見つめていた。

 最も目立ち、最も目と心を向けるべき風読みにではなく。


「いいろ。ついてくっちゃ。」


 肯定的な返事なのだろう、また一つにっこりとリドミコに微笑むと、一行の真ん中を横切ってその男は歩き出した。


「こーゆーのも渡りに船、ってんだろ。便利な言葉だな。・・・しっかしローセイ人に会ったのは初めてだがよ、ああいう感じなのか、やっこさんらは。」


 火待ち金をキペの背中の袋に入れながらぼそっと聞いてくるも、キペも会ったのは初めてだから首を傾げるよりほかない。


「皆が皆そうではありませんよアヒオ。ただ、ローセイ人の多くは保守的で自己完結的な生活を好むので他文化との交流があまりないと言われています。

 それよりも私が驚いているのは彼の好奇心にですね。自分より多い人数のヨソ者を目にして逃げ出すこともなく威嚇することもない上、私たちを案内してくれているのですから。

 こんな経験は初めてですよ。ふふ。

 あなたがたといるといつもおもしろいことが待っているようですねえ。」


 風読みは呑気に愉しんでいるようだがキペはまた新たに混乱するばかりだった。



 そうしてそんなこんなでゆったり歩くローセイ人の導きに従い進み続けると、そこには大樹に建てつけられた家があった。

 お世辞にもきれいで広いとは言えなかったものの、雨が凌げて暖も取れそうだ。 


「はらへった?」


 するとそこで脈絡一切なしの単刀直入が飛んでくる。

 それでも、正直な体と心は正しい答えを言葉に出す。


「はい。」


 そう答えたキペは無視してリドミコに目を落とし、うん、と頷いたのを確認するとローセイ人の男はまた来た道を戻ろうとする。


「あの、どちらへ?」


 さすがに勝手に家に上がるわけにはいかないながらも、リドミコは早く温めてやりたかったので風読みは続けて呼びかける。


「この娘を暖かい場所で休ませたいのです。中に入っても構いませんか?」


 ぬるん、と振り返り、うん、と頷く。


「おらさかなとってくっから。」


 魚が食べられるのは大変うれしかったとはいえ今ひとつ会話のテンポが掴めないなぁ、とキペは会話のキャッチボールの重要性について少し考えたそうな。


「ま、上がっていいってんなら上がらせてもらおう。リドが病気になったら一大事だ。」


 それもそうだ、と申し訳なさ半分ありがたさ半分に戸を開けると、一人で暮らしていたのか中はこざっぱりしていた。一段高くなった部屋の中央には火囲いと呼ばれる炉もあったので持っていた枯れ枝に火をつける。


「リド、どっか痛いとか痒いとか眠いとかなんかないか?」


 そうして湿ったマントを梁に掛けたアヒオはリドミコの背中に手を宛がう。

 それから少しでも体温が伝わるようにと、こすってみたり、抱き寄せてみたりしていた。


 温度や湿度に敏感といわれるハチウ人の自分は革の胸当てと編み金服だけなのに、その小さな命のために、うんと知恵を絞っていた。

 それがなんだかうれしくて、本当になぜだかうれしくて、キペもリドミコの隣に座って背中や腰に手を宛てた。ホニウ人の方が基礎体温が高いので自分も温めてあげられると思えたから。


 アヒオのやさしさに触れて、刺激されてしまったようだ。

 時に悲しみや憎しみは連鎖するというが、やさしさとてやはり連鎖するはずのものなのだから。


「しかし本当に助かりましたねえ。彼には何かお礼をしなければ。」


 それもそうだな、と考えている所に、どーん、と勢いよく戸を開けて主が帰ってくる。


「なんだそれ! 早いな。釣ったとか獲ったとかじゃなくてほんとに取ってきたんだな。ま、ありがたいが。」


 そしてまたどーん、と後ろ手に戸を閉めるローセイ人の男は内臓の抜かれた大きな魚を三匹投げてよこした。干していたのか、身が引き締まっている。


「おらつかれたっちねる。すきにしていいけ。」


 そしてまたしてもどーん、と戸を開け放って、どーんと閉める。

 家の頑丈さはこれで充分確認できた。


「お礼・・・どうでもいいんですかね。あのヒト他に寝るところがあるのかな。なんだか追い出しちゃったみたいだけど・・・」


 嫌がっている素振りは見られなかったのでひとまず幸運に感謝しておくことにするキペ。


「別にいーだろ。これも風のお導きってことで。ははは。さ、魚でも焼こう。」


 疑わしいわけではないが予想外の好転に拍子抜けしたのは確かだ。対価を求められれば素直に腑に落ちるものの、無条件という点でどうも引っ掛かってしまう。

 その点「こういうこともあるさ」と割り切れるアヒオのように生きられたら心配も少なくて済むのかもしれない。


「そういえばアヒオ、今朝は多く聞かなかったのですがナナバとはどんな所なのでしょう。私は初めて聞く村なのですが。」


 大陸を歩き村々を訪ねる風読みでもやはりその全てを把握しているわけではない。

 道のない森や山を進めばあるいは訪れたことのない村もあるかもしれないが、風読みは神官であって冒険者ではないのだ。新たに知り得た村へ足を運ぶことはあっても自分から探し出すことはなかった。

 世界を巡り、ヒトビトの営みやそれぞれの情勢を知るために風読みは移動することを許されているのだから。


「あぁ、それがなぁ・・・まだ実際に行ったことはないんだ。なんでも最近発見されたローセイ人の村らしくって、解古学の発掘探査の過程で見つかったんだと。

 資源も特産物もないから「村の発見」が大々的に伝えられることもなかっただろ? ま、そうやってあまりヒトの耳目に触れられてない村だから経路に選んだんだ。

 ヒトの来ないトコなら「ファウナ」だ「フロラ」だって騒がれることもないからな。川下りを利用するのはおもに研究者ばっかだからやっぱり安全だしよ。やっこさんたちゃ自分の学問以外に興味は示さないようだから。」


 キペより少し歳上のようだがアヒオは色々なことを知っているらしい。

 似たり寄ったりの知識を持った村にいたキペには、そんなことでも自分の小ささを感じてしまう。


「じゃあ、さっきのヒトも村のヒトなのかもしれないですね。ナナバの村ももうすぐかな。」


 村に着くということはオウキィにまた一歩近づくということだ。はやる気持ちは簡単に落ち着いてはくれそうにない。


「かもしれませんね。・・・おや、焼き上がったようですよ。さ、リドミコ、おあがりなさい。」


 やや青ざめていたリドミコはそれでもおいしそうに湯気の立つ魚をほお張った。

 それを横目に見るアヒオはといえば、これ以上ないほど満ち足りた顔でそれを眺めている。


「明日には止むといいですね、雨。」


 なめした樹皮でできた屋根を叩く雨は、そののち夜半を過ぎるまで降り続いた。




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