④ フロラ人とファウナ人




 そうして一行はさらに南進してゆき、ほどなくウィキの町へ辿り着いた。

 昨晩過ごしたカミンの町より商業が栄えているものの規模自体は同じくらいだ。

 今夜はそこでひと段落ということもあり、キペたちは人数ではなく部屋数で清算する宿を選んで荷を預けることにした。

 余談になるが、風読みはベッドなどに横たわることを忌むため大抵は座って眠らなければならない。そのため人数・ベッド数で支払うと一人ぶん無駄になってしまうのだ。

 聖都まで、ひいてはその帰りの路銀までを鑑みれば節約は必要な手段になる。


「えっと、あの、とりあえず下の屋台で練り焼きと果物、蒸し野菜の包みと肉を買ってきました。何が食べられないのか判らないから、ご自由にどうぞ。」


 よくよく考えれば四人とも部族が違うばかりか、人種まで異なっているのだ。禁忌や嗜好は及びもつかないところで隔たりがあるものなので、キペとしても懐にはつらかったが恩人たちへの失礼は避けることにしたらしい。


「ありがとうキペ。・・・さて。本来、口外すべきでない事を今から話すことになります。

 キペ、あなたは耳を塞ぐべきでない存在ですが、アヒオ、リドミコ、あなたたちは興味だけで済まなくなるかもしれないこの話を聞くか止めるか、選んでいただいて結構なのですよ。」


 おれは聞く、そのためについてきたんだ、とさっそく肉に食らいつくアヒオ。

 うん、と頷くリドミコも肉を食べる。

 木の写しとも喩えられるユクジモ人って肉を食べてもいいんだ、とキペは感心する。事の重大さを強調した風読みの前置きなどもはや誰も気に留めてはいないようだ。


「・・・いいでしょう。まず「作ればいい」とあなたは言いましたねアヒオ。確かに作ればいいのですが、間に合わないのです。

 これから話すことは、あるいはいかがわしく聞こえるかも知れませんが私を信じていただく以外納得のしようがないでしょう。

 はじめに属性について話すべきでしょうか。キペ、そのことについて教舎では習いましたね?」


 世界の成り立ちの理論とされる、七つの属性。

 太古には〔魔法〕という力で支配できた自然界の性質の展開図のことだ。図式にすると、真ん中に十字を引き、その右斜め上と左斜め下に対角の四角を作った、七つの点の属性図が一般的になる。

 真ん中を「風」とし、右斜め上の四角の点を「風」から右回りに、「空」「陽」「火」を据え、同じように左斜め下の四角の点を右回りに、「地」「月」「水」を置いたものだ。中心点の「風」を軸に対照属性とし、「風」だけがすべてに干渉されない属性とされている。


「はい。応用学のク=ア学でもその基礎は用いられるので、憶えてはいます。」


 リドミコは大丈夫かな、と見遣るとその視線に気付いたのか、ふふ、と笑って最後の肉をほお張った。・・・肉は、キペも大好きだった。


「では続けますね。一般的な七つ角の展開図で知られるとおり、七つの属性があります。そして「風」以外の属性の読み手たちはそれぞれの神殿にいます。私だけは神殿を持たず放浪を定めとしているのは知ってのとおりですね。

 さてこの神殿ですが、巡礼者といえども入ることは叶わないのです。神殿の周辺にはヒトビトが《膜》と呼んで畏れ近づかない「結界のような領域」があります。

 そして《膜》は霊像の力によって作用するものです。実際に目の当たりにすれば話は早いのですが・・・。

 こうして口だけで説明すると信じられないでしょうが、読み手ですら生身では他の神殿に入ることはできません。基本的に往来できるのはそこの神官と従者だけなのです。

 ひとまず《膜》の儀式などについては割愛しますが、その不思議な奇跡は真正の霊像でなければ成り立たないと言われています。

 そして霊像は二円に一度、神像は十円に一度、取り替えることが定められています。

 その奉納を兼ねた〈神霊祭〉はもうすぐそこまで来ていますから、私たちはあの妙な連中から取り戻さなければならないわけです。ただ『スケイデュ』の動向については私もよくわかっていません。」


 そのざっくりとした説明に残念ながら皆は窓の外の遠い空を見上げてしまう。

 それはとても残念な出来事だったが食事がおいしかったのでそれなりに満足していた。


「・・・よし、よくわからないがよくわかった。むしろよくわからないことがよくわかった。

 で、それは置いといておたくらは霊像も探すが弟に会いに聖都まで行く、と。袖振り合うもなんとやらだ。聖都まで歩きじゃ月もカケラになっちまう。川下りをしてる村を知ってるんだが、どうする? 最近発見されたらしくて学術研究隊も調査してるとかって聞いたな。」


 文字通り、渡りに船。キペは二つ返事で喜んだ。


「そか! おっし、じゃ、おれたちゃ買い出しに行ってくるわ。荷物置いといてもいいかい?」


 あまり食べたり飲んだりしない風読みは、静かに頷く。


「私たちの保存食も買ってきていただけると助かります。・・・さ、アヒオ、これを。」


 いろいろなものが隠せそうな法衣から、す、と風読みは袋をひとつ差し出す。


「いやぁ、構わな・・・ん? こりゃ赤沙じゃ――――」

「おっと、間違えてしまいましたね。銭入れはこちらでした。ふふ。」


 硬貨と違った感触と音に中身を覗いてしまったアヒオ。

 それを風読みは慌てて取り返し、しっかりと詰まった革袋を改めて差し出した。


「いや、ほんとにいいって。宿とメシの礼だ。キペたちは来ないのか? そか。それじゃまたな。いくぞリド。はぐれるなよっ!」


 ・・・。そして。


「さて・・・キペ。そこに。」


 そうしてばたん、と鳴るドアに閉ざされた部屋へ緊張が灯される。

 キペは風読みに促されるまま椅子に座り、その続きを待った。


「より、簡潔に現状とこれからを話します。よく聞いてください。」


 やはりアヒオたちには聞かれたくない話があったようだ。


「・・・はい。」


 心を落ち着け、キペは耳をそばだてる。


「霊像による儀式がなされなくなれば誰でも神殿に入ることができるようになります。

 そこには価値あるものがいくつもあり、物盗りが来襲することも予想されます。

 キペ、あなたが霊像を作るにはどのくらいの期間が必要でしょうか。」


 村に落としていったものが二体。「風」の分がないので残りは四体となる。

 ただそれらを作る時間の算出はというとニビの木の仕入れも含めなければならない。ニビの木は成長が遅い上に数も少なく、加えて成木となっても細いものばかりなので霊像のように横幅のある原木そのものが手に入るかすら見当もつかない状態だ。 


「えっと、短く見積もっても、月のふた巡りは覚悟しなければなりません。ただ、僕一人だけで作るとなると予想は裏切られると思います。」


 祖父タウロの霊像も神像も「粗打ち」という初期の作業まではキペも手伝うことが許されていた。

 結局聞けず終いだったが、幼い頃に受けた儀式のようなものを経ないと鉄打ちとしても見習いとしてもみなされず、作業に携わることすらできない決まりになっているのだ。

 他の見習いさえ村に目星もない今、キペ一人しかその制作に従事できる資格を持つ者がいないのだから状況は絶望的だ。


「やはりそうですか。・・・しかしここにある神像。これを携え《六星巡り》という巡礼を遂げることで現在の懸念は払拭することができます。

 六つの神殿を巡り、旧大聖廟へと奉納したのち六つに割いて各神殿へ備える、というものです。

 便宜的に思えますが当然、見合う対価を要求されます。・・・率直に言って、私一人では不安があります。」


 厳しい口調はその言葉の意味と重みを物語っている。

 弟を追いかけ村を出た青年に、神殿を守る役目を言い渡さねばならない苦悩がそこから読み取れた。


「風読みさまは、初めから・・・?」


 ヌイの子ども一人のためとはいえ、七属性のうちの一神官が動くこと自体が異常だった。不自然は感じながらも、それでもその含みに目がいかなかった自分にまた惨めな影がよぎってしまう。


「いいえ。ハユが出て行くことも『スケイデュ遊団』に連れて行かれることも、そして今、神像だけが手許に戻ることも予想できませんでした。

 ここにあるのが霊像であれば残りの三つを、もしくは神像をあなたに作っていただくしかなかったのです。・・・それでも裏切っていたように、見えるでしょうね。」


 そのつもりがなくとも状況がそう思わせてしまうことなどいくらでもある。

 そこで大事なのが惑わされない確かな目なのだ。物事の流れを読み取る確かな目こそが、今この青年には求められている。


「・・・。僕は、僕にはまだ、その重大さがよく理解できません。・・・すみません。僕は、ハユのことで、今は・・・」


 とはいえ世界を知らない一人の若者にはその迫られた決断は重すぎた。


「わかりました。・・・ふふ、しかし忘れないでください。私はこう見えてなかなか食い下がる質なのですよ?」


 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 風読みの心遣いにさえ笑って応えられないほどに。


「それでは・・・風読みさまは《六星巡り》の巡礼に旅立たれるのですか?」


 この町まで頼りに頼ってきた風読みと別れるのは心細かった。


「ふふ。さあ。風に従う私です。食い下がる質の私です。聖都まで散歩するのもあるいは風の導きかもしれません。」


 そういたずらっぽく笑って残した言葉に、キペはただただほっとするだけだった。

 疑ってしまった自分が恥ずかしくて、そのくせ弟のこと自分のことばかり考えている自分がイヤだった。


 でも、だからこそ未来に決意を告げたいと思える。


「・・・風読みさまが傍らにいてなおハユが戻らないようならば、・・・それはもちろん、戻ってきてくれるのがいいのですが、ダメだったなら、僕、でよければ。・・・お供させていただきます。」


 返さなければならない恩はもう充分に受けた。そしてまた聖都までの間、その知恵と威光を借りることもあるだろう。自分にできて、自分に求められていることがあるならばやってのけなければならない、そう、キペは思った。


「私もできる限りのことはしましょう。・・・キペ。[打鉄]の正統な継承者があなたで本当によかった。

 さ、あなたも町の空気を吸っていらっしゃい。辛気臭い神官とずっと一緒ではあなたまで老けこんでしまいますよ? 食べものにしても湯にしても、とりあえずはこれを持って好きになさい。ふふ、あなたの決意の、その前祝いなのですから。」


 そして凍て割れた古木のような腕をすす、と出し、銭入れを手渡す。


「楽しめるうちにしっかりと楽しんでおくことも長旅の条件なのですよ?」


 それを両手で受け取り、胸が苦しくなる思いを抱えてキペは頭を垂れた。

 心というものの大きさに、その輝きに、跪くように、そっと。


「はい。・・・では。」


 そうしてかしずく純真な若者がドアを閉めると、風読みはひとり顔をほころばせた。

 目ではない感覚で、それでも確かに読み取れたキペの表情に安堵したからだろうか。

 


 それは奇妙に映ったかもしれない。

 なにせ人前に現れることのないユクジモ人が冷酷とも噂されるムシマ族の男と手を繋いで歩いていたのだから。


「やっぱり肉は焼きたてがうまいな、リド。」


 それは奇妙に映ったかもしれない。

 なにせ人前で引き摺るには余りに目立つ酔いどれを冷徹とされるムシマ族の男が足を掴んで歩いているのだから。


「・・・ふーっ。しっかしリドどこ行ったんだろーなぁー? おれが探してやらねぇとなっ! あっはっはっはっ! 待ってろリドっ!・・・はぁ。んでおまえさん誰だよ。おれほんと何と間違えたんだろな。」


 そう呟くと、でっぱりのない鼻を指でへへへん、とこすりマントを翻してアヒオは夜の町へと消えていった。皆目わからない酔っ払いはそこら辺に捨て置いて。



 他方、はぐれたリドミコはといえば先ほどから妙な錘絃弾きに何事かを諭されていた。行き交う者の多くは不審に思わなかったが、不審に思った者もいる。


「あ、リドミコ! あ、エレゼさん、何してるんですか?」


 旅に適した恰好ではないキペは外套やクロークを見て回っているところだった。

 季節はこれから寒くなるから丈の長いクロークがよかったのだが、今から分厚い麻綿布では重たくて邪魔になる。とはいえ宿に泊まれるとも限らないからと、丈夫で軽いクマグモのものが欲しいところではあるもののそれらは高価で派手すぎた。性格同様、地味な色遣いを密かに好み選んでいたキペには、その原色をふんだんに使ったショールように賑やかなエレゼは遠く憧れる存在にも見えてしまう。 


「何、ってはっはっはっは。商売じゃないかぁキペくん! それよりなにかね、キミはこのお嬢ちゃんと知り合いなのかい? キミだけでも珍しいのに二重に珍しいじゃないか!」


 リドミコは聴いていた曲が鳴り止んでしまったからか、キペとこの錘絃弾きが知り合いだったことに驚いたのか、困ったような、それを楽しんでいるかのような顔で覗き込んでいる。

 目は閉ざされたまま、口も微笑を浮かべたままだったが、なんとなく、そんなふうに思えた。


「ふふ、そうですね。あ、ちょっとならあるので一曲お願いしようかな。ね、リドミコ。」


 記憶に表情に不自由のあるリドミコは、しかしなぜかこう人懐っこく感じさせる力があった。ほっこりとした、やさしい空気に包まれているような。


「うーん、いいねぇ。ではっ――――」

「皆の者ぉっ! よく聞けいぃぃっ!」


 そんなやわらかな時間の中、奥の大通り広場をつんざく怒号のような声が響いてきた。


「なんだろう? 警邏隊のヒトかなぁ?」


 鳴り渡る鈍い声色に不穏を察してしまうのだろう、辺りは一斉にどよめき騒然としはじめる。


「・・・違うようだねぇキペくん。もうすこしガラの悪い連中のようだよ?」


 ヒトの頭の波に見え隠れする様子から何人かを率いた一団が見えはしたが。


「我々『ファウナ革命戦線』より逃げ出した者がこの界隈にいるとの情報が入ったっ! 首の根に我らが旗印[五つ目]が刻印されているはずだっ! 身元の知らされぬ者ゆえ多くはわからぬままだが、情報の提供および捕獲の協力を願いたいっ! 尽力した者には報酬を――――」


 そんなただならぬ雰囲気に気圧されるキペは、ふと、自分も首までさらしを巻いていることに気付いた。

 キペの場合は鉄打ちの修行が始まって以来、腹から首までそうするようにと祖父に言い聞かされていたものだからほどいて誤解を解くこともできる。しかしローセイ人やハチウ人、ギヨ人は体温と湿度保持のため皮膚を隠す服やさらしで覆っている。首根っこが目印ではそう容易く割り出すことはできないだろう。


「マズいことになったねぇ。こちらのお嬢ちゃんの名前はリドミコちゃん、でよかったかな? ははは。さ、キペくんも逃げようかぁ。」


 そう言うとリドミコの手を取りエレゼは背を丸めて素早く反対側の人の波へと紛れ込む。


「へ?」


 それを疑問に思ういとまもなく、キペはエレゼの後を追って走り出すだけだ。



 そうして閑静な橋の下へと三人は滑り込んで周囲を伺う。


「・・・ふぅ。いやぁー疲れたなぁ。はっはっは。」


 息を整えるのがやっとのリドミコの背を撫でながら、キペも声が漏れないように深呼吸をする。整えたいのは頭の方もだから。


「ど、・・・どういうことなんですかエレゼさん?」


 まさかちゃらんぽらんに見えるこの愛の伝道師が人に追われるような事をしでかしたとも思えないし、まして自分やリドミコにもそれは考えられないことだった。


「ふむ。キペくん。どうやらキミの素直さは世間知らずから来ているようだねぇ。」


 そんなこと、言われたこともなかった。言われることのない小さな世間でしか生きたことのなかった青年に、その言葉は必要以上に爪を立てる。


「ま、仕方ないことさ。勉強すればいい。・・・しかし世間の情勢を知らないようではこの子ひとり満足に連れては歩けないよぉ?」


 そうしてエレゼは二人の間に座り込み、裾に跳ねた土を払う。


「すみません。リドミコとは昼間会ったばかりなので。一緒に聖都へ行く予定なんです。

 ・・・それよりエレゼさん、聞かせてください。

 じゃないとまたこんな風にならなきゃいけなくなってしまいます。」


 まだ苦しそうに息を吸うリドミコはハユと同じくらいの歳に見えた。

 それが、ただの旅の連れと割り切らせてはくれない理由になってしまう。


「なるほど。・・・キぺくん、「フロラ」ってなんだか知ってるかい?」


 正しくは対象地域の植生を表す言葉だが植物全般を指す言葉としても用いられている。


「ええ。でもさっきのヒトたちはフロラのナントカ団がどう、とか言ってましたね。」


 聞き慣れない単語が多すぎて全てをしっかり憶えてはおけなかったようだ。


「そうだねぇ。じゃあユクジモ人のことをも指して牽制する時の隠語に使われてる、ってことは?

 ・・・そうかぁ。まあ、言われている彼らは彼らでそれを旗印のように名乗ってはいるんだけどねぇ。」


 牽制。

 それはいがみ合う者の使う言葉であり、かつて旅の者に聞いた争いの話を思い出させた。


「あの、詳しくは知らないのですけど、僕らファウナ系の人種がリドミコのようなフロラ系の人種と争っているって、本当なんですか?」


 それにはさすがのリドミコも顔を上げてエレゼの反応を伺う。


「一部、ではあるけどね。確かにある。《百万本の緋の木の伝説》のおかげでユクジモ人たちを特異なヒトとする偏見は未だに絶えないんだ。

「セヴォネーの分類」によりシム人以外のホニウ・ハチウ・ローセイ・チヨー・ギヨをファウナ系人種とし、その中の一部の民族主義者が《百万本の》と呼ぶ一方、フロラ系人種のユクジモ人たちの中には《百万本の》と《緋の木伝説》を呼び称え、自分たちを至上の存在と位置づけて他種を制圧しようとする者たちがいるのが現実だからねぇ。

 ただでさえ人種や部族が多いファウナ人が爆発的な繁殖と繁栄を手にしてまずやったことは、フロラ人の追放だったから。

 それに反目するようにフロラ人の中で対決姿勢を打ち出す勢力も現れたんだよ。異質なものを取り除こうとする本能は、悲しいかなフロラ・ファウナいずれにも見受けられるものらしいねぇ。」



 あまり得手ではなかった「世界」の教科で昔、確かに耳にしたことはある。

《緋の木伝説》とは、ヒトが生まれる前の創世の神話だ。

 発達したク=ア学によって今ではそれを「おとぎ話」としているが、未だその信仰は衰えを知らないうえ解釈や話の展開に各地で大きな差があった。キペも幼心にいろいろなものの捉え方がある、として教わったものの、それが争いを生んでいるなどとは知る由もなかった。

 知らない、ということに罪を覚えたのは、キペにとってこの時が初めてだ。


「あの粗暴な連中が町なかで幼いリドミコちゃんを襲うとは思わないけどねぇ、わりと過激な組織だからフロラの子どもを守るには念を押しておかないと。

 ね、リドミコちゃん、キミも気をつけなきゃダメだよぉ?」


 そこで、ちゃり、と後ろで金属音が鳴ると同時に物陰からヒトが現れる。


「こんな所にいたのか、リド。・・・そちらさんは?」


 町のざわめきの意味を知って探しに来た、というより、歩いているうちに迷って辿り着いてしまった、といった表情だ。


「おや、今宵はワケありなヒトがよく訪ねてくる。うん、たまにはいいものだねぇ。

 ボクは愛の堕天使でおなじみの吟遊詩人、エレゼという者。キミのお連れさんかな、このリドミコちゃんを助けてキペくんとおしゃべりをしていたところだよ。」


 敵ではないと判断したのか、マントの下で用意しておいた指投げ刃から手を離すとアヒオは三人に近づいた。


「そうか。礼を言わなきゃならないな、詩人エレゼ。気がついた時にはリドがはぐれてしまっていたんだ。・・・しかしこれじゃ町には戻れそうもないな。

 悪いがキペ、おれとリドはここらの別の宿を取ることにする。おまえさん達とは別に動いた方がよさそうだ。荷物はあとで取りにいく。」


 夜につられて灯りの消えゆく暗い町角では、いよいよリドミコの危険も増してしまうことになるだろう。

 しかしこんなふうにして二人はずっと歩いてきたのだ。

 あっちがダメならこっち、といった淡白な反応が、だからこそなんだかキペには淋しく思えた。


「あ、・・・いや。・・・あの、アヒオさん、僕、思うんだけど、風読みさまと一緒の方がいいんじゃないですか?

 ほら、隠れ回ってるより風読みさまの隣でしゃんとしていた方がむしろ誰も手を出せないじゃないですか。風読みさまにおんぶにだっこだけど、何も悪いことしてないんだからそっちの方がいいでしょ?

 ・・・リドミコだって、何の謂われもなく逃げ回るなんてきっとイヤだろうし。」


 使えるものは使う。

 その知恵は少し、世間の苦さをキペに味わわせた。


「・・・けけ、そうかもな。そう、させてもらおう。恩に着る。キペ。」


 そう話がまとまったところで腰を上げると、エレゼは土手を登って手を振っていた。楽器が鳴らないよう絃を抑えながら。


「じゃ、ボクはこのへんで。」


 それを見送り、逃げてきた道を避けて宿に着くと風読みは三人を心配そうに出迎えてくれた。


「はぁ。やはりそのテの騒ぎでしたか。・・・私はいっこう構いませんよ。私なぞの力でリドミコやアヒオに安心をもたらせるのであれば。」


 断られるとは思っていなかったが、笑んでそう応える風読みにキペの胸は熱くなる。


「あ、ありがとうございます風読みさまっ!」


 困ったキペや困ったリドミコ、アヒオを造作もなく掬い上げてゆくそんな風読みに、だからキペは強く憧れを抱く。こんなヒトになりたいな、といったあたたかな憧憬として。


「ふふ、どうってことないですよキペ。ところでアヒオ、あなたがたはなぜオウキィを目指すのです?・・・リドミコの親族や関係者にアテがあるのですか?」


 今度の一件でそこはキペも疑問に思っていた。

 ユクジモ人は人前にあまり現れず森や山に好んで住む者たちだ。そのためどの部族がどこの山にいるかはほとんど知られていないことも多い。情報を得るために聖都へ赴くにしても、様々なファウナ系人種が暮らす聖都オウキィへ連れて行くのは危険が伴いすぎるはずだ。


「知り合いに・・・・。〝嘘見〟は、勘弁してもらいたい。

 真実だけでは事が運ばない時だってあるはずだ。迷惑は掛けない。」


 それでも、キペは聞きたかった。

 今までなら口ごもることを吐かせようとは思わなかったが、知らなかったことでリドミコを危うくさせてしまった以上、今は知らなければならない気がしていた。


「ね、アヒオさん。風読みさまにこうして会わなければ今夜もリドミコは怯えていたかもしれないんですよ? あなたは強いのかもしれないけど、リドミコを護るヒトが多くなることって、アヒオさんにとっても大事なことじゃないですか?」


 その身体能力や状況判断能力は垣間見ただけでも優れていると容易くわかる。

 それでも、自分の身を護るにはあまりにも自由が利かないリドミコを護り通せるとは言い切れるはずもない。

 キペはただ、リドミコが心配だったのだ。その影に弟のハユが見えてしまうから。


「・・・く、ふーっ。仲間ってヤツか。・・・うわべだけのそれらに何べん裏切りを見てきたか。・・・はぁ。

 んまぁでも相手は風読みサンと愚直のキペだからな、それもいいか。はっはっは。それでもな、話すことで迷惑になることは話さない。いいな?

 ・・・キペ、おまえさんがリドを心配してくれるから信じるんだ。リドを大切にするおまえさんだからこそ、おれはおまえさんも大切にしたいんだよ。そこはわかってくれ。」


 耳にこそした事のある言葉なのに、思い出してみても使われたことのないその「仲間」の響きに、キペは言い知れない高揚感とそして、温もりを感じる。

「友達」とも違う「同僚」とも違う、独特な距離を示す指ざわりのそれはまさに、この時を選んで紡がれたようだった。


「はい。・・・でも然るべき時が来たなら・・・」


 ふ、とアヒオは口の端を上げて笑う。

 それで、答えになる。


「さて、それでは今晩はこのくらいにしておきましょうか。私たちの護るべきリドミコはどうやら夜の魔法に魅入られているようですよ。あなたがたも、そろそろそうなさい。」


 幼い時分に母に背を撫ぜられ歌われた子守唄の中にもそんなくだりがあった。夢物語の象徴のような〔魔法〕の一言にどれだけ畏怖し心奪われてきたか。それでも、誰しもが若くしてその夢より醒め出でて現実へと歩を進めてゆく。


 夢とうつつとに境を見定め楔を打たねばならないその時を、そういえばいつ迎えたのだったろう。

 そんな記憶を辿っているうち、キペもアヒオも、風読みさえも落ちていってしまった。

 深くやさしい、夜の魔法の海の中へ。


 遠ざかる蟲の羽音に気付くこともなく。

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