第一章 それぞれの正義 ① キペとハユ
トゲトゲとした湾に縁取られたその地は、小さな大陸・アゲパンと呼ばれている。
そんな100万ほどのヒトが住むアゲパン大陸の真ん中あたりに、小さな小さな村があった。
名をセキソウの村という。
そして一円を開陽・白陽・玄陽・閉陽と四つの季節で巡るこれまた真ん中あたりのその時季に、大きな祭り〈
どうやらそこで暮らすひとりの青年の元に、深く大きな運命が訪れたようだ。
時も場所も選ばぬ定めはただ、信じて歩む者にだけその扉を開く。
ちりんちりーん。
「あぅ、はーい。いま行きます。」
栄えているとはお世辞にも言えない小さな村は、それでも十円に一度行われる〈神霊祭〉へ向けての準備で賑わいをみせていた。
その久方ぶりの華やぎに彩りを添えるよう、出稼ぎに出る者、帰路に着く者、この小さな村で恒例となっている〈出像祭〉を目当てにやってくる者と、あちこちに色とりどりの人種や部族が入り混じってはその喧騒を囃し立てていた。
今となってはこのヌイ族にしか作り手のいない「神像」・「霊像」も移り変わる季節と月日にその意味と意義を遺すばかりとなっている。頑なに製法と技術を伝え継ぐ、唯ひとつの「鉄打ち」職人にその生き残りを賭けて。
「やあ、こんにちは。この皮袋はきみの作品かい、キペ?」
まっすぐな長い黒髪にのぞく柔らかな耳がぴこぴこっと揺れると、その大きなコネ族の男の表情はいっそう愉快に引き立てられる。
ホニウ人の多くはこうして頭の上にある耳からもその感情が読み取れるのだ。
「あ、はい。えっと、まだまだ修行中の身ですけど、悪く、ないと思います。それに、その、革の袋よりは、えっと、値も張りませんし。」
まだ若いそのヌイ族の青年はおどおどしながらも、幾度もここを訪れる常連の客に言葉を添える。
あまり自身の作品を買ってもらえたことがなかったからか、少々おっかなびっくりの様子だ。
「しょーばいヘタだねーキペちんは。でもしょーじきでいいよねー、カロ。」
カロ、と呼ばれた瞳を閉ざす黒髪の優男と一緒にいるのは親子ほども歳の差がある少女だった。屈託ない笑顔の人懐っこいコネ族の娘だ。
「ノル。正直であることがわたしは一番の商売上手だと思うよ? それよりもきみの肩提げ袋を買いに寄ったのだからね。はやく選ばないとこの次まで辛抱してもらうことになってしまうなあ。」
店の奥の工房では、かーん、かーん、と鉄を叩く音が響いている。中で作業しているのはキペの祖父にして、現在[打鉄]の技法を守っている唯一の鉄打ちだ。
一方キペはといえば、まだ神霊像の製作にほとんど関わらせてはもらえなかった。
「おーい、 兄ちゃーん。ヘンな花みっけ・・・あ、カロさん! とノル坊。こんにちはっ!」
そう言って限りなく全力疾走に近い形で店に滑り込んできた弟の手には、うつむいた薄茶けた白い花があった。うれしそうなのにどこかしゃっちょこ張っているのは、同じ年頃の少女の手前だからだろうか。
「おや。ずいぶんと珍しい花を見つけたね。沼の方へでも行ったのかい、ハユ。」
ずっとずっと遠い昔には祖先が同じだったと云われるコネ族の大人だからか、ハユは小さな頃からカロに憧れている節があった。
旅を好むコネ族と土地や主に忠実といわれるヌイ族は、似ていないようで似ているところもあるのかもしれない。
「あ、よかったら、あげます。なんかこう、きれいな花だから。」
自分に憧憬のまなざしが向けられていると知る者らしく、カロはその錆びたような白い花を丁重に受け取った。
「ありがとうハユ。ふふ、それとも、あるいはこれを商売上手というのかもしれないね。
キペ、そこの小さな皮鉢をもらえるかな。それに土と、古い水なんかも工面してもらえるとうれしいのだけど。」
あ、と思う間もなく木の皮をなめしてこしらえた鉢をカロが手にしていたため、キペはおろおろと土から水からどちらを先に、どこから持ってくればとうろたえてしまう。
なんだか押し売りのようになって申し訳なくって、でも選ばれた皮鉢もまた自分の作ったものだったからうれしくって、もう落ち着いてもいい歳のキペだったが慌ててしまう。
「んじゃーあたしはコレかってもらうー!」
などとノルも皮袋を選び終えてしまうものだから今度は勘定もだ、とさらに戸惑う。
「うん、素敵な皮袋だね。・・・・・・・ん? どうしたんだいノル。」
「・・・ねぇカロ・・・〝罪〟がくる。」
ん?と気にはなったが、注文ではないようなので真面目なキペはすべき作業に気を配る。
「兄ちゃん、おれ手伝う?」
あ、うん、などと空返事するのが精一杯。
社交的な弟と違ってキペは昔からとても引っ込み思案な性分だった。
そこへ。
こんこん。
「あ、はーい。」
などとてんてこ舞いになっているところへ、一陣の風を纏った不思議な風貌の男がすっと現れる。
それは聖布と呼ばれる布を目の辺りからグルグルと長く高く巻き上げた頭に、逆さ雫型の立派な法衣で身を包むシム人の老翁だった。
「あ、あ、風読みさま。あ、・・・えっと、あの、こちらへどうぞ。
ごめんハユ、お勘定とか、お願い。」
ほーい、と返す弟を置いて、キペは神官である「風読み」を奥の工房へと招いた。
風読みなどの高位の者を神聖な工房に招く際には、鉄打ちの見習いが付き人として傍に立つのが慣わしのようだ。
からからから。
「こちらです。・・・おじいさん、風読みさまです。」
そう言ってからから鳴る引き戸を閉め、風読みの肩越しに祖父を覗く。
手離せない工程の途中なのだろう、息つく間もなく続いた鉄を打つ音が止むと、のっそりと祖父は振り返りこちらへ向かってきた。
その姿にはまだ闘志のようなものが漂っていたものの目尻にはやさしいおじいさんのそれがある。白く長く伸びた髪を束ね、上半身をキペと同じように色褪せた藍色のさらしで巻いただけだったが、その肉体からは年齢を感じさせないほどに若々しく研ぎ澄まされた力強さが滲み出ていた。
「これはお久しぶりで。神像と霊像はこれに。」
そう言って立ち上がり布を被せた棚を開けると、そこには各神殿に奉納する霊像と、旧大聖廟に祀る神像があった。
初めて見たとき、幼い頃のキペにはそれが何なのかよく分からなかった。
二円ごとに奉納する霊像は、縦長の三つこぶヒョウタンに葉っぱのような足がいくつか生えたものだったし、十円に一度の神像はといえば、バファ鉄で作られたクチバシが打ち込まれたタマゴのような形だったから。
愛嬌はあったが、そんな「葉っぱ団子」と「トリ卵」よりもキペには祖父・タウロが作り上げる動物の置物の方がよほどかっこよく感じられたものだ。
「相変わらず素晴らしい仕上がりですね、[打鉄]屋タウロ。足を運ぶ度ごとに像の鼓動がよく伝わってきます。
・・・それでも、こう言っては失礼ですが、私はこの若き[打鉄]の後継者の像も見てみたいものだと、つい思ってしまうのです。ふふふ。」
きっと風読みは冗談も含めてそう言ったのだろう。それでも若い見習いにはそれはとても大きく、温かく響いていた。
「ふふ。ええ、わたしもそう願っているところで。さあてキペ、おまえの納め型を持って来てくれないか。」
神像も霊像も独特な形なので、運ぶ際に安定させるべく見合った寸法でそれを納める箱を作らなければならない。
「あ、はい。おじいさん。」
見習いになって二度目だからだろう、持ってきた納め型はもう一丁前に仕上がっていた。
「そういえばキペ、ずいぶんと体がしっかりしてきましたね。二円も前と比べては気を悪くしてしまうかもしれませんが。」
[打鉄]という技法が廃れていった理由は主に二つある。
ひとつは材料となるニビの木が繁殖力も成長速度も他の木々に劣るため使える太さの原木が減り続けているからだ。そしてもうひとつには、その製法が非生産的であるためだと云われている。
「あぅ、はい。あいや、とんでもないです。」
世間で見かける木の加工品は切り、削り、磨いたものが主流だが、[打鉄]は丸棒と呼ばれる大小さまざまな鉄の棒を木に当て、それを
「ふふ、本当に良い後継者になりそう――――」
そこへ。
どかーんっ!
「なんだっ? どうしたっ!」
不可解な低い地響きが突如鳴り渡ると、雷でも落ちたかのような衝撃が辺りを揺らす。
「・・・。どうやら祭りの一環ではないようですねえ。」
そんな風読みの声も耳に入らないタウロの目が怯えるキペの視線にぶつかる。
「ハユっ? ハユは・・・? おじいさん、ここはお願いしますっ! 僕は―――」
それだけ言うとキペは工房を抜け、弟を探しに店々の居並ぶ通りへ走り出た。
「これは・・・なんなんだ?」
全く予期せぬ事態と状況にキペの頭はただただ混乱する。
「おーい、兄ちゃーんっ!」
それでもハユの声が耳に届けばいくらか落ち着けた。
「あぁハユ・・・よかった。」
家が心配になったのだろう、カロたちを見送ったあと戻ってきたハユは無事だった。
キペはそれを確認して土煙の漂う奥に目を遣ると、通りには何やら不吉な影がおかしな音を立てて動いているのが見える。
その数、ざっと三体。
「兄ちゃん、なんかヘンな、岩みたいな鉄みたいなのが降ってきて、そんで・・・」
くうぃーん、と軋むような音、それにがしゃんがしゃんと土を踏む巨大な音が家に近づいてくる。
「と、とにかく、逃げようハユ。」
家の中のタウロと風読みは気になったが幼い弟の方がずっと大事だ。
「さ、ハユっ、行こ―――」
「「あーっはっはっはーっ! 無事着地、ってねー。・・・あー、[打鉄]屋はどこだい?」」
そんな晴れゆく土埃に覗いた、鈍く光るゴツゴツの大きな人影から声が響いてきた。
不思議と、それは女のヒトの声に聞こえる。
「マズいよ、ウチが狙われてるみたいだよ、兄ちゃん!」
だったらなおのことココから離れなくちゃ、そう頭に言葉がよぎるより早くキペはハユの手を握って駆け出していた。
なるべく家から遠いところへ。
もう、家族を失いたくなくて。
タウロも大事だけど、幼いハユを傷つけたくなくて、失いたくなくて走った。
「「どれよっこい、っとね。・・・ここかぁーっ! どりゃーっ!」」
がしゃがしゃーん、と背中では家や工房が壊されていく音が聞こえる。体が丈夫なタウロでも無事でいられるとは思えないほど大きな音だ。
「くっ。」
ハユの手を握る力が増す。
また・・・また、失ってしまうのか。
そんな思いが土を蹴る足にまつわりつく。
「「おーここだー。・・・んーよっこい。
・・・ん? 風読み?
・・・・・・・ちぃっ! さっさと戴くとするかねえっ!」」
そしてまた、ぐしゃぐしゃと踏み潰される音が鳴る。
「く・・・そうっ。」
自分で作った作品にも未練はあった。
みんなで暮らした家にも後ろ髪は引かれた。
「くそうっ!」
それよりも、
それよりも、失いたくないものがそこにはあった。
残してきてしまった。
「ハユっ! 走るんだっ! いいね、僕は必ず戻るからっ!」
こんなにも弱く、貧しい村なのに。
「なんだよ。」
なんでまた、物盗りがやってくるんだ。
「なんなんだよ。」
なんで彼らは・・・・命まで・・・・
「なんでだようっ!」
そして走る体は言葉を紡ぐ速度を超えて瓦礫となった家へキペを送り届けた。
「「おぅ? なんだいあんた。邪魔だぞ?」」
岩や鉄の人種や部族がいるのか?
姿がはっきり見えるとキペの頭にはそんな疑問が脈絡を選ばず浮かんでくる。
でも、今は、
「やめるんだぁ!」
言葉が話せるなら、きっと通じる。そう、キペは信じる。
「「おう、なんだーあんたらっ! 邪魔すると闘うことになるよっ!」」
へ?と振り返ると後ろには風読みを囲んで警邏隊らしき者たちが駆けつけていた。もしかしたら風読みの警護の者かもしれない。さらにその奥では村のヒトたちも各々武器となるものを抱えて立っている。
・・・今のうちにっ!
そう思いキペは折れた木片や土細工の破片を除け、天井の抜けた工房へ滑り込む。
そしてわずかな隙間に目を細めて見遣ると、土埃の舞う瓦礫の陰にかすかに動く命があった。
「お、おじいさんっ! しっかりしてっ!」
抱きかかえようとするも、タウロの胸に突き立てられた短刀からは血が湧き出してぬるぬるとその体を支える手に絡みついてきた。
「キペ・・・か。」
だから、
確実に近づいてくる「その時」への予感が体じゅうを伝う。
振り払っても振り払っても、その予感は拭えなかった。
「はい。・・・キペです。」
乾いた空気に、ただ、ただ、涙が流れた。
襲われたこの現実にではなく、これから大切な家族に訪れるその現実に、涙が流れた。
留めても留めても、言うことを聞かずに流れ落ちた。
「き、ぺ。・・・鉄、打ちってのぁ、・・・だ、いじなものは、・・・た、たかないんだよ。
・・・おま・・・やさしい、からなぁ・・・しん、ぱい・・だ・・き、ぺ。・・・木目、読むん、・・・手鎚の、お・・とを聞いて、集中し、て。・・・自信を、持つんだ、よ。」
うんうん、と頷く。答える。
うんうん、としか言えない自分が情けなくて、救えなくて、答える。頷く。
「き・・・ぺ。・・・おま・・もう、一人前だ、よ・・・。」
「うん。・・・・うんっ!」
がこーん!
は、っとして通りに目を凝らす。
そこには警邏隊らしき者たちの矢や村のヒトたちの投石が大人4、5人分の大きさの侵略者に放たれている様があった。
「く・・・・くそうっ!」
タウロをこのままにはしたくなかったものの、キペも敷地の石つぶてを拾って投げつけた。
怒りより憎しみより悲しみより大きな、ずっと暗く冷たい無力感を退けたくて。
「くそっ!・・・・くそうっ!」
投げつけて、倒れてしまうまで投げつけてやりたかった。
力を込める手も指も、こんなことをするために鍛えたわけではないけど、こんなふうに誰かを傷つけるために育てたわけではないけど、もうわからなくて石を投げつけた。
石も、木切れも、食器も、皮袋も。
流れる涙に気がつかないほど、投げ続けた。
「「だーっはっはっは。効かないねえーっ。」」
「たいへんだー、オカシラがーっ!」
そんな、どこか幼い声にふと目をやればヒトと思われる陰があった。
「「ちょ、え? あ、くそー覚えてろぃっ!」」
都合が悪くなったのかそう残すと三体の鉄巨人は踵を返して背を向ける。
そのうちの二体が両腕に抱えていたのはタウロの作った神像と霊像だった。
「像っ・・・? か、返せぇぇぇっ!」
それが目に留まった途端、キペはまた走り出していた。
どんな武装をしているかもわからない侵略者の、その腕の中を目指して。
しかし
「よしなさいっ、キペっ!」
音のない足で駆け寄り手を取ったのは、風読みだった。
「だ、だけど・・・」
逃げていく一団に容赦なく石と矢が放たれると、バランスを崩した巨人の手からはあれほどまでに手をかけた霊像が乱暴に道端に落とされていく。
「命が、まずは先です。タウロを助けましょう。」
それでもまんまと逃げおおせた盗賊団に残りの霊像と神像は持ち去られてしまった。
「でも、おじいさんはもう・・・」
なおも続く怒声の中、落とされ散らばった二つの霊像は何も言わずにただ寝そべっている。
「助けるのはタウロの魂です。手伝えますね、キペ。」
牙だらけの口しか表情として読み取れなかったが、そのやさしさにまた、涙が流れた。
「・・・はい。」
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