第12話 貸し借りは無しな話

人にはそれぞれ梅雨明けを実感する時がある。


セミの声を意識し始めた時


ボンネットに陽炎を見つけた時


土曜日に家で出てくる昼飯がそうめんだった時


そして、夏休みをふと考え始めた時


一年二組の少年少女たちは三十人全員が胸を躍らせてその日をひたすら待っていた。


内職で課題を進めるアイツ

どうせやらない予定を沢山立てる彼

読書感想文をもう決めているあの子

みんな夏休みを待っている。


普通の顔して毎日を過ごすコイツも......。


「化学は次の授業でノート回収らしいです、よろしくお願いいたします。」

「ます。」

「じゃ、後は先生よろしくお願いします。」

堂々とした顔で席に戻るクラス長もまた、夏を待つ一人。


「....ていう感じでお願いします。じゃあクラス長号令。」

「はい、起立。」


いつもの風景、いつもの世界、いつもの彼らと約一カ月おさらばするその前に。

「さようならー。」


行動しなければ当たり前で平穏な毎日を過ごせる。

「クラス長、今週掃除俺らだぞ。」


それが心地よくなると、いつの間にかゼロから一の行動を恐れるようになる。


「あぶね、思わず貸し作る所だったわ。」

「掃除の貸しはいちじゃ済まねえぞ?」


一学期、最後に思い出を作りたいところだ。

「なあクラス長、化学のノートって書いた?」

「おう、最低限だけどな。」

「まじか、二釈は?」

「俺は全部書いた......。」

圧倒的な集中力でびっしりと埋めた二釈のノートを見て声が出ない二人。


「二釈、貸してくれ!!」

「貸し一...いや、七くらい作れるなら貸すよ......。」

二釈の提案に生唾を飲み、じっくり考えた結果大きくうなずく。


「...クラス長、貸してくれ!!!」

「まあ、貸し十二かな。」

「なんで二釈より多いんだよ。」

床とホウキの間には大きな隙間、風圧でホコリを押し出しながら進める掃除はあっという間に終わった。


「じゃ、今日のチリトリと交渉でどうだ?」

「うぅ...ま、まあやるよ!」

「ラッキー.......。」

「内戸と外間はもう部活行っていいぞ!」

カスみたいなホコリの量をササッとまとめて掃除を終えると、階段をそそくさ降りてジメジメとした熱を拭いながら前へ前へと足を運ぶ。

靴越しに伝わるコンクリートの熱、近づいてきているような気がする太陽の光に照らされた彼らはヘロヘロな中で止まらない愚痴を吐く。


「なあ、なんか時間潰さね?」

「クラス長、珍しい......。」

「クラス長の指示ならしゃあねえなぁ...!」

自動ドアの向こうから流れてくる冷気に目をグワッと開くと熱風と冷風の狭間の列に並びながら自分の順番を淡々と待つ。

当たり前の帰り道が数年後には宝になることを知らない彼ら、太陽を浴びながら買った冷たいフラペチーノにストローを差し込む。


「あ、忘れないうちにノート渡しとくわ。」

「サンキュー、マジ助かるわ。」

片手で苦戦しながらノートのやり取りを終え、飲み物で冷えた体はあっという間。


「...俺から誘ってあれだけど、帰ろう!」

「「おう!!」」

さすがに耐えられないと判断した三人はとっととそれぞれの駅へ向かって行った。




...次の日

「いや、相変わらず暑いな。」

「わかるけど、背中にペットボトル入れんなよ......。」

全身のどこに力を入れても疲労を感じてしまう夏にとうとう限界が来ていたクラス長。

「お前らおはよう....。」

ノートで扇ぎながら登校してきた仲田もまた同じような状態だった。


「おまえ人のノートうちわにすんなよ!」

「いやマジノート助かった、うちわとして。」

「なにで助けてんだよ....ん?」

折れていないかの確認のため開いたノートの端っこに書かれたサンキューの文字と謎のサイン。

「なにこれ。」

「え?こういうの嬉しくない?」

高校生になるまでにみんなが通るような筆記体で書かれた仲田のサインを消しゴムで必死に擦るクラス長。

「あー!消すなよ!」

「これ好きな子にされたら嬉しい奴だから!!」


増える消しカス、消えないサインを必死に擦り続けるクラス長。

「...お前、これ濃い奴で書いたろ!」

「家にあった2Bの鉛筆で。」

「神様...今日だけは感情論を正当化させてください。」

その言葉を合図に掴みがかってくるクラス長に謝りながら修正テープを渡す仲田、サインは上から白く染まった。


「これはさすがに貸し二くらいプラスだわ。」

「ごめんよクラスちょ...え、なに。」

クラス長はノートを閉じると、再び仲田に渡す。


「女の子にノート貸してきて。」

「...は?」

「俺のノート、女の子に貸してサインもらって来て。」


クラス長の大胆な提案に理解できない表情を浮かべる仲田と二釈。


「急に何言ってんだよお前!」

「仲田...これ多分貸し二で済んでるだけましだぞ。」

「...え?」


二釈は席を立ちゆっくり机の周りを回って仲田の方に大きな手を置く。


「ここで借り返さないと、利子が膨らんでくぞ...?」

「トイチ...いや、トナナだわ。」

「トナナ!?」


渋い顔で見つめる二人のオーラの影響か、仲田の目にはポロシャツの上にスーツが見え目の上には薄いレンズのサングラスが見えた。


「お兄やん...まだ若いねんから、ケジメのつけ方覚えとき......?」

「もう、そっち側の人じゃん。」

「てめえの家に請求書送りつけて、全部サイン書いたろか!?」

「...もうそっち側の人とかでもないじゃん。」

渋々頷きながらノートを受け取った仲田、紐なしバンジーを恐れた彼は急いで話を聞いてくれそうな人を探す。


「湯瑠川さん、化学のノートって終わってる?」

「え?終わってるけど...貸しましょうか?」

「あ、貸してほしいって言うか借りてほしい.....」

「え?借りてほしい?」


状況を理解できない湯瑠川の反応にだんだん申し訳なってくる仲田。

「いやごめん...マジでうん、ごめん。ちょっとなんでもない!忘れて!」

首をかしげる湯瑠川の元を離れ、次の交渉相手を探す仲田の元にクラス長と二釈は立ちはだかる。


「待てやお兄やん。」


仲田からノートを奪い、大きなため息をついた彼ら二人は仲田の肩をポンポンして申し訳なさそうな顔をする。


「すまんな...外に迷惑かけんのわちゃうかったわ。」

「あとで俺らも湯瑠川さんトコ謝り行こか.......。」


他人の世界に入る身内ノリのイタさに申し訳なさが買ってしまったクラス長と、二度と変なまねはしないと誓った仲田。


そしてもし自分がノートを借りる側だったら全く同じボケをしてたから、借りなくてよかったと内心ほっとしていた二釈であった。


そして時間は流れお昼の休み時間......。


「あの、長暮くん...。」

「どうしたの?瀧田さん。」

「化学のノートって終わってる?」

「え?」


人にはそれぞれ梅雨明けを実感する時がある。


セミの声を意識し始めた時


ボンネットに陽炎を見つけた時


土曜日に家で出てくる昼飯がそうめんだった時


帰ってきたノートに可愛いサインが書かれていた時。


普通の顔をして過ごすコイツもまた、夏を感じ始めていた。















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る