【ショートショート】『上機嫌』

天然のフカヒレ

第1話 父と子

 さぁ、まずは乾杯といこうじゃないか! 

 と、満面の笑みで升を差し出してくる社長の圧に冷や汗をかきつつ、僕は慣れない手つきで升の中心部分へと自身のは升を当てる。軽く当てた割には木材のいい音を奏でた。


 「かぁ、美味いなぁ! この日本酒、なんといったかな?」


 カウンター越しの板前に慣れた様子で社長が質問する。「『上機嫌(じょうきげん)』ってやつです」返答が返ってくるなり、上司の高笑いが始まった。


 「まさに上機嫌にさせてくれる美味さだ。なぁ諸星くん」


 隣でちびちびと日本酒に口をつける僕は咄嗟のふりにもドギマギしてしまう始末。


 「え、あぁ、いやその、ま、まさに日本の宝ですよねぇ、ははは……」


 自分でも何を小っ恥ずかしいことを言っているのだと罵声を浴びせたい。カウンター越しの板前の苦笑いで僕の心はすでに瀕死状態だ。そんな目で見ないでください。


 「日本のとは大きくでたな! よし、今日は無礼講なんだ! どんどん飲みなさい!」


 ちなみに僕こと諸星大輝(もろぼしだいき)は生粋の下戸である。生粋の下戸なんて言葉はないが、それくらい弱いという意味を込めて一昨年の新人歓迎会や飲み会でも、同期や同輩に伝えている。しかし今日は別だ。隣には社長、その社長が行きつけにしているであろう高級居酒屋に足を踏み入れてしまっている。間違っても笑えない冗談は口にできないがもう遅い。日本の宝という表現は未だ慢性的に僕の心を疲弊させてくる。帰りたい。


 「どうした諸星君、ペースが遅いが最初はビールの方がよかったか?」


 「あ、いえいえ、この日本酒があまりにも美味しいので、つい味わってしまいました」


 僕の言葉に得心がいったようで社長の口角が釣り上る。


 「さすが諸星君、わかってるじゃないか! ささ、どんどん飲みなさい」


 せっかく飲み終わりそうだった升の中へ再び日本酒が注がれる。どひゃーと叫びたい気持ちを押し殺し、満面の笑みを作る僕は表彰者だ。きっとそうだ。


 「と、酔い過ぎる前に本題に入ろうか」


 先ほどとは打って変わって真剣な声音の社長。この切り替えの速さは尊敬すべきところだけど、時と場所を選んでほしい。酔ってたんじゃなかったのか。


 「君を誘ったのは他でもない。例の件だ」


 「え、は、はぁ」


 少しぼーっとしてきたが思い当たる節がある。以前、大切な取引があった。会社の命運がかかていると上司に言われていた。

 しかし、問題が起きた。必要な品数が合わなかったのだ。つまり確認不足。取引先からは『確認なんて、基本を通り越して常識がなってないのかお宅の会社は!』なんて謝罪の余地すら与えてもらえなかった。それ以降、一度も取引をさせてもらえていない。僕の一回のミスでだ。そう、僕のミスで……。


 「実はね」


 「はい……」


 社長の言葉が重くのしかかる。舌に力が入り大量の生唾を飲み込む諸星は、俯いたまま絶望した。入社して三年。ここまでか……。


 「聞いたよぉ! ついにうちの娘と結婚してくれるんだってねぇ!」


 「はい、今までお世話に……ん、へ?」


 鼻の下を前面に伸ばした社長の顔を凝視した諸星は、狐につままれたような顔になった。


 「あ、あの僕、私の解雇の話なのでは」


 「ん? 何を言ってるんだね。私の息子、いや、次期社長を辞めさせるわけないじゃないか! 今日は無礼講だと言ったろ?」


 僕は結婚のこと、勘違いした経緯を話した。以前、大切な取引を失敗させ、未だ治らない取引先との蟠りについてを謝罪とともに話した。しかし、それを聞いた社長の反応は軽薄なものだった。


 「あぁ、いいんだよあんな会社との取引。たかが一回のミスでネチネチと偉そうに、私はあの会社が昔から気に入らなかったんだ!」


 「偉そうにって……」


 社長がそれでいいものかと思う僕をよそに、そこからも愚痴は続いた。これでもかというほどに……。


 「それでだな、本題の続きなんだが……その」


 愚痴を言い終わるや急によそよそしくなる社長。日本酒を一口含み、言葉を発した。


 「お義父さん、と呼んでくれないかね?」


 「え?」


 「あぁ、気が早いのはわかっている。だが……待ちきれなくれね」


 照れくさそうに社長は言った。昔から息子と一緒に酒を飲みたかったこと、そしてお『おとうさん』と呼んでもらうことだ。それを聞いた僕はつい笑みを浮かべてしまった。さっきまで緊張していた自分が馬鹿らしい。隣に座る尊敬できる社長は、いつしか可愛らしく見えるようになっていた。社長との出会いも、婚約者である娘さんからの誘いだった。次第に意気投合し、結婚することになった。その手前、会社では迷惑をかけっぱなしだ。しかし社長、もといお義父さんはこんな僕を息子だと思ってくれている。こんなサプライズ……。


 「ほんと、早いですよ……お義父さん」


 「はは、だよな……はっ」


 不意に僕を見たお義父さんは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに満面の笑みに戻った。


 「ようし、今日は飲んじゃうぞ!」


 僕は手元の日本酒を一瞥した。「まさに『上機嫌』だ」

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【ショートショート】『上機嫌』 天然のフカヒレ @tennenhukahire412

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