過去 2話目


 翌々日。

 いつも通り暗い夜道を家へ歩いていると、一昨日雨宿りさせてもらったアパートの青年が右手に煌々と輝くスマホ、左手に缶を持って部屋の窓から顔を出していた。

「あ、あの子だ。えっと⸺⸺名前なんて言ったっけ。あっそうだ、雷利くんだ」

 この前教えてもらった名前と、話した内容が鮮明によみがえる。私の名前が可愛いと笑ってくれたことも。

 今日は雨も降っていないので何の用も無いが、少し話がしたくなったので近寄っていく。

「こんばんは」

「っ! ああ……このあいだのお姉さん⸺⸺いや、華笑乃さん、か」

 怪訝そうな顔をすぐに綻ばせて私の名前を呼ぶ青年。

「今日は暑いけど雨降ってないね、良かったじゃん」

「おかげさまで濡れないし、雨宿りもしなくていいから助かったわ。今日は傘持ってるっていうのに、皮肉ね」

「あっはは、それはそれは残念だね。でも雨に当たると体が冷えて風邪引きやすくなるし、ほんと気をつけるんだよ? 僕が言うんだから間違いないよ」

 軽口を叩いていたと思えば、私を揶揄うような声で、きちんと身体の心配もしてくれる彼。そういえば、『僕、こう見えて医学生だったんだよね』と話していたっけ。

「ありがとう。そういえば雷利くん、この前医学生だったって話してくれたよね。『だった』って事は……今は何してるの?」

「今は漫画家さんの所でアシスタント、っていうか、医学監修しつつ漫画描いてる。意外と近所だし、好きな漫画家さんだしで楽しくしっかりやってるよ。⸺⸺だった、って言ったのは……折れちゃったんだよね、途中で」

 彼の顔が少し曇る。 

「折れちゃったって、なんで……って、聞いても……い、い?」

 気分を害しただろうかと心配だったが、彼はカラカラと笑ってから言った。

「あっはは、全然良いよ。……弟がねー、死んじゃって。助けられなくてさ。僕が治療できるようになる前に逝っちゃった」

 へへ、と笑ってはいたが、彼が左手に持ったビール缶は、ベコっと音を立てた。これ以上聞いたら彼をさらに辛くしてしまう、と話を変えようとすると、彼が真剣な目をして言った。

「でも学ぶことは全部学んだし、ほんとは医師免許も持ってるんだよ」

 遠くを見る顔に少し怖ろしささえ感じる。それだけ本気だったのだろう。

「だから、医療漫画にテコ入れする仕事もいいかな〜と思って今やってるんだ」

 微笑んでこちらを向いた彼に、慰めや「もったいない」などの言葉はいらないのだろう。

「さ。遅くなっちゃったし、もう帰りなよ。いつまでもこんな所にいたらゆでダコになっちゃうよ」

 彼は暑そうに顔を扇ぎながら、また寄ってね、と言って笑った。

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