誕生日 3話目

 何週間か経ち、また別の日。

 『今日は熱帯夜になりそう!』という朝のニュースに、今夜はゆっくり寝ることは出来ないかもしれない、と覚悟を決めながらテレビを消した。準備を終わらせ、会社に向かう。


 相変わらず適正に割り振られない仕事、進まない案件、上司の舐めるような視線とセクハラ。なぜ開かれているのか分からない会議のメモをとって、パワハラに耐え、感情を殺して理不尽をやり過ごし、退勤できる程まで仕事を進める。

 「好きな仕事」や「やりがい」って、一体なんなんだろうか。


「あ、来た。華笑乃さん、こっち来て!」

 せっかく早く帰れたと思っていたら帰りの電車が遅延していたせいで人に揉まれくたくたになりながら歩いていた私の耳に、あの柔らかい声が届いた。

「こっち。渡したいものがあるんだ」

 窓から手招きする雷利くん。優しい光に吸い込まれるようにそちらへ行くと、彼はラッピングされた袋を私に渡して笑顔で言った。

「誕生日おめでとう、華笑乃さん」

 どうやら私の誕生日を覚えてくれていたらしい。出会った時に教えただけだというのに、正確に覚えてくれていたのがとても嬉しい。

「えっ……ありがとう、雷利くん。覚えててくれたんだね」

 お礼を言うと、雷利くんは照れたように小さく、まぁね、と呟いた後ぎこちない笑顔で言った。

「どういたしまして! 喜んでくれてよかったよ。……それでさ、上がってかない?」


 私は雷利くんの案内に従ってアパートをくるりと半周し、入り口に来た。こんなに立派なエントランスロビーのある建物だったなんて知らなかった。

「華笑乃さん、ここだよ」

 雷利くんがドアを少しだけ開けてこちらに手を振って笑っている。癒されるなぁ、なんてことを考えながら近づいていった。

「ありがとう。……わぁ、部屋綺麗だね」

「でしょう? 僕、整理整頓が得意なんだ。さては華笑乃さんの部屋、汚いな?」

 いたずらっぽく笑う雷利くん。普段と違う明るいライトの下で見る彼の顔は、なんだかいつもよりかっこよく見える気がする。抱いた気持ちを誤魔化すように、私は彼に問いかけた。

「あ、のさ。どうして今日はお部屋に呼んでくれたの?」

 雷利くんは何も言わずに、にひ、と笑って冷蔵庫の前へと滑って行く。

「じゃんっ! 華笑乃さん生誕祭を開催しまーす!!」

 冷蔵庫から振り返った彼の手には、小ぶりなケーキの箱。

「えぇ、こんなものまで用意してくれてたの……? ありがとう!」

 雷利くんはいそいそと箱を開けて、にっこり微笑みながらテーブルにケーキを出し始めた。

「結構前から考えてたんだ。華笑乃さん忙しそうだから、なるべくシンプルにお祝いしてあげたいなーって。華笑乃さん、どっちの味が好き?」

 テーブルにはチョコと苺のショートケーキが二つ並んだ。雷利くんは私に味を尋ねると、小さめのロウソクとライターを両手に持ちわくわくと動いている。

「チョコレートがいいな」

「おお、良いよね〜チョコ。疲れた身体にぴったりだよ」

 雷利くんは手早くチョコケーキにロウソクを立て火をつけると、部屋の電気を消して歌い始めた。

「ハッピーバースデー、ディア華笑乃さん!」

 ロウソクを吹き消すと夏の仄明るい十九時半が部屋に満ち、見慣れた雷利くんの顔がこちらを向いて笑っていた。

「ハッピーバースデー! 仕事大変そうだけど、頑張りすぎないでね」

「うん……がんばる」

「え!?」

「あぁあいやそうじゃなくてっ! 頑張らないことをがんばるっていうか……うぁぁぁ」

 私が混乱していると、雷利くんは吹き出した。失礼な。

「あははっ、もういいよわかったって。ほら食べよ」

 彼は、はぁおもしろい、と言いながら部屋の電気をつけてくれた。

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