第2話  依頼と妻


ズードリア大陸の西端に位置する『アドリア公国』。

『アドリア公国』の『タザの街』。


中心部には、冒険者達が集う『ギルド支部』がある。

俺、ゴクトーは黒いテンガロンハットを被り、黒銀色の瞳で静かにその建物の扉を開いた。


‥‥‥‥ギィィ‥‥


「……あれが、噂の‥‥‥‥ 」

「……本物だってよ、S級の……!」


囁きが漏れ聴こえる中、彼らの視線が俺を貫いてくる。

黒のテンガロンハット、左頬に刻まれた十字傷、腰の二振りの異形の刀‥‥

それだけで『危険人物』と判断されるのも無理はない。


(ったく……ただギルドに来ただけだってのに)


しかし俺は、そんなざわめきを一切気に留めず、受付に向かって無表情のまま歩を進めた。溜息を飲み込み、俺は受付嬢の前に証拠品であるキマイラの尾を置いた。


『冒険者』という職業は、依頼を受け人助けを行うのが基本だ。

薬草採取や物資輸送、盗賊討伐に迷宮攻略‥‥自由であるが故に危険と隣り合わせの生業なりわいだ。


俺は現在ひとりで任務をこなす『ソロ冒険者』だが、今日もある依頼を終えてギルド支部に戻った。

ギルド支部の受付嬢‥‥制服を着た可憐な彼女の前に、俺は静かにキマイラの尾を彼女の前に置く。


「討伐証明だ。それと冒険者証も確認してくれるかい?」


黒縁の白金プラチナのカードを一緒に差し出すと、彼女は微笑みを浮かべて軽くお辞儀をし、証明品を胸に抱きながら奥の解体室に持っていった。


(この笑顔、やっぱり可愛いな……)


内心そう思いながらも表情には出さず、口元だけ緩めて彼女の戻りを待つ。

やがて帰ってきた彼女はニコッと笑みを浮かべ柔らかな声で‥‥


「ゴクトーさん、いつもありがとうございます。こちらが討伐報酬です」


布袋を受け取った俺は中身を確認する素振りも見せず、腰の『アイテムボックス』へ放り込む。


「他に依頼はあるのかい?」


そう尋ねると、一瞬の間を置いて彼女は顔を曇らせる。只成ただならぬ緊張感と空気が俺と彼女の間に流れた。


「本部から近々、A級以上の依頼が正式に来るかと……トランザニヤでヒドラが.......」


動揺を隠しながら俺は彼女の言葉をさえぎり、静かにつぶやく。


「ヒドラ、か……」


ささやくように呟き、きびすを返しながら考える。


(ヒドラなんて無理に決まってるだろ…!俺、今はソロなんですけども……)


心の中で呟き、溜息ひとつかずにギルド支部を後にした。

夕陽に染まるメインストリートを歩き、冷たい風に打たれながら、俺はギルド支部で訊いた話を思い返していた。


────"ヒドラ”──── 


その強大さを知る者は少ないが、俺は知っていた。


(師匠が苦戦した相手だと言ってた……これ、俺に務まるのだろうか……?)


溜息をきたい気持ちを抑えながら、俺は『コイル村』に向かう足を早める。


(おいおい……今日は矢鱈やたらと寒いな……)


整備された街の石畳いしだたみが土と砂利に変わる頃には、更にえする風がほほを撫でる。その風はまるで氷の精霊が使う魔法のように、身体の芯までこごえさせるような風だった。


『アドリア公国』はズードリア大陸の西にありエルド海に面している。だからなのか‥‥ たまに強い風が吹いていた。


『アドリア公国』の中心に位置する『タザ』の街は、華やかな活気と多種多様な文化が交差する城下町だ。

その中央には威風堂々いふうどうどうとした『アドリア公国城』がそびえ立ち、その存在感が見るものを全て圧倒する。周囲には城を囲むようににぎやかな商店とは対照的に閑静かんせいな住居が広がる。


この街を初めて目にする行商人達のキャラバンが立ち止まる。行き交う人々の身なりや、見たこともない種族にきっと圧倒されてるのだろう。この街には『人族』だけでなく、『亜人族』と呼ばれる種族も多く暮らしているのだ。獣人族、エルフ族、ドワーフ族、更には巨人族といった様々な種族が『ズードリア自由貿易条約』の恩恵を受け、この街に集っていた。

彼らがもたらす独自の技術や特産品は、街の経済を活性化させ、更に潤し、文化を豊かにしてくれている。行商人達のキャラバンがこの街を目指し、やってくるのはそれが所以ゆえんだ。古くから『人族』と『亜人族』は共存してきた歴史があり、この街ではその共生が自然なものとして息づいているのだ。


街の通りには武器防具屋、魔道具店、服屋、薬屋、食堂、更には高級店や宿屋等、多彩な店がのきを連ねる。この地に根付く者達の多くは商売を生業としており、賑わいを見せる街並みがメインストリートに広がる。

一方、『冒険者』と呼ばれる自由な生き方を選んだ者達は、滅多にこの街に定住することはない。彼らは旅をしながら依頼をこなし、宿屋や野営で日々を過ごすのだ。だが、俺は少し異なる。

特例の『冒険者』として、今はこの街の近くの村を拠点とし、滅多に旅には出ないのだ。


城下街の賑わいを眺めつつ、俺は街のメインストリート真っ直ぐ歩く。

目指すは街の南端にある関所だ。


「ご苦労様です...」

「お疲れ様です」


挨拶された二人の衛兵に軽く会釈をしながら、顔パスで関所を抜ける。

普通なら身分確認などで時間がかかるが、俺の場合は手間がはぶけるのがありがたい。関所を抜けると、土と砂利で舗装された街道が続く。

ここから南に約二キロメージの場所に、俺の家が立つ『コイル村』がある。


(早く家に帰って、風呂に入りたいんですけども……)


夕陽が傾き、冷たい風が頬をかすめる頃、俺は更に足を速めた。


『コイル村』は木製の古びた看板にその名が書かれた、家が二十軒程点在する小さな村だ。長閑のどかで平和なこの村は、静かな暮らしを送るには打ってつけの場所だ。俺の家は特別大きくはないが特殊な家で、広い薬草畑が併設へいせつされているのが特徴だ。

その畑の前には豊かな草原が広がり、近くには森や川もある。

この村には危険な魔物や魔獣はほとんど現れない。それは理由わけがあるのだが‥‥

ウサギやイノシシ、たまに熊のような生き物が出る程度で、村人達はそれを狩り、野菜等を育て、生計を立てていた。


夕暮れが夜のとばりに変わる頃、ようやく我が家に辿たどり着いた。

冷えた身体に風呂のことを思い浮かべながら、俺はほっとした安堵の息を漏らすのだった。


家の扉を開けると‥‥‥


「おかえりなさい、ダー様!」


桃色の髪、碧い瞳、『ボイン』と共に弾ける笑顔。

俺の妻、アカリがまるで咆哮を上げるような声で迎えてくれた。


(おいおい、その獲物を狙う虎のような目を光らせるのは、いい加減、やめてくれませんかね……)


「……只今ただいま


内心思いつつも口に出すことが許されない現状。彼女の柔らかな抱擁ほうようを受け、俺はほんの少しだけ緊張をいた。


俺が報酬を手渡すと、彼女は俺の身体を触って、怪我の有無を確認しながら微笑み、張っている『△テント△』をずっとさする。


「今回の依頼は楽勝だったご様子で…… なによりです。ダー様」


「まあ、キマイラは火山地帯を棲みとしているからな。氷属性と無属性の魔法で対処すれば、なんとかなるものさ。ハハハ」


目元を下げ細め、乾いた声でそう言いながら、俺は苦笑した。


(キマイラ自体は楽勝だったが、火山の噴火が危なかったんだぞ……

おいおい……俺が噴火しそうだが。そんなにさするな…!)


そう思っていると、心臓の動きが早まる。顔に血が昇ってきた。


「少しソファーでお休みになってくださいませ。お風呂を沸かしますわ」


艶やかにそう言って、妻のアカリは「パチッ」とウィンクを投げる。

一瞬の隙を狙って傷のある俺の頬に、軽くchu♡っとキスをして、頬を朱く染めた。


(……ああ、これ絶対背中流すだけじゃ済まないパターンじゃないか?)


苦笑しつつも、俺は家の温もりにほんの少しだけ緊張をいたのだった。


「私が先にお風呂に入ります。ダー様も直ぐにいらしてくださいませ。お背中を流しますわ。頑張ってもらわないといけないですものね。体力勝負のお身体だから、後で美味しいものでも作りますわ。"ぅふんっ”」


そう言うと、妻のアカリは笑みを浮かべ、腰を揺らしながら上機嫌で小躍こおどりし、風呂場へ向かった。

キッチンがある綺麗に整理されたダイニングのソファーで、何日か振りの我が家にほっと息をいていたのだが‥‥


「ダー様〜〜お背中流します〜〜早くぅ〜〜♡」


艶めかしい声で妻に呼ばれ、立ち上がり風呂場へ向かう。

緊張しながら風呂場のドアノブを掴んだが、急に顔が強張ってしまった。


(背中を…? 頑張ってもらう…? ん? 頑張る?? ん?……)


そう考えながら、俺は風呂場に入った。

俺は小さく溜息をきながら風呂場へ向かう。

扉を開けると、湯気に包まれた浴場の中心にはアカリが満面の笑みで立っていた。


「ダー様、こっちこっち〜♡」


白く透き通る肌と、桃色の髪が湯気に混じってまるで幻想的な風景を描く。

湯船のふちで手招きする彼女は、こちらをまるで狩猟しゅりょう対象を見る猛獣もうじゅうのような瞳でとらえていた。


(おいおい、ただ風呂に入るだけなのに、なんでそんな緊張感が漂ってるんだ……)


「ほらほら、遠慮なんていらないですわよ〜。さ、脱いでくださいませ♪」


「……自分で流せますけども」


「まあまあ、そう言わずに。これは妻の務めですわよ?」


両手を腰に当て、何故か得意げに見下ろすアカリ。

俺が服を脱ぐのを躊躇ためらっていると、彼女は俺の服を掴み、ぐいっと引っ張った。


「遠慮は男らしくありませんわ、ダー様!」


「ちょっ……かったから!自分で脱ぐって!」


「もう遅いですわよ〜〜♪」


(こいつ、完全に狩りに来てやがる……)


全力で抵抗する俺と、それをものともせず攻め続けるアカリ。

まるで俺の任務以上に難易度の高い戦闘だ。


結局、俺は湯船に逃げ込むことで何とか事態を収める。

アカリは背中越しに俺を覗き込みながら言った。


「ほらほら、気持ちいいでしょう?お背中、流しますわよ〜♪」


「……頼むから静かにしてくれ」


(おい、風呂って普通もっと癒されるもんだろ……俺、完全に狩られてるじゃないか)


暫くして‥‥


妻の艶めかしい声が風呂場に響いたことは伏せておこう‥‥


風呂から上がると、妻がダイニングルームのテーブルに食事を並べていた。

風呂上がりの妻はブラは付けず、豊満な胸をあらわにした緑の透けるネグリジェに着替えていた。俺の目を奪う赤のスキャンティーも、より一層対象的な色味のコントラストが色っぽくなまめかしいのだ。元々あっけらかんとした性格の妻らしい装いに、俺の口元が緩むのだが。妻の無言の圧力に、緊張感が漂う中、俺も苦笑しながら寝巻きに着替える。


(…リラックス、リラックス…)


心の中で妻の圧に抵抗しつつ‥‥


夕食の準備を終えた彼女は、まるで幼い子が甘えるように、薬草栽培や治療活動の話を嬉しそうに、身振り手振りを上手く使いながら、顔を歪め早口で語る。

俺の目と耳が彼女の語りに支配されていく。彼女の語りは聴く者を魅了みりょうする程、つややかで可愛いらしい。そして妻は誇らしげに微笑みながら‥‥


「やっと念願のお薬ができましたの! でも、材料がもう足りなくて…」


「無理しないでいいんだ。もし倒れられでもしたら俺が困るからな…」


俺がそう言うと、瞳には憂いが見えたが、直ぐに少し照れたように彼女は笑った。


(……俺にとっては、何よりの"癒し”な・ん・で・す・け・ど・も……)


妻はこの村で唯一の『医薬師』つ『治癒魔法師』だ。

それが今の彼女の生業であり、生き甲斐でもある。

村人が病や怪我に見舞われると、妻は直ぐに駆けつけ、無償で治療をほどこしている。そのおかげで村人からは深い感謝を受け、肉や野菜、穀物、果ては様々な贈り物を手渡される。彼女は「そんなのいいのに」と断ろうとするが、結局押し切られて有り難く受け取るのが常だ。


結婚前、妻は冒険者として俺と共にパーティーを組み、冒険の旅を続けていた。

結婚を機に冒険者を引退し、『医薬師』として生きる為、このコイル村に家を建てた。家の隣にある薬草畑もその為のものだ。

彼女は日々、薬草を丹念に育てている。

俺が今でも冒険者を続けていられるのは、単に彼女の支えのおかげだった。

結婚して数年が経つが、まだ子宝には恵まれていない。

それでも妻との穏やかな日々は、何よりも大切な時間のひとつなのだ。


俺は眉にしわを寄せ食事をりながら、果実酒をひと口飲み、詰まる喉の奥から声を絞り出した。


「実は、難しい依頼が来るかもしれないんだ…」


俺の表情を見て、察した妻が瞳を揺らしながら、心配そうに問いかける。


「ダー様程の方でも、難しいのですか…?」


「『トランザニヤ』でヒドラが暴れているらしい。被害が相当ひどいとかで…

ヒドラがどれ程の強さなのか、正直分からなくてな。師匠も、相当苦戦を強いられたって話なんだ」


一瞬静まり返るダイニング。ワインボトルの中身だけが音もなく静かに揺れる。俺は眉間にしわを寄せたまま、グラスを強く握り締めた。

妻もその言葉に動揺したのか、少しだけ唇の端を噛みながら、俺の黒銀色した瞳をジッと見つめる。緊張感が張り詰める中、静寂を破るように妻が口を開いた。


「あのナガラ兄様が....それは本当に危険な依頼なのですね…」


うつむく彼女の声には不安の色がにじんでいた。


(師匠が苦戦するって... それって、即死レベルじゃないか…)


俺が考え込んでいると、ふと妻が急に立ち上がった。

そそくさと自分の研究室に向かい、間もなく戻ってきた彼女の手には、小瓶が強く握られていた。


「ダー様、これをどうぞ。我が家に代々伝わる秘伝の薬です。これを飲んで、お身体を守ってください」


そう言いながら、妻は艶めかしい笑みを浮かべ、

俺の頬の傷をそっと指でなぞった。その仕草に、俺の心臓がざわつく。


(夜の合図か…?今夜もまた、相当ヤバイ気がするぞ…いや、依頼もヤバイが、 妻の方がもっと…?)


不安を振り払おうと、俺はもう一度果実酒をひと口飲み干した。

ヒドラ討伐よりも手強い夜になりそうだ‥‥

だが、心の隅にはヒドラ討伐の依頼が重くし掛かる。

どこか心配げに俺を見つめる妻を前に、俺は静かに心に誓った。


────どっちも無茶はしないさ────


俺はそう決意しながら、果実酒をあおった‥‥






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