第2話:一生深夜でいたい……



◆◆◆◆



 朝がやってきた。雨は上がり、日差しがカーテンの隙間から差し込んでいる。夜中に起こされたけれど、コクリコが妄想に怯えて暴れたりしなかっただけマシだった。


「おい、起きろよコクリコ」


 俺は布団に潜っているコクリコの肩をゆする。コクリコは低血圧で朝に弱い。昼過ぎまで寝ていることもあるし、その後もだらだらしている場合もある。


「んあ……シンジ……。もう朝なんだ」

「ああ。朝飯作ってやるから起きろ。今寝てると夜眠れなくなるぞ」

「分かってるってば……うう……結局朝が来たんだ。あ~来なくていいのに~。一生深夜でいたい……」


 コクリコは恨めしそうな目で窓の方を見る。


「今日の天気は?」

「嫌味なくらいに晴れてる。洗濯日和だな」

「……仕方ない。曇りか雨だったら寝てたんだけどな。起きるか……」


 コクリコはのっそりと上半身を起こす。目は半分閉じたままで、ずいぶんぐずっている。俺は手早くエプロンをしてキッチンに向かった。


「何作るの」

「目玉焼きとトースト」

「……また卵か。私、卵は嫌いって言わなかったっけ?」

「じゃあ食わなくていいぞ」

「……食べるけど」


 そんなやり取りをしながら朝食を作り終えるころ、ようやくコクリコが部屋から出てきた。まだ眠そうにしている。それでも辛うじて着替えてきている。


「いただきま~す……」


 ダイニングテーブルの前の椅子に座り、辛うじて人間らしい行動と発言をするコクリコ。


「ああ、少し腹に入れればしゃきっとするぞ」

「だったらいいんだけどね……。鬱だと食べるのも嫌になるんだよ。ヨーグルトある? やっぱりそっちにする……」


 コクリコはトーストを皿に戻しながらぼやいた。


「あるぞ。用意しとくから、ちゃんと食べろ」


 俺は冷蔵庫の中からヨーグルトを出してやる。そしてふと思い立って、自分の分をもう一つ用意した。


「なんで二つ?」

「俺も食べるんだよ」

「あ~……なるほどね。でもさ……」

「ん?」

「シンジって、私の事だといつもカンが鋭いよね」


 コクリコはのろのろと蓋を開けてヨーグルトを口に運ぶ。何が言いたいのか分からないが、俺はコクリコを刺激しないように言葉を選ぶ。何気ない一言が猛烈にこいつを傷つけることが何度もあったからだ。


「まあな。同棲してるし」

「……普通こんなかまってちゃんのメンヘラ女と同居する? 私、シンジが喜ぶようなこと、今までしたことないんだけど。私、他人と触れ合うの苦手だし」

「お前スキンシップ嫌いだろ?」

「だいっっっ嫌い。人に触られるなんて吐き気がする。ううん、たぶん吐く。吐いた後自殺する。風呂場で手首切って死ぬ」


 コクリコの目が死んだ魚になる。


「その割には、いつも一緒に寝てるし昨日だって膝枕してやったんだけどな」

「……シンジは別。触られてもなんだか気持ち悪くないから。たぶん、シンジは欲がないんだよ。だから、私みたいな奴にこれだけまとわりつかれても平気なんだと思う」

「そうか?」


 いや、そんなことないぞ。ただコクリコとは恋のような関係にはならなかっただけだ。


「とにかく、私シンジがいてくれるおかげでギリギリ生活できてると思う。だから感謝してる」


 コクリコがうつむいてそう言った。感謝している――と言いつつ、きっと内心は罪悪感まみれだろう。その痛々しさが心に刺さる。


「ああ、まあな」


 俺はヨーグルトをスプーンで口に運びながら言う。酸味だけのヨーグルト。なんだか俺たちの関係みたいだ。


「でもさ、なんでここまでしてくれるわけ? ほら、ギブアンドテイクって言うじゃない。私だって、何かシンジにしてあげたいとは思って……いるん……だけど……さ」


 コクリコのろれつが回らなくなってきた。口元を抑える。


「おい、大丈夫か」

「……吐きそう。ごめん……昨日飲んだあの薬……やっぱり副作用がきつすぎ……る……かも」


 俺は慌ててコクリコの背中をさすってやる。それに反応するように、コクリコは胃の中のものを吐き出していった。広くもないアパートに、コクリコの嘔吐の音だけが響く。外は万人を祝福するかのように晴れわたっている。子供なら、にこにこ顔の太陽をクレヨンで画用紙に描くだろう。その笑顔は、このアパートの中を華麗に素通りしていた。



◆◆◆◆



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