希死念慮の神様~新興宗教『明日なんてなくなれ教』~

高田正人

第1話:世界が全部水没しちゃえばいいのに



◆◆◆◆



「だる……」

「お前さっきからそればっかり言ってるな」

「だって……」


 日付が変わるころに降り始めた雨は、いっこうに止む気配がない。ベッドで寝る俺の隣で、コクリコがぐったりとしたまま手で枕元をまさぐっている。


「何探してるんだ? タバコじゃないだろ?」

「睡眠薬。こんなになる前に、あちこちで買いだめしてあったんだけど……」

「すっかり忘れてたな」


 本当は覚えているのだが、俺は忘れたふりをする。やがて布団をはね除けてコクリコが上半身を起こした。


「そうだ。あそこにまだあったっけ。ちょっと飲んでくる」


 そのままむくりと起き上がるが、またぐったりと横になってしまう。


「やめとけ。そんなもん効くのに時間がかかるだろ」

「うー……」


 ばさっと音を立てて布団を被りなおす。しばらくして、その中からくぐもった声が聞こえてきた。


「……めんどくさい……」


 モゾモゾと動く気配がして、布団の隙間からコクリコの顔が出てきた。


「目が冴えてきた。あーこうなるとうつがぶり返してくるんだよね……。うあ~明日が来るな、日が昇るな、死にたい吐きたい全部終わらせたい――」

「おいおいおい。どうするんだ、今から外行くか?」


 コクリコは面倒そうに首を横に振った。


「今なんか行く気になんない」

「まったく……。ほら、ちょっと起きられるか?」

「ん……」


 俺は布団から這い出ると、コクリコの脇に座った。そして自分の膝をぽんぽん叩く。


「……なに?」

「膝枕してやるよ」

「……なんで」


 なんでと言われても困るが、コクリコは素直に頭をあずけてきた。


「ねえ、シンジ……」

「どうした。コクリコ」


 俺はシンジ。で、こいつがコクリコ。俺たちはまあ――いろいろあって男女で同棲している。小さなアパートに二人で暮らし、俺が仕事に行っている間コクリコは家にいる。誰が見ても、歪で正常とは言えない関係だろう。


 鳥の巣みたいなもじゃもじゃの髪が目立つ俺に対して、コクリコは存在感が非常に薄い。病的に痩せていて肩幅も狭い。顔立ちも暗いし、目付きだって悪い。成人しているけど、体格はかなり不健康だ。全身から負のオーラを出していて、一目で心の病を患っているのが分かる。本当は美人だったんだろうけど、今はすっかりやつれてしまった。


 こいつの本名は理子だが、インターネットの配信者だった時のネームのコクリコで今は呼んでいる。コクリコ曰く「母親からもらったものは全部捨てたい。名前だっていらない。だからコクリコを名乗ってる」だそうだ。


「ねえ……また変な声が聞こえたり幻覚とか見えてきたら、シンジに止めるの手伝って欲しい……」

「分かった。いいぞ」


 こいつからしたら俺は親戚でもなんでもない、ただたまたま同居しているだけの赤の他人だ。それなのにこうやって俺にすがってくる。でも、俺に応じない理由はない。コクリコは恐らく赤くなっている顔を俺に向けて、聞こえないくらいの声で言った。


「シンジもこんな状態だから大変だろうけどさ……。その、捨てないで、ね」


 メンヘラかよ、と思う。いや、コクリコはガチで重症のメンヘラだ。他人の視線が怖くて、他人にいつも嫉妬していて、努力が嫌いで、夢を捨てられなくて、社会に適応できなくて、それでも誰かと一緒じゃないと生きていけない。メンヘラにならざるを得ない。そして結局何もかも取りこぼした果てに今俺と一緒にいる。


「変なこと言ってごめん……」

「謝るなよ」


 俺はコクリコの頭をわしゃわしゃ撫でた。少しくすぐったそうにしている。それからまたぼそぼそと口を開いた。


「雨、止まないね」

「止まない雨はないって有名な言葉だよな」

「いっそ、ずーっと降り続いて、世界が全部水没しちゃえばいいのにさ。そうすれば、しがらみも妬みも対人恐怖症もぜーんぶ、海の底」


 俺は力なく笑った。


「だめだろ、コクリコが生きていけなくなるぞ。それに、溺死って苦しいらしいからな」


 ノアの大洪水を望むのか、コクリコ。自信作を作ったのに評価されず、原因を他者に転化したあげく台無しにする。神様と人間は同レベルなのか? いや、親子だから当然か? この親にしてこの子あり。真っ暗な室内では、嫌でも思考はネガティブに落ちていく。


「ちぇっ。やっぱりそういう正論で私を真っ当にしようとしてくるんだ」


 コクリコは文句なのか納得なのか分からないようなことを言いつつ、またもぞもぞと布団の中に潜り込んでいった。俺は立ち上がってキッチンに行き、冷蔵庫から安物の缶ビールを取り出した。適当に喉に流し込む。窓の外は雨。時間は夜中の三時。雨音以外に何の物音もしない。


「寝たか、コクリコ」


 俺が戻ってくると、規則正しい寝息だけが聞こえた。あれだけ人恋しいようなしぐさをしていたくせに、一人の方が眠れるのかよ、こいつは。でもそれを責める気にもなれない。たまに薬のオーバードーズでわけの分からない妄想を聞かせられるよりは、静かに寝てくれている方がずっとマシだ。


 俺はコクリコを起こさないように、注意深くベッドに横になる。眠くはない。パッヘルベルのカノンが頭の中で流れる。重度のメンヘラと同棲していると、たまに自分までどこかおかしいんじゃないかと思えてくることがある。それでも俺はこの生活を止めようとはしない。雨が上がるのを待ちながら、俺の意識は眠りの中へと落ちていった。



◆◆◆◆



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