第52話 エンドロール(4)

16歳になったら、死ぬつもりだった。

私が初めて設定したゴール。目標。

現実と未来が明るくなかったのもあるけど

一番は、早くお父さんに会いたかった。


小学4年生の時、お父さんが事故で亡くなってから

私の頭はみるみるおかしくなった。


自分がおかしい理由を考えていたら

学校に行けなくなった。


すべての事象が4つじゃないと不安で

それに加えて海を見ると子供に戻ったりして

前例もない病気に頭の中をめちゃくちゃにされて

兎にも角にも、普通に生きられなくなった。


とにかく早く死にたかった。

一日でも早く。お父さんのいるところへ。

私がまた上手に生きられる世界へ。

行きたかった。



死ぬことに対する恐怖は無かった気がする。

いつも腰掛けているテトラポットから飛べば

お父さんと同じように、海で死ねるはずだった。


地獄は20画。天国は12画。

死ぬことって安泰じゃないか。


当時は本気でそんなことを思ってた。

頭のおかしくなった私は

ほんとに本気だった。


「ふと、そんな気がしたんです。あれだけ4の倍数に執着する症状だったんで。4×4で人生を終わらせるのが素敵だとでも思ってるんじゃないかなって。」


「…。」


「死んだらお父さんに会える、とか思ってたんじゃないですか?」


相手は精神科の医師。図星だ。強すぎる。

追い詰められた犯人のように先生の目を見つめる。


湯呑みのお茶を少しだけ口に流す。


「薄々。わかってましたよ。この子死にたがってるな、ってこと。この仕事はね、わかっちゃうんです。潜在的な苦しみとか、心の叫びみたいなのは。全部。特に子どもに対しては。」


「わかってたから、わたしの面倒見てくれてたの?」


「逆ですよ。貴方が死にたがってるのはわかってたけど、何をしてあげたらいいかはわからなかった。苦しんでいるのはわかってるのに、上手に助けてあげられなかったんですよ。そもそも症状が特殊すぎる。手の施しようが無い。無理ゲーです。」


「精神科医も無理ゲーとか言うんだ。」


今度は火傷しないようにふーふーと湯呑みを冷まして、先生がお茶を飲む。


「大好きな父親との別れ、自分でも制御できない思考と2つの人格、他者とのズレ、そして【4】という数字への強欲な憧れ。もうこの子は一生、上手に生きられないだろうって思ってました。」


まだ今も上手には生きれてないよ。

思ったけど、言わなかった。


でも、荒療治だったけど

先生のタイムカプセルは無事に意味を成した。

結果的に1人の少女を、生かしたのだ。

何度も死のうとしたけど、先生との約束がわたしを引き止めた。

生きれば生きるほど、死ねなくなった。

わたしはその約束から9年間

先生に会いたい一心で生きてきた。


「一時は酷かったですよ。症状が。4の倍数の字数でしか話さないし。薬指を切り落とすとか言うし。」


先生が机の一番上の引き出しから、【鮫川音季】と書かれたノートを取り出す。

多分わたしのカルテのようなものなのだろう。


「音楽も嫌いでしたね。音階は7つだから、とか言って。」


「黒鍵も入れたら12音って先生が教えてくれるまではね。」


「土曜日のことも『3角で気持ち悪い』って理由で【ド】って書いてましたね。」


「うん。日月火水木は4角。金は8角。」


「ナナホシテントウの背中にペンで黒丸を1つ…」


「もういいって。」


わたしは恥ずかしくなってノートを取り上げた。

ぱらぱらとページをめくると、丸々1冊、

わたしの症状や行動、言動について書かれている。


「先生これ、出すとこに出したらストーカーかなんかの軽犯罪に引っかかるんじゃないの。」


「なんで私が女児の観察日記つけなきゃならんのです。あなたのお母さんから頼まれてこちとら渋々やってたんですよ。」


「お母さんから?」


「はい。ここに入り浸ってることは一応報告してましたから。そしたらうちの娘をどうかよろしくお願いしますって。いや、うちは学童じゃないんですって断ったんですけどね。昼の休憩で帰ってきたら大体貴方がソファで寝てるから私は昼寝もできなかったし。おやつとか勝手に食べてるし。掃除もゴミ捨てもするわけじゃないのに散らかすし。あぁ…思い出したら段々腹立ってきたな…。」


「ごめん。ごめんて。その節は。ほんとに。」


精神科医なのにアンガーマネジメントどうなってんの?と思ったけど、言ったらほんとに怒られそうだから赤べこの様に頭を下げて謝った。


「そういえばさっきから貴方、4の倍数で話してないですけど、そこは完全に克服したんですね。」


「最近はね、もう大丈夫になってきた。4の倍数じゃなくても我慢できる。出てこなくなったの。もう一人の私が。海を見ても涙を流しても。変な感じ。頭の中が急に独りになったみたい。全クリしたデータが既に1個あるみたいな…」


「最後のはちょっとわかんないですね。」


「これはあくまで推測なんだけどさ、たぶんわたし、自分の人格をもう一つ作ることで、無理矢理【4】に合わせてたんだと思う。」


「どういうことです?」


「繋がってるんだよ。わたしの2つの病状。二重人格と"4"の強迫性障害。」


父親がいなくなって、4人家族が3人になってしまった。空いてしまった席を埋めるために、わたしは2人になった。


いつでも足し引きできる術。

3つを4つに。9つを8つに。

それはわたしが自由にふたりになることだった。



「毎日、海岸のテトラポットに座って海を眺めてたんだ。今日こそは死ぬぞって。そのまま飛び込んで死のうと思ってたんだ。」


「普通」への憧れがあった。

でもその常識は自分には備わっていないものだからそうだとされている事をなぞるしかない。


それすらなぞれもしない自分は、

もう、死ぬしかなかった。


「でも死ねなかった。海を見ると子供に戻っちゃうから。わたしの病気は2つとも、私がわたしを死なせないための仕組みだったんだ。」


よくできた話だ。

わたしは死にたかったのに、私自身がそれをさせてくれなかった。


「誰もわかってくれないって思ってたけど、やっぱり先生は気づいてくれてたんだよね。わたしを生かすためにタイムカプセルになりなさいって、言ってくれたんだよね。」


「先延ばしにしただけです。リミットの16歳まで目前でしたから。あわよくば10年、生きててくれたらいいなって。母親に頼まれた以上、私が死なせたみたいで寝覚めが悪いじゃないですか。貴方は昔から生意気なクソガキでしたけど素直ではありましたから。」


いちいち毒づくなぁ。やっぱり怒ってるのかな。

よくこの毒舌で医者が務まるとたまに感心する。


お茶のおかわりを注ぎにシンクへ向かう。


「まだ死にたいって思ってます?」


精神科医とは思えないド直球の質問。

うーん、とわたしは悩むふりをする。


「私ね。最近嬉しいことがあったんだ。」


「わたしの仕事をね、必要としてくれた人がいたの。なんか、すごく大事にしてくれた。わたしのこと。たった1人。たったの1人だよ。それだけで、生きててよかったなって。思えたの。」


「そうですか。」


「わたしね。わたしが死ぬとき。エンドロールがガーって流れるなら。たくさんの人が載ってほしい。

誰よりも長い、本編より長いエンドロールをね、流すの。わたしに関わってくれた人みんながわたしの人生を大作にしてほしい。だからね、わたし、たくさん出会って、たっくさん仕事して、たくさん生きるの。」


それをこの命の使い方にするよ。

先生のおかげだよ。


ちゃんと目を見て、先生に笑ってみせた。


「しっかり自分と向き合って、本当の自分を取り戻したのは素晴らしい。医療じゃ治せませんからね。」


生きててよかった。

と今、胸を張れることが嬉しい。

やっぱり来てよかった。


「ねぇ先生。今度お医者さんの取材、させてよ。」


よしてください。と先生が苦笑する。


「ネットでみんなが見るんでしょう?

面が割れたら怖いじゃないですか。」


「急に反社みたいなこと言わないでよ。」


ハハハハ、と小さく笑い合う。

モグリじゃあるまいし。ねぇ。

急に先生が黙って真顔でわたしを見る。


「…え?何?…え? 闇医者だったりする?」


「いえ?とんでもない。免許あります。」


何だよ。何なんだよ。さっきの沈黙は。


「また今度にしてください。私への取材は。今日は9年ぶりに元気な姿が見れたので、もう満足しました。また来てください。今日は疲れた。」


急におじいちゃんみたいなことを言う。

全然素直に喜べないけど

また先生に会える約束ができたから良しとする。


それから、と先生が言葉を続ける。


「もう一つ約束。もう、いつ死のうかなんて考えないでください。」


「死ぬのに絶好のタイミングなんて無いんですから。美しく死のうなんて考えないことです。」


「うん。」


「あなたが生きてるだけで嬉しい人が、たくさんいるんですから。」


「先生はわたしが生きてて嬉しい?」


「急にメンヘラみたいなこと言い出しますね。」


「精神科医もメンヘラって言葉使っていいんだ。」


窓の外を見ると、すっかり暗くなっている。

時刻は18時。


「生きて、素敵な大人になってください。」


「わかった。約束する。」


わたしはソファから立ち上がる。


「また必ず会いに来るから。約束ね。その時、精神科医の取材をさせて。わたしの人生のエンドロールには先生の名前、一番おっきく出してあげるから。わたしも先生が生きててくれるのが嬉しいから。」


「約束ですよ。」


ではまた。と片手を上げて先生はそのままゴロンとソファに横になった。


「見送ってくれないの?」


「だってどうせまた来るんでしょ?」


ソファに寝っ転がってスマホをいじり始めた。

信じられない。

こちとら再会の時は涙まで流してやったのに。


「あぁ、そういえば。」


建屋をぐるりと囲う建設足場を指さして

先生は言った。


「どこかの誰かさんが勝手に寄付してくれたお金は施設の改修に使いますから悪しからず。」


「てっきり閉業するのかと思ったよ。」


病院を出て、わたしは歩き出した。

最後まで先生が出てくることを期待していたけど、ほんとに見送りには出てこなかった。

思春期の男子みたいなところが真舟編集長に似ている気がして「男っていくつになってもダサいな」と思う。


また、約束しちゃったな。


次に来る時は、きれいに改装されてるんだろう。

急須も買い替えてたらいいけど。


足取りは軽く。

秋の夕暮れに嬉しくってほっぺが紅らむ。

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