第51話 エンドロール(3)
石ノ森先生。
わたしの通院していた心療内科の精神科医の先生だ。
歳はわたしが中学を卒業するときにたしか50歳。
ということは、現在は還暦が近い。
染めるのを諦めた白髪が、黒髪と陣取りゲームをしているくらいには老けてる。
口調は丁寧で、物腰柔らかな風貌のお医者様。
に見えるが、実際は一番触れちゃいけない地雷の上でタップダンスするような性格の人だ。
古い苔色のソファに座る。
いつもわたしが昼寝していたソファだ。
くたびれたクッションの感覚が懐かしい。
「というか、何ですかその格好は。」
「あぁ、これ、さっきまで結婚式に出席してまして。直で先生に会いに来ました。」
「そんなお呼ばれドレスで精神科に来ないでください。」
たしかに先生の言う通りだ。
今になってこの格好が恥ずかしい。
「風の噂で聞いてますよ。鮫川音季さん、ネットニュースか何かの記者をしてるんですか。」
「職業に関するコラムを連載してます。」
「あの、今更敬語を使わないでください。」
「温かいお茶とか飲みたい。」
「自分で淹れてください。」
ソファから立ち上がり、ちいさな流し台でお茶を淹れる。
急須も9年前のままだ。
お金持ってるんだから買い替えたらいいのに。
茶渋が目立つ。
「鮫川さんあなた、」
背中ごしに先生の声がする。
「何?」
「上手に笑えるようになりましたね。」
「いつ笑ったよ。わたし。」
「ずっとニヤついてますよ。」
「じゃあ上手に笑えてないじゃんね。」
※※※※※
「鮫川音季さん、タイムカプセルって知ってますか。」
9年前。同級生が高校受験でピリついている中
絶賛不登校中だった15歳の私に、先生が聞いた。
義務教育とは馬鹿にできないもので、小学校高学年くらいからあまり学校に行けなくなった私は、言葉も常識も世の中の仕組みもあんまり理解できていなかった。
地球が自転しているから朝と夜が交互に来る、程度の知識は社会人になってから納得したくらいには物事を知らなかった。
「タイムカプセル。知ってます?」
ソファに寝転ぶ私に先生がもう一度問う。
「知らない 7文字は嫌い」
わざと不機嫌そうに答える。
もちろん、4の倍数の字数で。
「思い出の品を容器に入れて埋めておいて、大人になった時に取り出すものです。手紙とか写真とか遊んでたおもちゃとか。お酒なんかも入れます。大人になってから開けたときに懐かしくて嬉しいんですよ。」
「私入れるもの なんにも無いから やだもん」
「貴方がタイムカプセルになるんです。」
「…なにそれ」
「中学校卒業後一切、この病棟への立ち入りを禁止します。一度、今の自分を閉じ込めるんです。10年後に大人になった姿で私に会いに来てください。」
ずっと優しかった先生にいきなり出禁宣告された私は、そんなの嫌だよ、と必死に抗ったけど先生は聞き入れてくれなかった。
「今の貴方を閉じ込めるんです。貴方の大切なものも全て。10年間。閉じ込めるんです。それがタイムカプセルです。」
「私の大切なものを?」
「そうです。お友達も一緒にタイムカプセルになってください。10年間。10年後、元気な姿で会えるのを私はここで楽しみに待ってますから。」
※※※※※
湯呑みで手を温める。
「先生はさ、なんでわたしにタイムカプセルになれって言ったの?」
単刀直入にわたしは聞く。
「私のこと、憎んでます?」
少し間を置いて、先生がわたしを見る
「ううん。そういうのはもう無い。」
「もうってことは、少なからずあったんですね。」
淹れたての熱いお茶を先生が飲み干す。
飲み干してから「アッツッッ!」とか言う。
老人の食道が熱さに無敵説が目の前で立証された。
喉元を過ぎる前から熱いことを忘れてるんだろう。
急須でお茶のおかわりを淹れて、先生がわたしを見る。
「貴方、16歳の誕生日に死ぬつもりだったんじゃないですか。」
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