第50話 エンドロール(2)
よく木登りした大きな木が無くなっていたり
錆だらけの古かったポストが撤去されていたり
多少の変化はあるけど「変わんないなぁ」と呟く。
建設現場で見るような足場が、病棟を覆うように設置されている。
もしかして、近々解体でもするのだろうか。
だとしたら、寂しい。
大嫌いだった学校を午前中(4限)で抜け出して
幼かった私が向かうは病院の裏口。
毎日このエントランスから忍び込んでいた。
塗装の剥がれた四角いブリキの傘立てが1つ。
私が昔、塗料の一斗缶を拾ってきたものだ。
チャイムを押す前にドアが開いた。
まだなんの準備もできていない心が
呼吸を止めて、卒倒する。
頭の中は大波に飲み込まれて、見事に溺れる。
閉じ込めていた気持ちが洪水のように溢れ出して
ひょこっと顔を覗かせた先生を見ただけで
顔をグシャグシャにして泣いてしまいそうになる。
言葉は出ず、棒立ちで先生を見つめた。
「…あれ?」
指紋で汚れた眼鏡。
懐かしい顔がわたしを見下ろす。
「…まだ10年経ってない気がするんですが。」
陸に上がった魚のように口をパクパクさせる。
「あ…………………………ぁ……………はい」
「…え?あぁ、早起きは三文の徳?的なヤツですか。」
声を聞いただけで、喉の奥が燃えるように痺れる。
なんとか、笑う。たくさん瞬きする。
「先生………わたし、その言葉、嫌いなんです。」
透明の鼻水が垂れそうになるのをすする。
「ちゃんと起きれたんですね。鮫川音季さん。」
実体をなぞって確かめるように
ゆっくりとわたしの名前を呼ぶ。
「…はい。お久しぶりです。」
名前を呼ばれたのが嬉しくて
自然と返事を返せる。
「先生。あの、ありがとうございました。」
日頃飼い慣らしたわたしの猫背が
悲鳴を上げそうなくらい深々と頭を下げる。
「……ありがとうございました。」
なにか目印があったほうがいいんだ。
下手くそに生きていく上での
わたしの唯一の道標が今日この日この場所だった。
景色がオレンジ色に染まる。
何度もこの日を夢に見た。
よかった。ちゃんと言えた。よかった。
「先生。ありがとうございました。わたし。あの、
もう大丈夫です。ありがとうございました。」
「会話が成立してないですよ。どうぞ。中へ。」
ケタケタと懐かしい笑い声が頭上から聞こえた。
映りの悪いテレビみたいに頭の中が歪んで消える。
脳ミソも化粧もぐちゃぐちゃになって
わたしは頭を下げたまま 泣いてしまった。
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