第49話 エンドロール(1)
嫌いなものに目を向けて生きてると
人生はうまくいかなくなる。
"好きこそものの上手なれ"
という言葉があるから逆説的に合ってるハズだ。
身を持って知っている。
24年という人生をなんとか生きてきたけど
"変わってる人"というラベルが付いた人間が
自分の他にも世の中にはたくさんいた。
いつも全身ピンク色の服を着ている人。
用を足した後、お尻を前から拭く人。
お箸の持ち方が変な人。ガムを飲み込む人。
ゴキブリが好きな人。砂糖が嫌いな人。
それらは "普通じゃない" "多数派ではない"
というだけで、排他的な扱いを受けたりすることがある。
中傷や無視にとどまらず
宗教戦争などを鑑みると迫害や殺害にも及ぶ。
一方で、医学的に"変わってる人"もいる。
これはこれで厄介なパターン。
例えば、金属アレルギーの人。
ニッケルに過剰に反応する人は硬貨も触れない。
先端恐怖症、閉所恐怖症。
猫アレルギーなんかもそうだ。
広い解釈だとベジタリアンとかヴィーガンとか
LGBTの人も。
自分の生きられる世界が制限される。
就ける職業の幅も狭まる。
普通じゃない人。普通に生きられない人。
総称として"変人"とか"ヤバい人"とか呼称されて
"異常"とカテゴライズされるんだろう。
自分もその"変人"の1人。
大人と子どもの二重人格、なんかよりももっと厄介でクレイジーな病を抱えていた人間。
【4の倍数しか許せない人】だった。
わたしの場合、【強迫性障害】という病の一種。
物の位置や左右の対称性、順序や回数、数字とかにこだわりがあって、それから外れると極度に不安になってしまうものらしい。
原因は大好きだった父の死。
4人だった生活の全てが3人になり
極限に達した不安とストレスによって
わたしの頭は破壊された。
今日に至るまで
わたしの話す言葉の字数は全て4の倍数だった。
14歳のとき。
『指が5本なのが気持ち悪い』と言い出して
自分で自分の指を切断しようとした。
大人になった今思い返すと完全にサイコ漫談なのだが「一番使わないのは薬指だろうな」と決心するくらいには当時は本気だった。
そんな私に
『両足も合わせたら20本。4の倍数ですね。』
と言って止めてくれた人がいる。
今思えば、この返答も完全にサイコ漫談なのだが、当時、わたしの奇行は何度もこの人によって阻止された。
決して大袈裟ではなく、今、わたしが生きているのはその人がいてくれたから。と断言できる。
ちゃんとお礼を言いたい。
彼との約束が今日までのわたしの救いだ。
お京の結婚式の後。わたしは1人で式場を後にした。
古い病院の別館。
通っていた精神科の病棟の前で立ち止まる。
午前中で学校を早退した私が毎日こっそり通っていたあの頃のままだ。
お久しぶりです。石ノ森先生。
なんとなく一礼して、小さく息を吸う。
履きなれないパンプスのつま先を見つめる。
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