最終話 月が昇るし 日は沈む

とんびは鷹を産まない。

例外なく子は親に似てしまうものなんだと思う。

これはもう遺伝学の話だ。

わたしには難しいから、諦めてる。




我が家の人間は

    ▶EASY   NORMAL  HARD

の選択肢があれば、絶対に"EASY"を選ぶ人間の集まりだ。


ゴールが決まっていて得られるものが同じならば、苦労は少ないほうがいい。そもそも難易度にレンジを設けること自体、嘲笑してしまう。

人生は楽な方がいい。当たり前だ。


10月のお京の結婚式ついでに

4年ぶりに実家に帰ってきた。

別に母親や姉と仲が悪い訳ではない。

ちゃんと新年の挨拶と誕生日は祝うし(最近は忘れる)「元気にしてる?」という電話がくれば「元気だよ」と返す。


地元の港町は家を出た日と比べると

間違い探しみたいに何処か少しだけ変わってる。

昔 転んだ道路が舗装されていたり

毎週行ってたスーパーが閉まっていたり

草やぶだった空き地にマンションが建っていたり

実家のテレビが新しくなっていたりする。


大人になった今。なぜだろう。

故郷に帰ると少し窮屈に思ったりする。

わたしだけだろうか。




「今日の九州地方は日差しがありますが、所々で雨や雷雨がありそうです。」


わたしと同い年くらいの天気予報のお姉さんがロボットのような口調で話す。

ほんとにAIなのかもしれないけどもはや区別がつかない。


「雨が降らないうちに行こっかね。」

「ときちゃんお墓。お墓行くよ。」


お花やお線香を準備した母とお姉ちゃんが

幼子の手を引くようにわたしを玄関に誘導する。

4年ぶりに会う家族との距離感も微妙なままで

手持ち無沙汰のわたしは、軽く頷いて靴を履く。


お父さんのお墓は市役所の隣の墓地にある。

この世に残っているお父さんの僅かな欠片が存在している、世界で唯一の場所だ。


お姉ちゃんは花瓶の花を替えに小さな水道に向かう。

母は箒で墓石の周りを掃除し始めた。

今でも律儀に墓参りや手入れをしている家庭はきっと珍しい。

お父さんはお花に興味ないと思うけど。


「少し待っててね。」と言われ、独り取り残されたわたしは何となく墓石を見つめる。

墓石は四角だから好き、

とかはもう思わなくなった。


マッチと線香を取り出して火をつける。

久しぶりの線香の香りに少しむせる。


「音季!マッチ使ったの?危ないからお姉ちゃんがするのに!火傷したらどうするの?」


煙をあげる線香を見たお姉ちゃんがわたしの元に駆け寄る。

未だにわたしのことを小学生くらいだと思っているのかもしれない。

特に言葉は返さずにふたりに1本ずつ線香を渡す。


「わたし、もう今年24歳だよ。」


わたしの言葉に少し驚いた後、母とお姉ちゃんは顔を見合わせて少し笑顔になった。


そうよねぇ。と言ってお母さんがわたしの頭を撫でる。わたしの言葉の意味を全然わかってない。


線香は3本。

ほんとは4本立てたいところを我慢する。


横一列に並んで墓石に手を合わせる。

常識のないわたしは、墓石への正しい手の合わせ方がわからないので、こういう時も隣を見て母のマネをする。

母の背がなんとなく、少し小さく感じた。




「お母さんはさ、お父さんが死んじゃって、辛かったよね。」


お墓を後にして、家への帰り道。

多分こんなこと聞かれたくないんだろうけど

立て付けの悪い網戸を外すような気持ちで

後先も考えずに母に聞いた。


「そりゃあ辛かったよ。まだあんたたち中学生だったし。音季は病気になっちゃうし。」


その節は本当にごめんなさい。

と弁解の余地もなく、言葉に詰まる。


「お母さんはさ、偉いよね。」


母は介護士の仕事をしていた。

いつも夜遅くに疲れた顔で帰ってきた。


朝早くに我々の朝食と弁当を作る。

晩ごはんのおかずは必ず2品目あった。

気づいたら洗濯物は畳まれていて

風邪をひいたら病院に連れて行ってくれた。

寒い季節はコートを買ってくれて。

電気や水は当たり前に使えて。

なにかあったの?と、

なにかあった日には必ず聞いてきた。


それから毎日和ダンスの上に置かれた小さなお仏壇に数分間、両手を合わせて目を瞑っていた。


「すごいよね。母親って。お給料も貰えないのに、毎日早く起きて、ご飯作って。掃除とかお洗濯とかしてくれて。学校行かせてくれて。すごいよ。」 


「当たり前でしょ。それが母親の仕事なんだから。」


仕事、という言葉に立ち止まる。

そっか。

当たり前過ぎて、気づかなかった。

子供を育てるのが、親の仕事、か。


わたしはなんて愚かだったんだろう。


「ごめんね。わたし、もっとお母さんに優しくしてあげればよかった。」


罪悪感と涙が込み上げてくる。


お母さんが一番辛かったはずだ。

一生を共にする約束をした、

世界で一番大切な人を失くしたんだから。

わたしなんかより、ずっとずっと辛かったはずだ。


なのに、わたしは一人で勝手におかしくなって、

さらに迷惑をかけた。

家族にも自分のルールを押し付けた。

払ってくれた学費も無駄にして、

学校にも全然行かなかった。

地元を離れて就職しても、一度も帰らなかった。


「お母さん。ごめんね。わたし。ちゃんとしてなくて。もう大丈夫だから。これからはちゃんとするから。わたし。」


母の腕を握って何度も謝る。

当たり前の事に気づいて今更泣くなんて

24にもなるのに。本当に愚かだ。

駄目な娘だ。


「音季はもう、4つじゃなくても大丈夫なの?」


お母さんがわたしに優しく言葉をかける。

うん。と鼻を垂らしたまま、わたしは頷く。


「じゃあ、"ごめんね"じゃなくて"ありがとう"って言いなさい。」


お母さんと目が合う。

心の中のモヤモヤしたものが一気に吹き飛ぶ。

そうだ。ちゃんとしなくちゃ。

わたしはもう、変わったんだ。


「お母さん、ありがとう。」


「うん。音季も大人になったのねぇ。」 

  




もしかしたら、五十嵐さんの言ってた

"運命の出会い"は

わたし自身のことだったのかもしれない。


もう、あの頃のわたしはいない。


4つじゃなくても大丈夫。

もう、大人になったんだ。


タイムカプセルになって

岬ばあに生き甲斐を教えてもらって

新しい自分と、出会えたんだ。






「石ノ森先生のところには行ったの?」


車道側を歩くお姉ちゃんが、わたしに聞く。


「うん。」


「最初に音季ちゃんを連れて行ったおっきな県立の病院ではね、お薬を処方されたの。飲み見続ければ、脳に障害がある子も他の子たちと近しくなれるかもしれませんって。」


当時わたしは小学6年生。

お姉ちゃんは確か高校1年生。16歳。

本来ならわたしが自殺している歳だ。

ほんとに頭が上がらない。


「でも、一応他の精神科でも診てもらおうってお母さんに私が提案して、石ノ森先生の病院でも診てもらったの。そしたら石ノ森先生は、絶対に薬は飲ませたら駄目って。言ってくれたの。」


「感謝しなさい。音季。あなた、気づいてないかもしれないけど、すごく周りから愛されてるのよ。」


その薬を飲んでいたら、

今のわたしはどうしているんだろうか。

病気なんてとっくに治って

普通に学校に行けたんだろうか。


先生や岬ばあや編集長には会えないんだろうか。

あすみちゃんやジェットやお京とは友達なんだろうか。

"普通"の人になれたとしても

もしかしたら幸せじゃなかったのかもしれない。


そうだね。わたし、恵まれてる。

ちゃんと生きててよかった。

お母さんもお姉ちゃんも、ずっとありがとうね。


という意味を込めて。

「うん。」と返事をした。




予報通り、空は少しずつ曇ってきた。

「お酒を買って帰ろう」

とお姉ちゃんが提案したので

雨が降ってくる前にコンビニに駆け込む。

初めて家族とお酒を飲む気がする。

少し、緊張する。


「ねぇ、音季ちゃん、今夜お母さんか私に仕事の取材してよ。週刊テトラのジョブログのやつ。」


買い物かごにおつまみとビールを入れる。

もちろん、お仏壇のお父さんの分も。


「えぇ〜、いいわよそんなこと。」


「う〜ん。お母さんの仕事の介護士さん、3年くらい前に結構序盤で取材しちゃったからさ。ダブっちゃうんだよね。」


「ちょっと、ダブっちゃうとか言わないでよ。」


「じゃあさ、最近始めた家庭菜園を農家ってことにすればいいじゃん。お母さん、お世話してない割には結構なったよね。ピーマンとか。」


「いや流石に農家もダブっちゃうよ。」


「そのダブっちゃうって言うのやめてよ。」


3人で声を上げて笑った。

お父さんもどこかで見てくれているんだろうか。

お盆とお正月は毎年帰ってくるね。


ふと空を見上げると

雨雲の切れ間から、光が差していた。




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