第49話 丸い水槽(2)
うみはひろいなおおきいな
野月さんが帰ってひとりになったテトラポッドの上。
ずっと歌えなかった歌を恐る恐る口ずさむ。
何年ぶりだろう。
お父さんがまだ生きていた頃
海に来ると、いつも一緒に歌っていた。
車の中だって、お風呂の中だって
わたしはこの歌が好きだった。
お父さんとお別れしてから、この歌を歌えなくなってしまった。
3拍子の歌だからだろうか。
懐かしくて、息が苦しくなるからだろうか。
多分、両方なんだろうな。
3拍子の歌は
お父さんがいなくなってから歌えなくなった。
4人だった家族が、3人になって。
1人足りないのが苦しくて、なんだか怖くなるから。
なんだよそれ。馬鹿みたいだ。本当に。
お父さんのお葬式があった10歳のあの日から、
わたしの頭と心はおかしくなった。
4の倍数でしか言葉にできなくなった。
お父さんのいない家。
お母さんとお姉ちゃんと3人の家。
余った食卓の椅子。
仏壇の線香の数。
1人で眺める海。
数が合わない。気持ちが悪い。
わたしは、わたしで居られなくなった。
4の倍数しか許せなくなった。
漢字ノートのマス目に何もかも敷き詰めた。
それを見つめて、安堵した。
田んぼの田の字の中に好きなものをありったけ詰め込んだ。
頭の中にも見える景色にも、マス目が張り廻った。
ぴったりと収まらないと、苦しくなる。
そこにたくさん入ると、安心する。
足りない席を埋めるために。
受け入れられない現実の帳尻を合わせるために。
大人のわたしと、子供のままの私。
わたしは二人になった。
でも、もう大丈夫みたい。
テトラポットの表面に優しく触れる。
仕事中のお父さんを潰した元凶。
わたしの人生を狂わせたくせに。
ひんやりとした石の肌触りは心が落ち着く。
景色がなんだか、澄んで見えた。
「あのね、お父さん。」
今、あなたはどこを泳いでいますか。
キラキラとひかる水面のような
素敵な場所でありますように。
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