第44話 ヘイ大将(1)
「なんですか。編集長。」
早朝1番、出社するなり編集長に呼ばれた。
声色と表情からどうも不機嫌そうなご様子だ。
胃がキリキリする。
「なんですか、じゃねぇよ。なんでお前今日もパーカーなんだよ。」
いつになく苛立ってる真舟編集長。
何?パーカー?
昨日と同じくしてパーカーを着てきた何が悪いんだろう。
「弊社、パーカー禁止令でも出たんですか?」
眉間に少しの皺を寄せてわたしは尋ねる。
内心、どこか挑発的なわたしとは対照的に、
編集長は結構真剣にわたしを睨みつける。
え?うわ。これほんとに怒ってる。
まさかほんとに出たんだろうか。
パーカー禁止令。
わたしはキョロキョロと目を泳がせる。
しびれを切らした編集長が机を両手でバンバン!と叩く。
鉛筆がコロコロと転がって、落ちた。
「今日はジャパンメディアアワードの表彰式だろうが!正装で来いって言っただろ!!」
オフィスに怒号が響く。
…ジャパンメディアアワード?? 正装??
朝から最大出力で怒鳴られて、まだ完全に起きていない脳みそが飛び跳ねる。
そして飛び跳ねたわたしの脳みそは、心当たりが全くない単語の羅列に困惑している。可哀想に、。
「はぁ?なんだよお前、その恰好で壇上に上がってスピーチすんのか!?えぇ!?」
ちょうど出社した潮田が不意打ちの怒号に「ヒッ」と声を上げ、『最悪…』の顔をする。
完全に臨戦態勢の編集長。沸点到達。
ボルテージMAX。なんちゃらサイア人。だ。
しかし当の矛先わたしはというと、困ったことに何のことを言っているのかほんとにさっぱりわからないのである。
壇上??スピーチ??アワード???
「ちょちょ、ちょっと、待ってください。」
ご立腹の編集長を、手のひらを大きく広げて制する。
「そのジャパン…アワード?ってなんです?何?
壇上で、スピーチ??って?なんですか?」
オフィスに沈黙が流れ、エアコンの音だけが聞こえる。
「…は?お前…メール見てねぇの?」
氷水でもぶっかけられたかのように、編集長の怒りの熱が冷める。束の間の沈着。
「…見ました。だからパーカーで来ました。。」
オフィスに沈黙とクエスチョンマークが充満する。
相変わらずエアコンの音だけが聞こえている。
「編集長、これ、」
潮田がパソコンでメールボックスを確認する。
画面に映る、昨日受信した編集長からわたしへのメールを3人で覗き込む。
そこには【明日は清掃。】とだけ書いてあった。
「これ、漢字…間違ってません?」
解釈次第では『犯人はお前だ』とも取れる潮田の言葉に、オフィスの空気は完全に凍りつく。
「ピッ」とエアコンの温度を1度上げて、わたしは一言。
「"汚れてもいい服"で来たつもりなんですけど。」
片方の手でフードの紐をつかみ、ぶらぶら揺らしてみせた。
編集長の顔が青ざめていく。
「正装」と「清掃」の漢字を間違えたのだ。
自分の左腕にパチンっとしっぺをして
「ごめんな、」とわたしに謝る。
「だからいつも言ってるじゃないですか!メールは送信する前にちゃんと確認してくださいって!壇上にパーカーで立つの、サメ子先輩さすがに可哀想過ぎません!?」
潮田が編集長の耳元で叫喚する。
ほほほ。入社して半年。彼女も言うようになったもんじゃわい、と笑う脳内の能天気お爺さんを蹴飛ばして、正気のわたしは脳内センターマイクを奪う。
「ちょっと待ってってば。何なの、その壇上に立つっての。」
「え。だからジャパンメディアアワードの」
「だから!そのなんちゃらアワードってなんなんですか!?」
またもやオフィスを沈黙が支配する。
オフィスの静寂が飽和静寂量に到達し、窓ガラスにピシッと亀裂が入る。
「…もしかして、サメ子先輩、自分の記事がジャーナリズム賞を受賞したって話、聞いてません?」
「……うん。…聞いてない。」
「……お前、…まさか…ほんとに全部、何も聞かされてねぇのか?」
「……? 何も聞かされてねぇ、です。 」
「じゃあ先輩、賞金70万円のことも、聞かされてないんですか?」
「何?70万っ?え?わたしの記事、なんか賞、取ったんですか?」
混沌だ。これをカオスと呼ばずして何時が混沌だ。
わたしの知らないところで、何やらビッグなわたしの三面記事が号外で出されているらしい。
「これヤバいわ。完全に俺の伝達ミスだ。当の本人だけに知ってると思い込んでた。サメ子、すまん。」
「謝ってくれればそれでいいんですよ、じゃないんですよ!ちゃんと1からわたしに分かるように説明してください。」
編集長がチラリと潮田を見る。
代わりに説明してくれ、って意味だろう。
「今日は東京でジャパンメディアアワードっていう、編集者やら記者やらカメラマンなんかを対象にした、報道やメディアに関連する職業全般の表彰イベントがあります。主催は文部科学省。まぁまあ規模は大きめです。ちなみに、3ヶ月前くらいには社内で通達されてました。」
「そこでお前のジョブログの記事がジャーナリズム賞を取った。世の中の出来事や日々の時事的な問題にいい感じに突っ込んだ記事に贈られる名誉ある賞だ。当事者のお前にはサプライズのために黙ってた。ってことにしてくれ。マジゴメン。」
この期に及んで、さっきの怒号と沈黙をチャラにしようとしてる。
大人げないなぁ、とか思いつつも、わたしの鼓動は早くなる。
わたしの記事が、賞を取ったらしい。
わたしの仕事が、なんかとんでもなく偉い人たちに評価されたんだ。多分、そういうことだ。
「すごい…。凄いことですね。それ。」
「サメ子先輩にはスピーチの時だけわたしの服貸しますんで。喜ぶのはそれくらいにして、もう会社出ないと新幹線間に合わないです。チケットは私が3人分持ってます。」
喜びに浸るわたしに、潮田が腕時計を指さして言う。
文字盤が長ネギくらいの直径しかなくて、それ時間見えんの?と聞きたくなるが、この子がいてくれてよかった、と思った。
1番若くてキャピキャピしてるくせに、この中の誰よりも大人だ。
急いで机の上のファイルやら筆箱なんかを適当にリュックに詰め込んで、早足にオフィスを出ようとする2人の後ろを追いかける。
「ねぇ、わたしの賞取った記事ってどれ?お弁当屋さんのやつでしょ?え、もしかして占い師のやつ?それとも駄菓子屋さんのかな?あれ自信あったんだよ我ながら。」
そうだったらいいな。と思った。
岬ばあが脳内でわたしに親指を立てる。
編集長がこっちを振り向く。
「いや、あれだ。屠畜場のやつ。」
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