第34話 よこがお(3)

静まり返った炉前のホール。


いつかのわたしに、涙と不満と本音を打ち明けて

テトラポットの上で泣いていたあの少女が。

確かに今、目の前でわたしの名前を呼んだ。


「やっぱり鮫川さんだ…ほんとに来てくれたんですね。」


無音のホールに野月さんの声と足音だけが響く。

なんであなたが?と混乱するわたしを置き去りに、先日はすいませんでした、と頭を下げる。


「おばあちゃん、よかったね。大好きな鮫川さん、来てくれたね。」


棺桶に眠る岬ばあに向かって、野月さんが顔を近づける。


野月秋埜さん。

岬ばあのお孫さんだったんだ。

そういや岬ばあ、言ってたっけ。

もみじやはお孫さんが産まれたときに開店したって。この子だったんだ。


「おばあちゃん、鮫川さんの書いてくれた駄菓子屋さんのお仕事の記事、何十枚も刷って、親戚みんなに配ってたんですよ。」


野月さんはそう言うと、棺桶から無造作に大きな折り鶴を1つ取り出すと、開いてみせた。


そこにはわたしの書いた、駄菓子屋の取材の記事が印刷されていた。


何故か野月さんが得意げに微笑む。


「普段は頑固に振る舞ってたかもしれないけど、おばあちゃん、鮫川さんのことすっごく好きだったんですよ。」


他の折り鶴も開いてみると、やっぱりわたしの記事が印刷された用紙で折られたものだった。

なんだこれは。状況が全く飲み込めない。


風呂場でツチノコが死んでいた、みたいな

大きなあくびしたらギネス更新してた、みたいな


そんな気分。


「あの、何?これ?岬ばあ、…」


自分の書いた記事と岬ばあを交互に見て

わたしは狼狽える


「恥ずかしかったんじゃないですか。おばあちゃん、そういう人だから。」


火葬場ごと吹き飛びそうなくらいに晴れやかな笑みで、野月さんがにっこりと微笑んだ。


「さっき、自分を肯定する為に仕事してるって言ってましたけど、少なくともおばあちゃんは鮫川さんのお仕事で幸せな気持ちになってます。」


野月さんの言葉が新幹線のドア上の電光掲示板みたいに文字になってわたしの中を流れていく。


鮫川さんのお仕事で幸せな気持ちになってます。


だって。


「私も。ここにいる人たちもみんな。鮫川さんが書いてくれたおばあちゃんの記事を読んで、幸せな気持ちになりました。ホントです。」


わたしの仕事が、岬ばあを幸せにしたって?

わたしの仕事が、みんなを幸せにした?

わたしが?わたしの仕事が?



ただ、わたしは岬ばあの最後に立ち合いたくて

悔いを残したくない一心で来ただけなのに。

ここにいる人たち全員が、わたしの書いた、

駄菓子屋さんの記事を読んでる。らしい。

逆ドッキリ ってやつなのだろうか。


参列者の中から、男の人が1人近づいてくる。

いきなり斎場に飛び込んで来たわたしに

最初に声をかけたおじさんだ。


「母さん、最近一緒に釣りをしたり遊びに来てくれる女の子がいるって、いつもあなたの事を嬉しそうに話していましたよ。」


わたしに握手を求める。

岬ばあの息子さんなんだろう。

どことなく似ている。おでことか。


嬉しいのか恥ずかしいのか、身体中の細胞がビリビリする。たぶん、両方だ。

どんな顔をしていいのかもわからず


「なんか、悔しいです」


としょうもない台詞を絞り出した。


「お礼を言いに来たのに、そんなにお礼を言われるなんて思ってなかったから」


小さく息を吐いてわたしは棺桶の前に立つ。

目を閉じ丁寧にお辞儀をして、両手を合わせる。

泣いてしまうのは、勿体ない。


「ねぇ、岬ばあ」


見慣れた、駄菓子屋のおばあちゃん。


「あの…、さっきはごめんね。変なこと言って」


優しそうな顔のすぐ隣に

四つ折りにした自分の記事をそっとおいた。


「いつも隣にいてくれてありがと」


天国でもずっと隣にいてあげるからさ

また一緒にラムネを飲もうよ。






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