第25話 時間の繭(2)

~前回までのあらすじ~


「テトラジャーナル 新入社員の潮田優香です。

鮫川先輩、牧場に取材に行ったつもりが、屠畜場に連れて行かれちゃったみたいです。そんなことあります?なにはともあれ取材、頑張ってくださいね。お土産待ってま〜す。」



■■■■


 

時刻は11時半。堀味牧場に取材に来てからまだ30分しか立っていないのに、わたしの精神は既に限界を迎えていた。


喜怒哀楽が機能しない代わりに、五感が研ぎ澄まされる。

感情を全て使い果たしたような、初めての感覚だ。


やっとの思いでどうにかこうにか足を動かして、

奥にある事務所のような小部屋にたどり着いた。


『よく耐えた。大概の見学者はあそこですぐに引き返す。』


この施設の責任者である村瀬さんが仏頂面ではあるがわたしを褒めてくれた。


働かない脳みそで「えぇ…はい…」と力無く返事をした。

鼻からに久々に空気を取り込み、肩で大きく吐き出す。


『今見てもらったことが全てだ。ここでは牛や豚、鳥などの家畜を機械と手作業で殺傷し、精肉までしている。』


村瀬さんが説明してくれる。

意外にも、率先して話を勧めてくれるタイプの人だった。記者としてはありがたい。


『動物が目の前で殺されたり死体が並ぶのを見るのは、おそらく初めてだと思う。俺も最初の頃は頭がおかしくなりそうだった。』


羊の毛刈りの見学や乳搾り体験ができるのかと思ってました。

なんて皮肉る元気もない。

わたしは何か返事をしようとしたが、半目で頷くことしかできなかった。


まだあの光景が脳裏に焼き付いて離れない。

なんなら機械の轟音も血の匂いもこの部屋の中まで浸透してくる。


 

目の前にぶら下がる肉塊に

わたしが今まで知らなかった既成事実を

これでもかというほど叩きつけられた。


今まで自分が肉や魚を食べているシーンが断片的に頭に浮かぶ。

当たり前だけど食卓に並ぶハンバーグも唐揚げも

生きた動物だったのだ。


店頭に並ぶきれいなお肉は編集された姿だ。

✂カットされた誰もが見たくない部分✂

知らないフリをしていた"それ"を本日、

まざまざと見てしまった。



【犠牲】


なんて言葉が朦朧とする頭に浮かぶ。

皮肉にも、どちらも牛偏だな。なんて思う。


みんなほんとはわかってるんだ。


まな板で切ったお刺身が

玉ねぎと一緒にこねたひき肉が

焼き目をつけたステーキが


生きてたこと。


『食事ってのは食材の味を楽しむことじゃない。』


村瀬さんの冷徹な目がわたしの瞳を捉える。


『何かの命を代償に、俺達が生きるのに必要な栄養を摂取することだ。本質はな。』


わたしは口を真一文字に結んで村瀬さんの目を見る。




誰もしたくない仕事がある




危険な仕事。汚い仕事。何かを殺める仕事。


屠畜場や保健所、汚物の汲み取り、死体や廃棄物の処理。

高所の作業や災害の撤去作業。。


人がやりたがらない仕事が世の中にはたくさんある。

高給だが、もちろん大きなリスクと隣り合わせだ。


でも、その人たちのおかげで世の中が成り立っている。

お父さんの言うとおりだ。


「村瀬さんはどうしてこの仕事に就こうと思ったんですか?」


わたしの質問に、村瀬さんは頭をポリポリとかいて、少し下を向いた。


『昔、事故をしてな。俺の過失なんだが。』


『お相手に怪我を負わせた。後遺症が、残った。保険には入っていたが、多額の慰謝料が必要になった。札付の大男でも雇ってくれる給料のいい仕事を探したら、こんなとこにたどり着いた。』


淡々と話す村瀬さん。でもどこか自信なさげだ。


『動物を殺すのに慣れたかと言われればそんなことは絶対にない。例えば、鳥インフルエンザが流行った年には自衛隊や役所の職員から要請を受けて、1万羽の鶏を殺傷処分しにも行った。俺は別に殺し屋をやってるわけじゃないのにな。そんときは1ヶ月、飯が喉を通らなかった。』



【断腸の思い】なんてよく言ったもんだ。

この人たちはほんとにはらわた千切れる思いで

毎日動物の肉を捌いてるんだ。


『記事にするのか、俺の仕事を。』


村瀬さんがわたしに尋ねる。

質問の意味は、なんとなくわかる。


「迷ってます。グロテs…、センシティブな内容なので。でもわたし、ちゃんと伝えたいです」


『グロテスクで間違ってねぇよ。大変だと思うけど、お前も頑張りな。』


村瀬さんはそう言うと

少しだけ、子供みたいに笑った。


帰りは事務所の勝手口から外に出してもらった。

じゃあ始めからこっちから入ればよかったじゃん!

とは言えなかった。疲労で。


じゃあな、と既に背中を向けている村瀬さんと

いつかわたしの口の中に入るかもしれない動物たちに丁寧にお辞儀をして、ふらつく足でわたしも歩き出した。



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