第24話 時間の繭(1)

※※(3)※*

京坂千鶴


母は市議会議員をしていた。

幼い頃にはよくわからなかったが

「この町のみんなの代表なんだぞ」

と父に教えられ、

強くて優しくて忙しい母が誇らしかった。


漫画に出てくるお嬢様のような

裕福な家庭に育った。

大きな家に家族3人で住み

母も父も、忙しい日々の中でも疲れた顔一つ見せず私との時間を大切にしてくれた。


家庭教師に勉強は教わり

ピアノもバレエも茶道も書道も武道も

私がやりたいことはなんでもさせてくれた。

毎年夏休みには旅行に連れて行ってくれて

誕生日には海外ドラマのようなパーティーを

開いてくれたこともあった。


私も負けじと、母の日には真っ白な百合と手紙を

父の日にはケーキを焼いて食べてもらった。

「千鶴は私たちの自慢の娘よ。」

と大好きな2人に喜んでもらえたときは

この世の全てを手に入れたような幸福を感じた。




中学3年生になった4月のこと。 

【一寸先は闇】

という言葉があるが、まさにこの一瞬に

その境目を家族3人で踏んづけたのだろう。


母が警察に捕まった。

選挙区の政治家を賄賂で買収した、と

どこかの誰かがでっち上げた話が

噂になり、ニュースになり、濡れ衣となって

公職選挙法違反の容疑で罪に問われたのだ。


我が家には毎日のように警察が押しかけ家宅捜索がされた。

父も母も「そのような事実はありません」と私からしてみれば当たり前のことを何度も述べた。

正直者が馬鹿を見る、とは本当だ。

世間は何も、信じてくれなかった。



「この町のみんなの代表」が悪者だったと聞きつけ、ハリボテの使命感とカメラ両手に配慮の無い週刊誌のマスコミが湧き、玄関先から尋問のような下品な取材が投げかけられた。


無論、登下校時の私にもマイクとカメラは向けられた。

ゾンビ映画のゾンビのような数の大人に囲まれ、

ママは怖い?厳しかった?

欲しいものは何でも買ってもらえるの?


と有りもしないことを、銃弾のようなフラッシュと共に一方的に聞かれた。

恐怖で泣き出した私はなんとか家に逃げ込むも

鳴り止まないインターホンと大きな声に怯え

学校に行くことすらもままならなくなった。


母に贈賄の事実がなかったことが証明されると

謝罪も補償もないまま報道機関は騒ぐ事を辞め

マスコミも急にいなくなった。

興味がなくなったのだ。


それでも私達にしてみれば、約1ヶ月の拷問が終わり、普通の生活が戻ってくる予感がしていた。

が、実際には違った。

闇は思ってたよりも先まで続いていたのだ。



ご近所も学校の友達もどこかよそよそしくなり

外を歩くと指を差される日々が待ち受けていた。

「今住んでいる家も市の予算で建てた」

「娘さんの教育費にも我々の税金が」

などと音も葉もない噂も流れていた。


母にも父にも私にも何の罪もないのに

当然のように続編のように痛ぶられる日々。


それもそうだ。

テレビやSNSで世間を騒がせた【悪者】が

自分の住む町にのうのうと暮らしているのだから


母は議員を辞職した。

私達3人はこの町を出ることを余儀なくされ、すべてを置いて遠い九州の港町に引っ越してきた。


母は新しく、校閲の仕事を始めたが

その後ろ姿は別人のように老け込んでしまった。

私の顔を見る度、申し訳無さそうな顔をして

「ごめんね。千鶴。」

と私の肩を抱き、見えないところで涙を流した。

私にはそれが、一番辛かった。


大丈夫だよ。お母さん。

私は大丈夫だからね。

お母さんはなんにも悪くないもん。


私にできることはこれ以上お母さんに

辛い思いをさせないこと。

私が泣いたら家族が悲しむ。

絶対に涙は見せない。


そんな私、京坂千鶴(きょうさかちづる)に

転機というか、とある出会いがあった。


 


中学3年の夏。転校してきた中学校の期末テストで学年1位を取ってしまったのがいけなかった。

社会性もある程度備えた中学3年にもなるとこの情報社会において転校生の私に関するゴシップは既に筒抜けだったのだ。


「お金で先生を買収したんじゃない?」


と誰かがふざけて言った言葉に、教室は笑い声と野次に包まれた。


もちろん、私を庇ってくれる子もいたけど、受験前の大事な期末テストが都会から越してきた知らない女のせいで席次が1つ下がったのだから、あまりいい気はしなかっただろう。

ここにも私の居場所はなかった。

卒業まであと半年の辛抱だ。




お昼休み、自転車小屋に隠れるようにしてお弁当を食べていたら私に声をかける子がいた。


ショートカットの女の子。

足元は室内履きのスリッパのまま。

わざととしか思えないような箇所の髪の毛が

跳ねている。


いつもここでお昼を食べているのだろうか。

私を見つけるなり、気まずそうに近くに座った。


「あの、私、1組の鮫川って言います。あのさ、お、お弁当のおかず、交換しない?昨日の昼も夜も食べた魚のフライがまた入ってて。その、飽きちゃって…」


恥ずかしそうにお弁当箱をこちらに見せる彼女の言葉には、何というか、嘘も私に対する嫌悪感も無く、本心をそのまま話しているのが明け透けだった。


「いい、ですけど。」


私はお弁当から唐揚げを1つ箸で掴み

鮫川さんの弁当箱に移した。


「えぇ…!唐揚げ!?いいの!?本当に??ありがと!!あのさ、あなた、制服違うけど転校生?ですよね?、名前なんて言うの?」


鮫川さんはなんというか、15歳にしては言動が幼く感じた。精神年齢そのものに違和感がある。

思ったことがそのまま口に出る性分らしく、

一瞬で一驚一喜一憂し、笑顔をみせた。


「京坂と申します。京坂千鶴。先週東京から引っ越してきました。鮫川さん。よろしく。あのね…」


「うっわあ!!うんま…、これ、おいしい!!東京の唐揚げは全部こんなに美味しいの??」


私の自己紹介もそこそこに、鮫川さんは口いっぱいに唐揚げと白米を押し込み、眩しいくらい目をキラキラさせた。


「おいしい!人生で1番美味しいよこれ!ね、京坂さんのお母さんが作ったの?いいなぁ、お弁当、毎回この唐揚げ食べれるの?いいなぁ。。素敵なお母さんだねぇ。唐揚げだけでご飯全部いけちゃうよ。おいしいね。」



内情を知らないのだろうけど、

私とはあんまり仲良くしない方がいいです。


素直で優しい鮫川さんの為に先に忠告してあげようと思った。

私と仲良くすると、あなたも、みんなから。




「き…京坂さん?」


気づけば私は、自分のお弁当箱に大粒の涙を落として泣いていた。

我慢しても、涙腺が言うことを聞かない。

何故かは自分でもわからなかった。


「ご、ごめん!ごめんね!京坂さん!!食べたらダメだった?やっぱ唐揚げはダメだったよね??ね?ごめんね!!」


「…違うの、」


鮫川さんの方を見て笑おうとしたが、目から無限に湧き出る私の涙は、何故か止まらなかった。


泣いたら駄目だ。ずっと我慢してたのに。

真っ暗な心の真ん中に、私の全身に

彼女の裏表の無い言葉が染み渡る。


きつく締めた真結びの糸が一瞬で解けたように。

ここ数ヶ月分の私の真っ暗な苦しみが

涙になってお弁当箱に溶けていく。


「素敵なお母さんだねぇ」


何気ないその一言だった。

12文字。たったそれだけ。


 

そうなの。そうなの。

とっても素敵なお母さんなの。

強くて、優しくて、町のみんなの為に働いていた

大好きなお母さん。


なのに。

誰もわかってくれなかった。

お母さんはなんにも悪くないのに

お父さんも、私も、

心無い人たちにたくさん傷つけられたの。


私は鮫川さんの跳ねた髪の毛に触れて

ボロボロと泣きながら、声も出せずに

ありがとう、と何度も首を振り、まばたきした。


泣きじゃくる私に少し怯えながらも、

キョトン、とした鮫川さんは「ねぇ食べていいやつだった?」と恐る恐る尋ねる。


涙で濡れた鮫川家の魚のフライは

しょっぱくて優しい味がした。

膿を全て出し切ったかのように、泣き止んだ私は晴れやかな気持ちで彼女を見つめる。


「明日も作ってもらうね。唐揚げ。お母さんにお願いしとくから。とっても喜ぶと思う。だからまた明日も、交換してね。」


私の言葉に、ほんとに!?と子犬のように喜ぶ鮫川さんを見たその瞬間、あぁ、我が家の"闇"の期間は完全に終わりを迎えたのだ、と思えた。


私はあなたに救われた。


音季。私の永遠のヒーロー。


あなたが呼んでくれるのをずっと待ってたの。


何年経ってもどこに居ても

あなたが悲しくてうつむいているときは

必ず私が駆けつける。

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