第22話 マズルカ(2)

※ ※(2)*※

三宮和弘


飛行機が好きだ。

他のことはどうでも良くなるくらい、飛行機のことばかり考えていた。


人は空を飛ばない。飛べない。

だから飛行機が空を飛ぶのが不思議で、

素敵でたまらなかった。

好きの理由はシンプルだ。



週末はいつも空港に行って日が暮れるまで飛行機の離着陸を見ていた。

おもちゃもゲームも友達もいらなかった。

本当は欲しかったのかもしれないけど。

ただ、空を飛んでる大きな機体を

飽きもせず見つめている、そんな子供だった。


ヒーローごっこもサッカーも僕には退屈だったからだろうか。

そっとしておいて欲しいのに。

周りの同級生はそんな僕を異端だと虐めた。



僕は何か間違ったことをしたのだろうか。

誰かに迷惑をかけただろうか。

みんなは飛行機が空を飛ぶことが不思議じゃないのだろうか。




"異端"なものを排斥するのは人間の本能だ。

集団主義。同調圧力。なんて言葉があるが、

自分と周りが同じ考えだと落ち着くのだろう。

 

大切にしていた飛行機の写真を破かれたり

一緒に墜落して死ねばいい、

などとどこで覚えたのか、小学生とは思えない酷い言葉を学校では毎日の様に浴びせられた。



虐めや仲間はずれは行為じゃなくて概念だ。

暴力や言葉以外の形で″運命そのもの″がダイレクトに襲いかかってくる。

仲間はずれにされた人間は、

"仲間はずれにされた人間の生涯" を歩むのだ。



別に悲しくない。

あんな下等な奴らに、僕の好きなものが理解されてたまるか。


そんな僕、三宮和弘(さんのみやかずひろ)に

転機というか、とある出会いがあった。




「ねぇ、空ってすごいよねぇ、木とか生えないし」



昼休み、少し雲のある空だった。

校舎の渡り廊下で一人。

大きな機体が西の空へ向かうのを眺めていた。


「ね、三宮くん、空ってすごいと思うの。

手入れとか、要らないんだよ」


話しかけてきたのは、同じクラスの鮫川さんだった。

前々から不思議な人だな、と思っていた。

みんなが僕に近寄らないように、僕も彼女には極力関わらないようにしていた。


彼女は何故か毎週4日しか学校に来ない。

そして何故か昼にはいつの間にか早退してしまうので、彼女と会話をすることなんて本当に稀だった。


数学でも社会でも、どの授業のときも何故か漢字ノートに板書を書いている変な人だ。

(先生の毎度の注意も虚しく、本人は未だに全教科を漢字ノートに板書しているらしい)



極め付けは、教室の後ろに飾られている

田んぼの″田″の字の書道だ。

あの異質さにはさすがの僕でも引いた。


「ねぇ、あすみちゃんもそう思わない?空ってさ、すっごく広いくせに、権利とか、境界とか、何にもないから飛行機がまっすぐ飛べるんだよねぇ。誰のものでもないんだもんね。」


鮫川さんの隣にいるのは確か、同じクラスの辻宮さん。聴覚に障害がある子だ。


辻宮さんの補聴器のLEDが青く点滅する。



「私は、ときちゃんがすごいって思うのが、すごい。」


と半径15センチくらいしか聞こえないような声で言った。


辻宮さんが人と会話をするのを初めて見た。



「ねぇ、三宮くん、飛行機好きだったよね。あの飛んでるやつ、見てたんでしょ。飛行機ってすごいねぇ。大きいし。速いねぇ。いいなぁ、乗ってみたいなぁ。」



「あれはドリームリフター。元々はボーイング787型機のパーツを輸送するために製造された輸送機だよ。旅客機であるボーイング747-400型機をベースに輸送能力を拡張したもので、車も80台くらい収容できる。本来、貨物便は夜に離着陸することが多いんだけど、ドリームリフターは例外で昼に飛ぶことが多いんだ。」



口が滑った。

今まで人と会話してなかった反動だろうか。

それはもう、めちゃくちゃ口が滑った。


恥ずかしい、と言う思いと同時に

柄にもなく、嬉しかった。

すごい。乗ってみたい。その言葉が自分のことのようにただただ嬉しかった。


久しぶりに人と、女の子と、それも飛行機の話ができて、完全にハイになっていた。

気づけばオタク特有の早口で、女の子を前に気持ち悪いことを喋ってしまったけど、

情けない。恥ずかしい。の感情よりももっと先端。

"嬉しい"が身体中を飛び回った。


飛行機が飛ぶことが凄い、と当たり前のことを褒めてくれる人が、とにかく嬉しかった。

虐められ蔑まれていた僕の今日までが

今、確かに少しだけ照らされた。



「ねぇ、空港に行ったらさ、あれ、もっと近くで見れるの?飛行機。」


僕の気持ちの悪い早口リプライを気にもかけず

鮫川さんは続けた。


機体は既に、飛行機雲になっていた。



「行こうよ。私、もっと近くで見てみたい。あすみちゃんも行こう?飛行機、もしかしたら乗れるかもよ。」



「チケットが無いと、乗れないと思う。」


小声でツッコむも、辻宮さんは満面の笑みで鮫川さんの手を握っていた。


「ドリームリフターかぁ。。乗りたいなぁ。」


「だからあれは旅客機じゃないから乗れないんだってば。」


中学2年生の夏。飛行機雲の下。

渡り廊下で3人で笑った。


夏休みに3人で空港に行った。

もちろん乗ることはできるはずもなかったけど、

目を丸くして、ぽかーんと口を開けて、大きな機体を見上げる彼女たちは、紛れもなく少年の頃の僕だった。


あの日、僕は君に救われた。

飛行機を好きでよかった。



あれからもう10年が過ぎるのか。


まさか1番が鮫川氏だなんて。予想外の結果だ。



シートに座ってシートベルトを締める。

エンジンの轟音と共に離陸する。

離陸の瞬間のあの浮遊感は今でも苦手だ。


今はそんなこと言ってられない。

速く。もっと速く。



僕の恩人が、助けを求めている。

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