第21話 マズルカ(1)
※*⑴※※
辻宮彩純
産まれた時から耳がほとんど聴こえなかった。
"伝音性難聴"って言うらしい。
鼓膜に異常がある。と人には説明する。
電話などの音のするツールは基本使えないし
授業中や病院の待合室でも、自分が呼ばれていることに気づかない。
補聴器を付ければ少しは聴こえるものの
逆にそれが厄介だった。
音が大きければ完全に聞こえる、というわけではなく、眼鏡と同じで聞き取れる音には調節が要る。
中途半端に耳が音を拾うので、結局のところ他者との意思疎通はできない事が多かった。
言語を視覚からしか獲得できない、というのは
他者とのコミュニケーションに想像以上に支障を
きたす。
テレビの話題や学校の行事にも上手く馴染めず、
幼いながらも【おとなしい人・楽しくない人】
というレッテルをべったりと貼られた。
聴覚障害は、外見ではなかなか分かりづらい。
無視するなよ、と怒られたり
集合時間や場所が急遽変更したりすると
私だけが間違った行動を取り、同情された。
みんなと同じ″健常者″を装ってみたりもしたが
聴こえるフリは想像以上に疲れるものだった。
聴覚以外は何の異常も無いのも、厄介にすら感じた。
私はみんなと違うんだ。
私はみんなと同じじゃない。
そう自分に言い聞かせると、独りでも大丈夫な気がした。
そしていつからか私は補聴器の電源を常時切った。なにも聴こえないほうが心身共に楽だった。
役立たずのLEDのランプが赤く光りゆっくりと
消えた。
あの子は耳が聴こえない、というバリアに守られ、誰も私に話しかけて来なくなった。
哀れみも陰口も説教も悲しいニュースも
なにも聴こえない、というのは
慣れてしまえばそれはそれで快適だ。
そうして小学校6年間をやり過ごし、友達といえば図書室にあるたくさんの本と通学路にいる猫くらい。
字幕の無い無音の日々は、いつしか私の当たり前になっていった。
そんな私、辻宮彩純(つじみやあすみ)に
転機というか、とある出会いがあった。
中学校に入学して3週間が過ぎた頃。
入学直後のよそよそしい雰囲気から開放され
同じ小学校のグループはより一層団結し
他校グループとの交流・合併がある頃合い。
もしかしたら自分にも新しい友達が。
なんてことは微塵も期待していなかったと思う。
私の聴覚障害を知らずに話しかけてくれた子も、
会話ができないことを悟ると、関わらないでいてくれた。
ありがとう。話しかけてくれて。
寂しくないから大丈夫。
あなたに友だちがいるように
私には本と猫がいるから。
書道の時間、好きな漢字を書いて教室の後ろに1年間掲示する、という拷問のような授業があった。
周りを見ると『友情』『努力』『夢』などといった英雄のような熟語を、皆それぞれに書いていた。
歯の浮くような言葉。
口先だけの熟語だ。
私には聴こえない。
いっそのこと『難聴』とでも書いてやろうと思った矢先、隣を見て驚愕した。
同じ班の鮫川さん。
前々から不思議な子だな、と思っていた。
鮫川さんは、田んぼの『田』という字をでかでかと半紙に書いていた。
私の視線に気づくなり得意げな表情で
【カタチが好きなの】
とサラサラと半紙に筆で書いてこちらに見せた。
私はゆっくりと首を傾げた。
正直、怖かった。
私の困惑する表情に気づいた鮫川さんは
【なんかいっぱい入りそう】
と筆を走らせ、こちらに見せた。
いっぱい入りそう??
田の漢字の中に、という意味だろうか。
半紙を2枚も無駄にさせてしまったが、
その時の私にはあまり理解できなかった。
それから約1年、『努力』や『友情』に混じって、教室の後ろに田んぼの【田】の字が掲示されていた。
もちろん男子は鮫川さんの書いた「田」を
これでもかというほど馬鹿にした。
格好の的という言葉通り、田の字の中に数字を書いてダーツの的にして遊ばれていた。
もし私が健常な13歳の男の子に生まれていたら同じことをやるのかもしれない。
女子は女子でもちろん鮫川さんを変わり者扱いし、あまり近づこうとしなかった。
彼女らは思春期真っ只中なのだ。
これは鮫川さん側にも問題がある。
「愛」とか「絆」と書いた彼女たちこそが
"普通の女の子"なのだ。
こうして私と鮫川さんの中学生デビューは華々しく豪快に出鼻を散らしたわけだが(ちなみに私は確か【健康】と書いたと思う)、当の本人はあまり周りの言動が気にならない質らしく、何故かいつも漢字ノートを取り出してはサラサラと鉛筆を走らせて、耳の聴こえない私と筆談してくれた。
【山崎くんの″叶″も私の″田″もさ パーツも画数も一緒なのに】
【わかんないんだよみんなは この良さ】
【″夢″より″田″の方が形が綺麗だと思わない?】
【プラスのネジって マイナスドライバーでも回せるのって変だね】
【辻宮さんはなにか好きなものある?】
鮫川さんは卒業まで一貫して"変"だった。
と同時に、違うクラスになってもずっと
私と筆談してくれた。
少しずつ彼女の"意味不明"な言動の意図がわかるようになっていった。
色に染められていくのが自分でもわかった。
漢字ノートに書いてくれる私だけのための言葉。
なんで漢字ノートなのか。その意味。
彼女のルール。法則。
生まれて初めて、親に欲しいものをねだった。
「もっと聴こえる補聴器が欲しいです。」
「話したい人がいるの」
私のお願いに、両親は涙を流して喜んでくれた。
私はね、ひとりで本を読むのが好きだった。
あなたと一緒に読む本はもっと好きだったの。
猫と遊ぶのも楽しかったけど
あなたと遊んだ時間はほんとに幸せだったの。
あなたと
鮫川音季さんと話がしたかった。
私はあなたに救われた。
補聴器のLEDはいつの間にか青色に戻っていた。
私の人生に、音が戻ってきた。
まさかあなたが1番最初に開けるなんて。
ときちゃん。すぐ行くからね。
私の大好きな友達が、助けを求めている。
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