第19話 魚心水心(3)
″犬のおまわりさん″という童謡があるが
まさか自分がその局面に立つ日がくるとは思わなかった。(しかも犬サイド)
しゃがみ込んで咽び泣く知らない少女。
客観的には私が泣かしたように見えるのかな。
ただ今は海の音を聞きながら、オロオロと背中をさすってあげることしか出来なかった。
少女は名前を 野月秋埜(のづきあきの)
と名乗った。
話を聞くところによると、現在高校3年生。
「てっきり入水自殺かと思ったよ。もう。」
精一杯、冗談めかして言ったつもりだったが、彼女は笑わず、私の名刺を見つめている。
6月の生ぬるい夕風。
「やりたいことが、なんなのか、わからないんです。私。」
何かあったの?と私が尋ねる前に
嗚咽混じりに野月さんの口から零れ落ちた。
純度100%の憂いの声色。
「やりたいこと?」
「今日、進路指導の先生に言われたんです。今月中に将来就きたい職業を考えて来い、未来のビジョンを固めてこい、って。でも私、何になりたいか、自分でも全然わかんないんです。」
台詞の後半はほとんど泣いていた。
未来のビジョンを固めてこい、か。
確かにちょっと無責任だと思う。
"社会"という名のこれから辿る運命の入り口。
勤め、稼ぎ、生きていく為の自分の居場所を
年端もない遊び盛りの少年少女に
数日で委ねるのはよく考えたらキツい。
急に『はい!今すぐ大人になれ!今!早く!』
と押し付けるみたい。
大人は無責任極まりない。
「あのさ、野月さんは好きなこととか、行きたい大学とか、無いの?」
慣れない聞き手側に私は精を出す。
無垢な子供の様な、他人事のように聞いてくる親戚の様な、残酷とも言えよう私の言葉。
「…私、自分が好きなこととか夢中になれることが全然無くて…。友達に合わせたり、流れに任せて決めることばっかりだったな、って思って。
今の高校も、バレー部のマネージャーとかも…。
このままだと、また周りに合わせて大学に行って、
4年間惰性で過ごしちゃいそうな気がして。。
就活も手当たり次第に面接を受けて、採用貰った会社に就職するんだろうなぁ、とか思ったら怖くなってきちゃって…。」
私に一抹の警戒心も持たず
野月さんは率先して話を続ける。
笑い話にでもするような精一杯の口調だが、ちゃんと不安と悲しみは伝わってくる。
誰でもいいから自分の立つこの不条理と焦りを
理解してほしいのだろう。
思ったことがそのまま口に出るタイプの子だ。
誰かに似ている。
【好きなことを探さないと】
先日まで私も焦っていた。
趣味が無いことは命に関わる、とまで明言した。
趣味や特技で日々が充実している人は素敵だから。
自分の進みたい方向が、明確だから。
訳あって、私はあんまり学校に行けなかった。
午前中だけ授業を受けて、午後にはこっそり早退するか、病院に併設された学童のような養護施設に通っていた。
友達も全然いなかった。
好きなことも夢中になれることも、無かったな。
そうだったよね。
学校のみんなは素敵だった。羨ましかったな。
きっと今頃、好きなことを仕事にしてるのかな。
野月さんの座ってる私の特等席のテトラポッド。
そこにまるで自分が座っているような気がした。
大人になった私が、昔の自分を見ているような。
夢の中みたいな変な感じ。
そうなんだ。いつも変な感じなんだ。今も。私も。
「あの…、なんか…自分のやりたいこととか、将来とか、不明確な状態で就活なんかしちゃダメだよ。
だから、さ。野月さんが今、こうやって悩んでるのは、なんか、正しいよ。」
説教っぽくならないように慎重に言葉を選ぶが上手く伝えられない。
やっぱり根本的に年下は苦手なんだろう。
何を言っても、気休めにしかならない。
どんな言葉も救援物資にならない。
記者のくせに。言葉が相手に届かない。
非力だなぁ。私。悲しくなる。
『そんなに甘くないよ』
駄菓子屋のおばあちゃんの声が暗い海に溶けた。
いつも私の味方でいてくれる海も
今に限って凪。知らん顔だ。
私にしてあげられることはなんだろう。
漢字帳に書き込まれた、幾多の取材のメモ。
毎日たくさんの仕事を見てきて、
それを記事にしてきたくせに。
何のための、誰のための仕事なんだよ。
背中を押してやることも
手を引いてあげることも
助けてあげたいのに何にもできやしない。
自分の不甲斐なさに
そのまま海に飛び込んでしまいたくなる。
私の方こそ、助けてほしい。
あなたの目の前にいる【大人】だって
熱湯で米を洗うことと
釣れない釣り糸を垂らすことくらいしか
今 夢中になってること、ないんだから。
夜がゆっくりと降りてくる。
どれくらい時間が経っただろう。
2人でしばらく、黙って海の黒を見つめていた。
星空をピカピカ光りながら飛行機が滑る。
波の音がよく聞こえた。
しばらくして、野月さんが立ち上がった。
「すいません。色々変なこと喋ってしまって」
お辞儀をした向こうに、満月が見えた。
いつか見たことがあるような
泣き疲れた、覇気のない少女の微笑みが
私の瞳に映る。
足元を野良猫が通り過ぎる。
残念でした。
あなたは何にもしてあげられませんでした。
胸の真ん中。みぞおちの辺りを
今度は風が、通り抜けた。
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