第11話 一文菓子(3)

「ババアは足が悪くてね。我慢しな。」


そう言って、岬ばあと二人ゆっくりと釣り堀を後にした。

結局私は一匹も釣れなかったが、初めはそんなもんだよ、と岬ばあは笑ってくれた。


釣果ゼロのこと、なんて言ってたかな。

 

お年寄りという生き物は、足腰が弱いはずなのに意味不明なくらい長い道のりを歩きたがる。三十分ほど歩き、住宅街の隅っこの古い建屋に着いた。


「さぁ着いたよ。いらっしゃい。」


看板には『もみじや』と錆びたペンキで書かれている。


意外にも、外装はまだ綺麗にしていて、『昭和にタイムスリップ!』のような、想像していた駄菓子屋とは少し違った。

 


店に入ると、八畳程の土間のスペースに駄菓子やおもちゃがズラリと並んでいる。

見たことのないカラフルなお菓子もあれば、グミやチョコなど馴染みの深い思い出の味もいくつか目に止まる。

なんだか懐かしさで意味もなく走り出したくなる。


「あ、これ!」


わたしはレジの横に並んでいるラムネを手に取った。


「懐かしい!これ、買ってもいいですか!」


「あんた、あたしに何か聞きたくて来たんじゃないのかい。」


懐かしさに我を忘れてはしゃぐわたしに、岬ばあは少し呆れたような顔で訊ねた。


そうだった。取材取材。


しかしまぁ、こんなに煌びやかな駄菓子を前にすれば、所詮ハリボテのジャーナリズムなど麩菓子のようなものだ。


プリペイドや電子マネーでは決済できそうにないレジの風貌だったので、わたしはポーチから百円玉を取り出して、ラムネと交換してもらった。


お座敷の岬ばあの隣、いわば駄菓子屋の特等席にわたしは座る。

まるで自分が駄菓子屋のオババになったような。

最高の気分だ。



「そもそも駄菓子屋さんって、経営の仕組みってどうなってるんですか。」


二、三十円のガムや飴で、生活できるだけの利益が出ているとは到底思えない。昔からの密かな疑問をわたしはストレートにぶつけた。


ぽんっと威勢のいい音と共にラムネの泡が溢れる。

慌てるわたしを岬ばあは笑って見ている。


「利益云々はあんまり気にしてないんだよあたしは。というか、駄菓子屋なんて。多分みんなそうなんだろうねえ。」


割烹着の紐を後ろで結び、岬ばあはそろばん片手に老眼鏡をかける。

これぞまさしく″駄菓子屋ババアの究極形態″…。

わたしの脳内の、”駄菓子屋戦闘力メーター”はMAXを振り切り、爆発した。



「十円の駄菓子が売れたら二円の利益。三十円の駄菓子が売れたら四円の利益。駄菓子なんて単品で買う人も少ないから、大体一人三百円分くらい買って利益は三十円くらい。一日の売り上げもいい日で千円くらいかね。」


具体的な数字が出てきたのは意外だったが、ほぼ図星に近い売上だったので少し心配になる。


「まぁお客さんはほとんど学校帰りの子供たちさ。小遣い握りしめてはしゃいでいるのが可愛くてね。」


ぽんっと威勢のいい音が再び鳴る。


岬ばあのラムネは一滴も溢れない。

熟年の技だ。

わたしも目の前の老婆の歳になればできるようになるだろうか。

というか、その頃果たして炭酸が飲めるのだろうか。


久々に飲んだラムネの泡が、大人になったわたしの喉を優しく刺した。





「岬ばあちゃん、見て!」


声がした方を振り向くと、入り口に小学一年生くらいの子どもが四人、大きくはなまるの書かれたテスト用紙を得意げにこちらに向けていた。

学校帰りだろう。


岬ばあのラムネのビー玉がカラン、と音を立てる。


「おや、おかえり。どうしたんだい、それ。」


自分の孫に語りかけるように、わざとらしく驚いてみせる。


「おれたち、今日テストでみんな百点取ったんだ!だからね、もみじやのばあちゃんにも見せにきた!」


「すごいじゃないか。どれどれ、見せてごらん。」


なんだ、これ…。

あまりにも平穏な会話に呆気に取られる。

急に目の前の景色がモノクロに見える。

昭和を感じる。


古き良き、なんて手垢まみれの言葉を

わたしは初めて自分の脳内で使った。

まさしく古き良き、だ。



【損益を鑑みない仕事もあるんだな】



子どもたちが気ままにおしゃべりしたり、今日あった出来事を口々に話す。

それをにこにこしながら聞く″駄菓子屋″という職業は、幸せそうだった。

情報に振り回される現代社会の片隅に。

赤子の寝顔のような、永遠の楽園のような、

こんな幸せの風景はまだあったんだ。



「母ちゃんに小遣い貰ったら、明日もまたおいで。」


レジの下から、マシュマロやグミが幾つか入った小さなビニール袋を四つ取り出して

はい、これは岬ばあからのごほうび。

と言って子供たちに渡した。


やったぁ!と全力疾走で子供たちは店を飛び出して行った。

 

 

急に静かになった店内。コントかと思った。

まだ世の中には毎日こんなことが起きてるのか。

笑い声の残響を感じながら

わたしが先に、乾いた口を開く。


「あの、駄菓子屋さんのやりがいって何ですか」


野暮な質問だ。

ほんとは聞かなくてもわかる。

今、まさに。目の前で。 見た。



「やりがい、ねぇ。」


さっきまで子供たちがいた店内を見渡して、

岬ばあは深く深呼吸した。


「今のあの子らを見てさ、金儲けしてやろうなんて思わないだろ。あの子らにとっちゃビー玉もグミも宝物なんだ。大人の知らない秘密の場所が、今もあるんだよ。みんなで食べるんだろうね。あたしもそうだったから。」


ラムネのビー玉を取り出して、丁寧に拭いた後、わたしに手渡す。

わたしは意味もなくビー玉を覗きこみ、パーカーのポケットに転がした。


「嬉しいよ。毎日この店で起きる全てが。こんな儲からない商売、【仕事】なんてたいそうな肩書きじゃないけどね、嬉しいんだ。年金暮らしのババアの終末の楽しみさ。」


売り場のお菓子たちに語りかけるように、岬ばあは顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。


「仕事」という言葉の定義が「お金を稼ぐこと」だとしたら。

確かに岬ばあの駄菓子屋さんは、仕事とは呼べないのかもしれない。


でも、このもみじやという駄菓子屋さんが、数えきれない程の誰かの歯車を今までも、これからも、回しているような気がした。


これは「仕事」という形のない概念の、最終形態なんだろう。


誰も到達できない、”伝説の働き方”なんだろう。


今となっては全然覚えてないけど

その後も岬ばあとわたしは、ずっと話をした。

あっという間に時計は15時。

五百円分ほど駄菓子を購入し、パーカーのポケットに突っ込んだ。



「必ずまた、遊びに来ます。ありがとうございました。」

と頭を下げる。



「いつでもおいで。」


岬ばあは皺々の手の平をわたしに向けて笑った。



店を出ようとして、わたしは立ち止まった。


「どうして、岬ばあさんは駄菓子屋になろうと思ったんですか?」


口から勝手に溢れた。

これはジャーナリズムなんかじゃない。

胸の内。本心だ。

今思えば、心のどこかでまだここに、この幸せなお婆ちゃんの側に、居たかったのかもしれない。


でもよく考えて見てほしい。

駄菓子屋を開こう、なんて、わたしからしてみれば言い方は悪いが無鉄砲だ。


岬ばあはわたしを見ずに答える。



「逆に聞くけど、どうしてあんたはその仕事をしてるんだい?」


逆に聞かれてしまった。

呆気に取られるわたしに構わず、岬ばあは続ける。



「自慢じゃないけどさ、あたしがあんたくらいの歳の頃は携帯やパソコンなんてなかったんだ。たまーに食べられるキャラメルとかに喜んで、鳥みたいに飛んでる飛行機、スゴイなぁって見上げてたんだ。

それがあれよあれよと便利になってさ。今はみんな手元の画面しか見てないじゃないか。」

 

自分の左の手のひらを右手の人差し指でなぞって、岬ばあが首をかしげる。

彼女なりの″スマホを使う現代人″の真似なのだろう。


「あたしはネットとかそういうのはあんまりわかんないんだけどさ、あんたたちは今の世の中、楽しいのかい。情報がいっぱい溢れて、画面の中で生きてるみたいな今の子たちはさ、幸せなのかね。」


まさか駄菓子屋で『今の世の中は幸せなのか』と問われるとは思わなかった。

わたしにはすぐ答えられない。

少なくとも"楽しい"じゃなくて"楽"なんだとは思う。



「昔はさ、テレビもゲームセンターもなかったから、楽しいことなんて学校の近くの駄菓子屋くらいしかなかったんだ。お菓子食べたり、爪楊枝で型をくりぬいたりしてさ。さっきみたいに、店のおばばとおしゃべりもたくさんしたよ。」

 

岬ばあの話を、わたしと、店の駄菓子たちも、黙って聞いている。


「幸せだったんだ。ずっとあるもんだと思ってたよ。そのまま、その時間が。その時代が。」


のんびりとした、力強い声で、岬ばあはゆっくりと自分の言葉に頷いて、わたしを見た。

 


「この店は、初孫が産まれた時、あたしが定年する少し前に開いたんだ。孫ができるって聞いて、なんだか、一気に歳を取った気がしてね。駄菓子屋のババアになろう。ってふと思って、それまでしてた百貨店の店員さんは辞めてさ。」


「岬ばあさんは今の便利な世の中のこと、あんまり好きじゃないですか?」


「別に今の時代を憂いてるわけじゃないんだよ。若い子たちが一生懸命がんばってる世の中、大好きさ。あくまでも、あたしはあたしの生きる時代に、駄菓子屋をしてて幸せだと思ってるんだ。それだけ。」

 

『孫には昔、おばあちゃんたぴおかを始めて、とか言われたけどね。』と付け足してダハハと戯けた。

つられてわたしもふふっと笑う。


 

「サメ子ちゃんはさ、何が幸せで生きてるか考えたこと、あるかい。」


え。

今度はいきなり人生の極論を問われた。


わたしの苦手な、哲学的な観点の

なんかそんな感じの話だ。

老人は不意をつくのが上手い。


「誰のために、何が幸せで今の仕事してるか

考えたことあるかい。」


わたしの気持ちを置き去りに、岬ばあは半ば無邪気に聞いてくる。

柔らかいものでほっぺたをビンタされたような感覚。

何が幸せで、誰のために、何のために?


いきなりの質問ラッシュにわたしは目を見開く。

そんなに急に、たくさん、答えられないよ。


口を真一文字に結び、首を横に振る。

今まで、何十人と仕事のやりがいだきっかけだ

聞いてきたくせに。

自分では考えたこと、無いんだ。わたし。



肩をすぼませ、目くばせで許しを請う。

弱弱しく直立するわたしに、ごめんごめん、と岬ばあは笑う。


「答えに急がないこったね。生き急がないこと。

人生は飴玉みたいにゆっくり、時間をかけて味わっていくいくもんさ。」

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