第7話 有色透明(3)

駅の時計が十時を指す。

少ししてから、小太りの男性がわたしの方に小走りで駆け寄ってきた。

この人たぶん社長さんだ。と一目でわかる容姿をしている。また脳内で粘土をこねる。


「こんにちははじめまして。株式会社テトラジャーナルの鮫川と申します。 本日はお忙しい中、ありがとうございます。」


初対面の目上の人には自分から挨拶すること。

社会人になりたての頃に何かの研修で習った。


「君が鮫川さん、だね?オルサードリンクの古賀です。真舟に話は聞いてるよ。よろしく。」


古賀社長は優しそうに微笑むと丁寧に名刺を交換してくれた。


「なにか温かいものでも口にしましょうか。

仕事柄、私はすぐ喉が乾いてね。」


いたずらっ子の様に微笑む古賀社長を見て、緊張していたわたしの身体はすっかり安堵していた。

 

近くのカフェに移動したわたしたちは、窓際の席に向かい合って座った。


コーヒーを頼んで少し雑談した後、『普段、町で目にする自販機の交換をしてる人って社員さんなんですか?』と自然な流れで本題に入った。

これは我ながら上手かった。


「あぁ、あれは半分が社員、半分がアルバイトって感じだよ。」


コーヒーをかき混ぜながら古賀社長は答えた。

砂糖もミルクも入れてないけど、やたら混ぜてる。


「"自販機の補充員"と一口に言っても彼らにもさまざまな仕事があるんだよ。売上金の集金に回ったり、ゴミ箱の空き缶回収なんかも弊社の社員が行う。」


古賀社長が丁寧に説明してくれる。

そうなんですか、とわたしは驚く。


「うちは自販機を使ってもらわないと売り上げにつながらないからね。店頭や街角に自販機をおいてもらうための営業活動もするし、各飲料メーカーと地域の営業所とのマーケティング会議なんてのも頻繁にある。」


瞬きも忘れてノートに書き込む。

きっとこの先どこかで後述するけど、わたしは昔から【マス目が好き】と言う理由で、筆記する媒体は全て漢字帳に統一している。

1マスが点線で縦横に4つに分けられた、漢字の練習をするときに使うあのノートだ。

4つに区切られた小さなマスに1文字ずつ文字を書く。



今の記者はほとんどスマホやタブレットを駆使して取材するが、わたしはこの仕事を始めた当初から漢字帳とペンで戦っている。

真舟編集長じゃないけど、こっちの方が記者っぽいからだ。


古賀社長は久々に帰省した娘に語る様に、楽しそうに話を続ける。


「季節や設置箇所によって業務の量も変わるし、新商品の売れ行き管理なども統計を取ってデータをメーカーに送っているんだ。」


わたしの知らない知識がノート(漢字帳)にどんどん吸収されていく。

自販機を開けて飲み物を補充しているだけだと思っていた人たちが、こんなに大変な職業だったとは。


「思ってたより、大変そうな仕事だろ。」

古賀社長が微笑む。


「失礼も承知で申しますと正直ナメてました。」


参りました。という様にわたしは頭を下げる。

言も動も本音だ。


「真舟の言う通り、面白い子だね。」


満足そうに古賀社長は微笑み、コーヒーのおかわりを頼んだ。


「お仕事の中で一番大変なことって何ですか?」


四色ボールペンの色を黒から青に変えて、わたしは尋ねた。

うーん、と古賀社長は少し考える。


「力仕事うんぬんもあるんだけどね、一番の敵はやっぱり人間だよ。分別しないやつもいるし、空き缶に吸い殻入れるやつもいる。

酷い時はペットボトルに小便入れてるやつもいやがった。長距離トラックの運転手とかだろうけどね。」


えげつない話の内容とは裏腹に、嫌な顔一つせず社長は言った。

わたしには無い、大人の余裕ってやつだ。


真剣な表情でわたしは古賀社長を見つめる。

ペンの色は赤。


「最後の質問なんですけど、このお仕事の”やりがい”を教えてください」


「やりがい、か。」


古賀社長は少し考える素振りを見せて、窓の外を見た。

もう20年くらい前かな、と懐かしむ様に話し始める。

 

「茹だる様な夏の暑い日に、高校の体育館の自販機を交換しててね。その頃はまだこの仕事についたばかりだったから、めんどくさい、とか給料入ったら何買おうかとか思いながら言われた仕事を言われた通りに、毎日こなしてる感じだったよ。」


少し恥ずかしそうに古賀社長は笑う。


「バレー部の男の子たちが部活の休憩時間に私の方に駆け寄ってきてね、今、飲み物買えますか!?って。

買えるけど、今補充したばかりだからあんまり冷えてないよ、って伝えたんだ。

それでもいいですって。

汗まみれの男の子たちが腹ペコの犬みたいに自販機に群がるのを見たんだよ。」


窓の外を歩く学生に思い出を重ねる様に、

記憶を確かめながら古賀社長が話す。

わたしはペンを置いた。

赤のインクはなんとなく不要な気がした。



「それで思ったね。あぁ、必要なんだって。私の仕事も誰かの役に立っているんだって。」


古賀社長が窓から視線を移して、コーヒーに映る自分の顔を真剣な眼差しで見つめる。


「私があの日自販機を交換しなかったら、あの子達はぬるい水道水を飲んだのかな。

もしかしたら、脱水症状になってたかも知れない。

もっと大袈裟に言うと、水分補給が出来なくて、

練習の質が落ちて、行けたはずの大会に行けなかったかもしれない。」


声は笑っているが、どこか威厳のある言い方。

 

「みんな個々に役割を持っているんだ。必要のない仕事なんてないんだよねぇ。例えアルバイトでも。日雇いでも。与えられた役割を精一杯こなして、いつのまにか誰かを助けて、上手いこと世の中って回ってるんだよね。」


【普段気づけない仕事があるんだ】


見えているのに、何にも知らないんだ。

その人たちのこと。

日常を消費する中で、気にも留めてない人たちに

知らないところで助けられてるんだ。わたし。

みぞおちの少し下らへんがモゾモゾする。


「あえて使い古された言い回しをするけどね、

人はみんな歯車なんだと私は思うんだ。」


「ハグルマ、ですか」


「そう。歯車。仕事をしている人は会社の歯車。

会社は社会の歯車。

部下だって上司だって。社長だって。組織であれ個人であれ、誰かは誰かの歯車なんだ。」


古賀社長がわたしの方を見る。


「次の人にバトンを渡す小さな伝達歯車もいて。

何かを動かす大きな駆動歯車もいる。

コーヒー豆を作る人も、カフェの店員も、トイレの清掃員も。みんな誰かの歯車なんだよ。」


辺りを見渡し、最後にわたしと目が合うと、


「ちょっと説教臭かったかなぁ。」


と、照れ臭そうに笑った。


「どうせ俺たちなんか会社の歯車だからよぉ、 

って缶酎ハイ片手に愚痴る若者もいますけどね。」


とわたしが茶化すと


「缶の分別さえきちんとしてくれればわたしは構わないよ」


と笑った。

 


会計を済ませて、再び私たちは駅前に移動した。


「本日はお忙しい中ありがとうございました。なんか、元気が出ました。」


「それはよかった。いい記事になることを期待してるよ。」


古賀社長はわたしと握手を交わすと

真舟によろしく。とにっこり笑った。


そして思い出した様に

「そう言えば鮫川さん、年はいくつなんだい」

とわたしに訊ねた。


「レディに歳を聞くんですか、社長。」


「私からしてみれば、君はまだガールだ」

古賀社長が笑う。


「今年、年女です。」


「そうかそうか。やっぱり。わたしの娘と同い年くらいかな、と思ってね。」


何気ない古賀社長の言葉に一瞬、

胸がキュウっと傷んだ。

脳裏に湧き出る薄暗い霧を急いで振り払って

わたしは笑顔を作る。


「わたしも、父に会いたくなりました」


「たまには連絡してあげるといいよ。父親ってのは娘が可愛くて仕方ない生き物なんだから。」

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