第2話 石ころ

 月日は流れ、姫は十歳となる。怪我や病気をすることもなくすくすくと育ち、優しい心もゆっくりと育まれていった。王国民の前に出ることも多く、その愛らしさと美しい銀髪に、王国民は敬意を込めて『宝石姫』と呼んだ。


 馬車に乗り、ゆっくりと城下町を行く宝石姫。馬車に向かって手を振る子どもたちや頭を下げる王国民たちに、姫も笑顔で手を振っていた。


「止めて!」


 姫の叫びに御者も慌てて馬車を止めた。

 向かいに座っていた金属の胸当てと淡いブルーのマントを身にまとったサファイアブルーの護衛の騎士を横目に、馬車から飛び降りる姫。

 姫が駆け寄ったのは、息も絶え絶えの幼い男の子を抱えた長い黒髪の女性だった。ボロをまとったストーンブラックだ。


「誰か薬を!」


 叫ぶ姫から皆が目をそらした。


「馬車に薬があったはずよ!」

「それは姫様のためのものです」


 冷静に答える護衛の騎士。


「私のものであれば私がどう使っても――」

「道端の石ころに薬を与えるのですか?」

「石ころ?」

「石ころが砕けようが、蹴られようが、誰も気に留めませぬ」

「彼らは石ころなんかじゃない……!」

「姫様、もう少しお立場を考えた発言を。周りをご覧ください」


 姫が周囲を見渡すと、王国民たちが怪訝な顔つきで自分を見ていた。


「姫様のそれは優しさとは異なります。無知故の愚かさと王国民たちの目に映り兼ねません」


 騎士の冷淡な言葉に、心が怒りで沸騰しそうになる姫。


「姫様……」


 長い黒髪の女性の震えた声に、姫は目を向けた。

 女性は男の子を抱えたまま、石畳の上にひざまずいていた。


「暖かなお心遣い、恐れ多いことに存じます。この子も最後に姫様からお気遣いいただけたことは、天の地で誇りに思うことでしょう」


 男の子は、女性の腕の中で事切れていた。


「姫様の優しき心の輝きは王国の宝でございます。王国と宝石姫に栄光あれ」


 黒髪の女性は微笑みを浮かべていた。口元を震わせながら。

 そして、子どもの亡骸を抱えたまま立ち去っていく女性。


(そうか……これ以上の騒ぎになれば、彼女の身に危険が……彼女を守る者は……いない……)


 肩を落として馬車に戻る姫。

 馬車はまたゆっくりと城へと進み始めた。


(占いで『王国を繁栄に導く』と予言された?……王国民ひとり救えず、何が宝石姫だ……私は……無力だ……)


 姫は揺れる馬車の中でうなだれた。


「姫様、ストーンブラックはヒトではありません」


 顔を上げ、向かいに座る護衛の騎士を睨みつける姫。


「ヒトじゃなければ何だというの」

「石ころです」

「髪の毛が黒いだけじゃない」

「ヒトの価値はそれですべてが決まります」

「『すべて』ですって?」

「この階級制度こそが我が王国の根っこと言えるものなのです」

「ブルーのあなたよりも足の早いグリーンもいれば、頭の良いイエローもいるわ」

「……それでもヒトとしての価値は私の方が上です」

「随分とちっぽけで薄っぺらい価値ね」


 姫の言葉に騎士はびくりと身体を震わせた。


「……このことは陛下にご報告させていただきます」

「好きにすればいいわ……」


 馬車の窓に流れる城下町の景色。

 華やかに見える大通りも、視線を暗い路地の奥へと向ければ、大勢のストーンブラックの路上生活者が見えた。


(これが豊かで幸せの国と言えるの……?)


 幼き宝石姫の心に湧いた疑問。

 それが消えることはなかった。



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