第九話
「ところでさ……レンって〈ランカー〉なんでしょ!?」
アリアがそう問うたのは、「家」に入って少ししてから。
彼女はおんぼろビルを好みに改造しており、数分階段を登って案内された部屋は、あの廃れた外観からかけ離れていて驚かされた。机や椅子といった家庭的なオブジェクトがあり内装も白一色に揃えられていた。
大きなベッドがあったのは、家に帰らずここで寝泊まりすることがあるからなのだろうか。疑問に思ったが、そこまでは聞いていけまいと自制した。
中央の丸机に向かい合って座ると、彼女はちょっと待っててと言いどこかの部屋に消えた。
やがて彼女が戻ってきたとき、その手にはお茶とお菓子の載ったお盆があった。
まあ食べながら話そうよ、というアリアの言葉で、このTTMで初の試みであろうお茶会が開かれたというわけだ。
開口一番の彼女の言葉が思いもよらぬもので、私はすすっていた緑茶を危うく吹き出しそうになった。
「えぇっ!?」
「だって見たとこ、レンの装備ってかなりいいものばっかりだもん。私がもってないのもあるし、人気地区の〈ギフト〉もあるし」
そう言われて、湯呑みを置いて自分の身体を見る。
双波怜あらため〈レン〉が着用しているのは、色褪せた灰色の軍服だ。
サイズ的にはゆったりとしていてTシャツのようなつくりをしている。
半袖になっており下には腕を保護する黒い肌着を着ている。袖口は迷彩柄で、武具を扱いやすくするために広がっている。
ちなみに手袋は着けていない。私の性に合わないからだ。
左腕にはいくつかポケットがついており、銃弾や通信機なんかを携帯できる。
その上にはショルダー型とベルト型の収納を身につけている。
珍しい格好ではあるが、そんなにいい装備に見えるのだろうか?
「い、いや、私は別に〈ランカー〉なんかじゃ……」
「えぇっ、そうなの!? その見た目じゃプロって感じしかしないよ! どうやってそんなにいいもの揃えたの?」
「えーと……これなんかは確か……一昨年の〈横浜〉エリア全地区の総合大会の景品だったかな……」
私は灰色の軍服をつまみながら答える。
「横浜!? それこそすごい人気地区でしょ! あんなところ強豪ばっか集まって、ビギナーはすぐ狩られちゃうんだから」
「うん……私も最初はやられたばっかりだった」
「今は?」
たぶん……横浜の敵はもう狩り尽くしたはずだ。
「横浜は全部回って、どこも勝った」
「す……すすすごっっ! 全部っ!? どれだけ強いの! レンはそれで〈ランカー〉じゃないの!?」
TTMの舞台は日本全国だから大したことは言っていないはずなのだが、アリアは心底驚いたという顔で、あんぐり口を開けている。
――もう、黙っていることはできないだろう。彼女は口にしないけれど、その目が何故、と尋ねてくる。
本当は嫌だ。でもここまで教えておいて理由は言えない、なんて不親切にもほどがある。
私は逡巡ののちに、ゆっくりと話し始める。
「その、〈ランカー〉じゃないのは正しいんだけど……私はただ、登録してないだけで」
〈ランカー〉、それはTTMにおいて上位百名のプレイヤーにのみ与えられる強者の称号。
プレイヤーの順位は、システムが開催するバトルロイヤルとチーム戦での、勝利数とキル数を合算して決められる。
全プレイヤーが五万人でその中の百名なのだから、その強さは誰でも理解できよう。彼らは単独で七人チームを殲滅するほどの実力をもっていると聞く。
その装備も、唯一無二の最高ランクだ。TTMでは勝利数とランクに応じて、様々なアイテムや〈システムショップ〉で使える通貨――ティアンが与えられる。
そのためランカーは莫大なティアンを保有しており、ビギナーとは比べ物にならない性能の武器を手に入れることができる。もちろんそれは銃に限らず、魔法道具でもサポートアイテムでも、戦闘装備でも言えることだ。
自分で言うのも何だが、アリアの言う通り、レンの装備はかなり良い。そこら辺のアバターとは違うことがひと目で分かるだろう。
だが、私はランカーではなく普通のプレイヤー。ランカーになったことも、なりたいと思ったこともない。
「私……大勢の人に注目されるのが怖かったから、ランキング登録してないんだ」
TTMにはランキングという制度がある。直近の七日間の戦績をプレイヤーに示すものだ。
多くのプレイヤーはこれを活用しアイテムやティアンを受け取るのだが、登録は自動的ではなく任意になっている。
そして私は、今なおランキング登録をしていない。
単純な理由だ。ただただ、〈レン〉という名前が広まって幾多のプレイヤーに見られるのが怖かったから。
ランキング登録をすれば必然的に人目についてしまう。TTMが現実とは別物のゲームでも、進んで前に出ることはやはりできない。それが私の本質だ。
だが登録しなければ、誰とでも見ず知らずのプレイヤーとして戦うことができる。人目を気にせず、〈双波怜〉の一切を忘れて、TTMという世界でぶつかり合える。
そう考えた末の選択だった。
「そっかぁ……でも、そういうのもありだよね」
「……?」
「ただ勝負に勝ち続けることだけが、TTMの目的じゃないもん。ランキングなんて気にしないで、旅をするのもいいと思う!」
アリアの言葉にしばし固まる。
臆病なやつだと卑下される――或いは生半可なやつだと切り捨てられると思っていた。
だって私には自覚がある。双波怜としても、レンとしても。
それなのに、否定の言葉はひとつもなかった。
私を見つめる彼女の目はきらきらと輝いている。
なぜ、なんだろう。この少女はなぜ、出会ったばかりの私にこうも良く接してくれるのだろうか。
考えられる理由はいくつもある。打算、同情、気まぐれ、偽善、自己満足、計算……。
でも、どれも彼女には似合わない気がした。その瞳に暗く濁ったものを見つけることはできなかった。
もしかしたら。アリアという人間は、私を――
「ところでさ! レンって、どんな戦い方するの?」
不意にアリアが尋ねた。私は思考を止め、その問いに答える。
「べつに……特別でもなんでもないよ。聞いたって面白くないと思う」
「えー、そんなの聞いてみなきゃわかんないって! なんでそんなに重装備なの? もしかして
話はひとりでに進んでいく。つまらないって言ったんだけどな。
正直、あまり自分の戦い方を他人に言いたくない――正確には、言葉にしたくない。
アバターの戦い方、即ち〈ステータス〉はプレイヤーの精神を反映するからだ。
ステータスの作り上げ方――もとい「戦闘属性」にはある程度傾向がある。
肝が座った豪胆な人間は
そして私は……自分の戦い方が嫌いだ。どうしようもなく、自分の嫌いな部分を利用してしまっているから。
「ね。教えてよ、私も教えるからさ!」
アリアに退く気はないようだ。その目はやはり興味津々に輝いていて、じっと見つめてくる。
私ははぁとため息をついて仕方なく口を開いた。
「……私は
「え……襲撃者!? わわ私、会うの初めてだよ! へぇぇぇ……!」
アリアは感嘆符を連続させ、両の手を口に当てて絶句する。
遠距離の攻撃においては〈狙撃手〉と違って銃ではなく、
近距離では専ら
そのように、多様な武器と道具と回復用具を使用するため装備が重いのだ。
「なるほど、だからそんなに……」
彼女は〈襲撃者〉と聞いてどう思っただろうか。
属性を選択する最初で最後のタイミング、TTM初プレイ時。私は危険だと知っていたにもかかわらずこれを選んだ。
そのとき迷いはなかったのだと思う。今も後悔はしていないし、これが一番合っていると感じる。
それなのに。
それなのに私は、TTMで〈襲撃者〉レンになるたびに思ってしまう。
陰でコソコソと戦う私は、なんて卑怯で……臆病な人間なんだろう、と。
戦闘属性は否が応でも己の精神を反映する。〈襲撃者〉を選んだということは、つまり、そういうことだ。
私はレンを決して嫌ってはいない。でも、その戦い方だけは好きにはなれない。
矛盾した態度である限り、私はきっと停滞したままだ。
そんな〈襲撃者〉に、アリアは何と言うのだろうか?
俯いたままちらりと顔を見る。
何故だろう――彼女の目は先にも増して輝いている。
そのとき、アリアの手が動いて湯呑みをもつ私の手を掴んだ。
「ねぇっ、レン! もし嫌じゃないなら、わたしとさ……
……あれ?
「だって〈襲撃者〉でしょ、そんな人といつか組んでみたいなぁってずっと思ってたの! もちろん敵としてやっても楽しいんだろうけど、それよりも仲間として協力して戦いたいし! 二人で挟み撃ちもできるし、誘い込んで倒すこともできるよね。そうすれば戦略的にも強いし物資の面でも楽になるよ。あとは罠を張って戦ったり魔法と組み合わせたり……あっ、それに地形を活用すれば――」
「え、ちょ、ちょっとまってアリア」
〈タッグ〉というのは二人のプレイヤーの組み合わせのことで、従来のバトルロイヤルやチーム戦ではなく、シウテムが執り行う特殊な戦闘イベントに参加するためにある。だがタッグを組むこと自体は自由で、参加の意思がなくてもできる。そうすればアイテムや経験値が二分されるので、仲のいい者同士はタッグを組んでいることが多い。
……と、タッグなるものは私も知っているのだが。
なぜ今、その言葉が出てくるのか。流れとか、前置きいうものが一切なく唐突に。
まくし立てるように、或いは夢見るように話すアリアを、両手を突き出し慌てて制止する。
「タッグって、私と?」
「もちろん、レンと」
「……な、なんで? 私なんかちょっと勝ち数が多いだけなのに……しかも、〈襲撃者〉だし」
というのも、〈襲撃者〉はその戦法から嫌われていることが多いのだ。あからさまな悪意ないし殺意を向けられたことは今のところないが、他のプレイヤーたちに悪態をつかれたことは何度かある。
だから私とタッグを組もうだなんて、冗談としか思えない――のだけれど。
「だからいいんだよ! もっと言えば、レンがいいの! わたし、最初に見たときから思ってたけど、なんだかレンのこと好きだよ」
「すっ……!?」
「こうやって話してても分かるよ。レンは何か大きくて強いものをもってる。でもそれをひけらかさないで、正々堂々と戦ってるんだな、って」
正々堂々、か。
たしかに私は、非道極まりない戦い方――例えば
だがそれは〈襲撃者〉に限らず当たり前のことであって、私がちゃんと正面切って戦っていることの証明にはならない――。
「いいんだよ、〈襲撃者〉でもなんでも。それがレンの選択なら、誰も否定することなんてできないの!」
「……」
「ね、レン、だめかな……? レンとわたしでタッグを組んで、一緒に戦ってくれない?」
アリアは、どうしてこうも私に歩み寄ってくるのか。
その言葉通り受け取るなら、優しさなどではなく純粋な願望が彼女を動かしていると言える。果たして何が理由なのか分からないが、ただひとつ明確なことがあるとすれば、アリアは私を嫌ってはいない、言い換えれば言葉を交わせる人間として認められたということだけだ。
――それはもう、他人を信じるのには十分すぎる理由であるのだと、他人との関わりを拒んできた私は気づかなかった。
「だ、だめ……?」
うっ。
アリア、頼むからその子犬のような目をやめてほしい……。
「レン、わたしじゃ、だめ……?」
アリアはいつの間にか円卓に体を乗り出して、私に顔を寄せていた。
両手を掴まれたままなので逃げ出せない。
このままでは押し倒されてまで「お願い」されると身の危険を感じたので、私は何度目かもわからないため息をついて、口を開いた。
「わ、わかった、わかったから……離れて……」
「え!? ほんと!? やった、ありがとうレン!」
これでひとつ、アリアという人間のことがわかった。……彼女はとてつもなく強引な人間だ。
「じゃあ、レンも教えてくれたから、わたしも戦闘属性について話しておくね」
そう言ってアリアは、ストレージや装備を見せながら説明をした。
彼女の属性は〈魔法銃士〉だった。魔法を用いて銃による攻撃の威力を高めたりバリエーションを増やしたりできる人気属性だ。
装備の方は、はっきり言って質が低い方だった。曰く、手に入れたティアンは九割近く武器の強化に溶かしてしまったらしい。
その一方で、ステータスは驚くほど優秀。俊敏性も
なるほどプレイ時間が二万というのも納得だ。
「……と、わたしの説明はそんな感じかな。なんか聞きたいこと、ある?」
「ううん、大丈夫」
「おっけー……そしたら、タッグの名前決めよっか!」
「え、そんなものあったの?」
「あるよー、そうじゃないとトーナメントのときに区別できないからね」
タッグを組む人間なんていない私には、知る由もないことだ。
「なにがいいかな……。レンとアリア……くっつけたらレンリア?」
「……なんだかすごく語呂が悪いよ」
「えぇっ、厳しいよレン! じゃあなにかしっくりくるの考えてよ!」
突然言われても困る。
そうだな、レンとアリアがだめなら……
「あの、アリア、下の名前を使えば」
「いいねたしかに! そうしよう……って、名前教えてなかったね。わたしは〈アリア〉、そして
「あ、わ、わたしは〈レン〉、
彼女が名乗ったので、私もつっかえながら返す。
「ふたなみって珍しい苗字だね! 漢字どうやって書くの?」
「双極の双に、波打ち際の波、りっしんべんに鈴の右側」
「ふんふん……。なら、漢字だけ取って『ナナソウ』でどう? かわいいって!」
かわいい……? なんだか熱帯雨林に生息する虫みたいな名前だけど。
「……もうなんでも大丈夫」
またひとつわかった。アリアは変なセンスの持ち主だ。
「よーしっ、今日からわたしたちは、タッグ〈ナナソウ〉だね!」
にこっ、と笑顔を見せるアリア。長いポニーテールが揺れていてる。どこまでもまっすぐで偽りのない、人懐っこい表情だった。
アリアはメニューウィンドウを開いて、タッグ登録のための入力をしていく。
私はそれを数秒眺めていた。画面に『タッグ登録をしますか?』と表示されたところで、アリアはもういちどこちらを見て、
「これから、よろしく」
とはにかんで言った。
そして、指先が動き、青い画面に触れる。
――その時だった。
ビィィィィィィィイイイイッッッッ――!!!
耳をつんざく音が、辺りを瞬時に駆け巡った。
「なっ……!?」
反射的に耳をふさぐ。
ビィィィィィィィイイイ――。
それでも届いてくる。猛烈な音量だ。
な……何が起こった!? どこから音が? どういうこと!?
パニックになりかける思考。体が強張る。私は熱を帯びていく。
ビィィィィィィィイイイ――。
出所のわからない音は鳴り続ける。耳が痛くなるほどの轟音。
困惑してアリアの方を向いたとき、建物全体が激しく震えた。
……地震なんてものじゃない。誰かが揺らしているかと思うほどに強い!
体が上下左右に揺さぶられる。足元がおぼつかない。視界も揺れて、はっきりと像を結ばない。
倒れそうになるのを必死に耐えて、なんとかアリアを見る。
彼女の無事を確認しようとした、私の視界に映ったものは。
――アリアは、表情を消していた。
驚いた様子、慌てた様子が、欠片もない。
なんで……?
彼女の顔はこの上なく静かだった。そう、先ほどまでの笑顔が……嘘だったかのように。
暴力的な振動にとうとう抗えなくなり、私はガクンと片膝をついた。
アリアの足しか見えなくなる。
視界はなおも揺れている。だが、眼の前の少女は倒れない。それどころか、その場から一歩も動かず微動だにしない。
「あ……あ、アリア……?」
崩れた体勢から、ゆっくり、少しずつ顔を上げる。
ようやく捉えたアリアの顔。
それはもう、アリアではなかった。
その瞳は、銃弾のように冷たく。
ナイフのように鋭く。
曇天のように色を失って。
その口は――悪魔のように。
〈アリア〉は、〈七峰梨朱〉は、少女は、笑っていた。
「ア、リアっ……」
少女は名を呼ばれ、さらにその口を歪めた。
人の笑みでは、なかった。
どういう、こと……? ねえ、アリア、教えてよ、これはなんなの……!
だが少女は、言葉を返さず。
表情を変えぬまま、手を動かしてメニューウィンドウを閉じた。
その時になってからだった。ありえない状況に、私が気づくのは。
……「メニューウィンドウ」?
そんなもの、TTMにあった?
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