第八話

 アリアとともに数十分走った。

 背後からあいつの気配が消えても、振り返ることなく走り続けた。

 その間、私はずっと無言だった。

 不意にアリアが立ち止まると、私の手を取って、


「レン、着いたよ。ここなら安全」


 と言った。

 俯いていた顔を上げると、そこには何十階もある巨大なビルがそびえ立っていた。

 ただし都会にあるような小洒落たビルではなく、あちこちがひび割れ、ガラスは砕け、壁面にはツタが這っている。

 それはもう、廃墟なんてものではない。戦争地帯に取り残された遺物のようだ。


「だいじょうぶ、こう見えてかなり頑丈だから! この前もグレネード投げ込まれたけど、床に穴あいて柱が半分ぐらい壊れただけだったから」


 ――実に頼もしい言葉である。

 そう思ったのと少し遅れて、私はアリアの言葉に疑問を抱いた。


「……この前もって、ここ使ったことあるの?」

「ん! わたしのお気に入りの建物で、陣地と領地なんだよ」


 このおんぼろビルが?


「そ、そうなんだ……。陣地ってことは、〈週末戦〉で?」

「うん。先々月あたりからずっとね。入ってみれば分かるけど、このビル見晴らしが良くてさ」


 すごい……二ヶ月も勝ち続けてるなんて……。

 彼女がしれっと言ってのけたことに、私は驚きを隠せずにいた。


「そんなにすごいことじゃないよー。今わたしたちがいるのは東京の本町だけど、TTMではあんまし人気がない地区だから大したプレイヤーとはぶつからないんだ」


 TTMにはバトルロイヤルとチーム戦の二種類の戦闘のみがある。

 だがそれはあくまでもシステムが決めた大きな分類であり、そこにルールが付け加えた「大会」も多く存在する。

「大会」の仕組みはいたってシンプルだ。

 まず主催者が大会の要項と日時、賞金を示したデータをTTMの仮想掲示板に貼る。

 そしてそれを見た参加希望のプレイヤーは主催者にメッセージを送り、認証をもらう。

 そうやって参加者が二十人を超えれば、大会が開かれる。

 二十人という数字は、バトルロイヤルを行える最低人数に準拠している。

 TTMではプレイヤーは企画を立てる権限をもたないので、システムが執り行うイベントを利用――というか悪用するしかない。

 そこで〈大会〉の際には、バトルロイヤル開催地区をあらかじめ占拠しておき、参加者のみが集まるようにする。

 そしてこのバトルロイヤルで勝利した者が、主催者から何かしらの景品を受け取る。

 景品の価値はピンキリで、アイテム一個のときもあれば銃一丁のときもあるし、もちろんゲーム内通貨だってある。

 先ほど私が口にした〈週末戦〉は、景品が「土地」となっている特殊な大会だ。

 土地というのは、非戦闘地区を指す。

 この「土地」はバトルロイヤルが行われる戦闘地区を囲んでいて、勝者はそこら一帯の支配が認められるのだ。

 といってもシステムにそんな機能はないので、縄張り宣言をするだけだが。

 それ故に、各地では土地の無断侵入を巡って争いが絶えないとか。

 情報を整理してから再びアリアの顔を見ると、彼女は苦笑いを浮かべていた。


「ま、ここがわたしの家みたいなものなんだけどね」


 ……家、か。

 それはきっと、単なる生活の場所という意味ではないのだと私には分かった。


「現実じゃ何もかも息苦しくてさ……人から離れた私だけの場所が欲しかったんだ」


 私はなんて答えればよいのか、正解をもたなかった。

 目を伏せて黙っていたところをアリアは、


「……なんてね、ごめん! わたしったら、またこんな暗い話を……」

「……っ、ふふっ」


 私はその言葉に吹き出してしまう。


「な、なにっ、レン? なんでここで笑うー!?」

「だってアリア、さっきも同じこと言ってたよ……?」

「え、あれそうだっけ……。んー、思い出せない」


 彼女は頭を掴んでうーんと唸る。


「アリア、そんなに謝らなくても……私は気にしてない、から」

「そ、そう? ならいいんだけど……」


 アリアはアスファルトの地面を見つめる。


「わたしっていつも、こんな暗いことばっか考えちゃうんだよね……。あのときから、なんにも変わってない」

「あのとき?」

「そ。わたしが……初めて学校を休んだ日。自分の部屋に閉じこもった日」


 そのとき、私の心臓が強く跳ねた。

 

 それは共感だろうか。或いは、自分と同じ辛さを味わう彼女との、共鳴――?

 

 アリアは私に向き直った。彼女はぎこちない表情をしていた。


「ねぇ、レン。レンさえよければ……その、話、聞かせてくれない……?」


 いや、と口から漏れ出た声は、吹きすさぶ風にかき消された。

 ここで断ることが、果たして私にはできようか。

 アリアは私に話したんだ……直視したくない現実を。

 それはとても悲しいこと。

 なぜなら、今まで打ち明けられる人間が一人もいなかったということなのだから。

 自分を曝け出し他人と向き合うのは、ひどく難しくて、どんなことよりも怖い。

 だから、私はなかったことにしてきたんだ。

 学校に行っていない。人間が怖くて逃げてきた。会話をすることすら拒む。現実を受け止めようとしない。そして、部屋に引きこもりゲームの中で生きている。

 そんな事実を、変えようもない過去の自分を、いっそ忘れられたらよかった。

 そうすれば、ゼロから歩き始められたのかもしれない……。

 そう思ったとき、はっと気づく。

 

 ――私、今になって後悔してるんだ。


 学校に行っていなかった三年間、自分がどれだけ道から外れようと落ちぶれようと、後悔したことはなかった。ただの一度も、そんな感情は抱かなかった。胸の中にいたのは、責任を誰かになすりつける醜い自分だけだった。

 

 あれ、なんだか……顔があつい。

 

 私には、怒ってくれる人がいなかった。

 でも支えてくれる人はいた。祖母はいつも、そばにいたんだ。

 

 声を上げれば応えてくれる距離だった。手を伸ばせば届く距離だった。

 

 それなのに私は顔を背けて、意固地に祖母の言葉を跳ね返し続けた。

 

 私はそんな、いまさらの後悔をしている。


 口を閉ざしていた私を見かねてか、アリアが慌てて言った。


「えっ、あ、ああいや無理ならだいじょぶだよ! そんな簡単に話せることじゃないもんね!」

「……うん」


 頷きはあまりにも小さかったが、彼女は分かってくれた。

 そして今までの二回と同じように、


「ごめんねっ!」


 と笑うのであった。

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