第六話
『私たちブレイン・テックは……長年本当の〈別世界〉を探求し続けてきました。別世界をゲームとして作り上げ、プレイヤーを現実から開放する。それだけが最終目標でした。実は、TTMはその過程で生まれたものです。そして私たちが考えてきた別世界は、新しく設立された情報科学庁の目的と合致していた。あの庁の目標は、ITやAIを活用して人間社会を豊かにし、将来デジタルが人間を支えられるように技術の発展を奨励することです。ゲーム内の〈別世界〉は、デジタルで国を支えようとする庁にとってまさしく欲しいものでした。本社に庁の上官が来たのは去年の春のことです。一ヶ月ほど打ち合わせをし、やがてブレイン・テックと提携が結ばれ、私たちは庁の指示をうけてゲーム、システムの開発をすることになりました』
彼はもう、私を見てはいなかった。人が変わったかのように饒舌に喋る。
『TTMを使ったこの計画……〈Grand〉は、先ほど言ったようにサンプル回収が目的です。現実のコピーたる世界で人間を生活させ、戦わせ、死なせる。それら人間としての営みがデジタルという空間で果たして可能なのか、どんな影響を及ぼすのか、どんな変化をするのか、その末に何があるのか……。TTMであれば、転送されたプレイヤーの一挙一動を観察することができます。さらに、ゲーム内で死んだプレイヤーの〈Code〉情報は全てブレイン・テックのサーバに保存されます。そうすれば、ほぼすべての情報を解析できる。これがサンプル回収の意味するところです。――つまるところ私たちと情報科学庁は、一般人に次世代世界で生きる実験体になってもらいたいのです』
私はいちゲーム開発者として怒りを感じ、ソファから勢いよく立ち上がった。
『馬鹿なことをっ! それでは現実から消えたプレイヤーをどう説明するのだ? 二万ものプレイヤーを! 情報科学庁が責任を問われることは明白だぞ!』
『いえいえ、そんなことはありえませんよ』
彼はあくまでも落ち着いていた。
『庁が責任を取ることはありませんし、そもそも疑われることすらないでしょう』
『……そう言い切れる、根拠は何だ』
『単純なことです。この計画を、国家機密にしてしまえばいい』
『こっ……』
『だってそうでしょう? 安全も秩序もない未知の世界で暮らしたい、なんて思う人間はいない。かといって庁の人間だけでは足りない。ならば……権力にものを言わせて、一般人を強制的に参加させるのはどうか? 〈Grand〉を知る者の口を封じて、庁とは一切関係のない単なる事件にしてしまえば?』
『ふざけるな……ふざけるな。政府だからって、国民の意志を蔑ろにしていいわけでは』
『最初に提案したのは長官です、恨むなら彼にしてください』
彼の言葉に、私は拳を固めてただ絶句していた。
それを差し置いて、話は続く。
『実は今までの五ヶ月で、計画準備のほとんどが完了しています。新たに設置することになったオブジェクトも敵も、すでに動作確認を済ませています。あと足りないのは〈Code化〉システムのみ、なんです。それだけは、とても私達だけの技術じゃ扱いが難しい』
『……だからあんたは、こうして私に頼んでいると』
『はい、そうです』
私がここに呼ばれた理由には辿り着いたが、まだひとつ、核心的なことが分かっていなかった。
『プレイヤーは……HPがなくなると現実でも死ぬと言ったな』
こくり、と彼は頷いた。
『ならばだ。TTMで生き残る限り、彼らに終わりは訪れないのか?』
彼は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
『さすが篠宮さん、いいところに気がつきましたね。庁は、この計画に具体的な期間を設けていません。おそらく十数年は行われるでしょう。ですが、終わりがないかと問われれば、答えは否。……〈Grand〉には一つだけ、脱出方法があります』
私はそこでホッとしていたのかもしれない。脱出方法が存在するのであらば、何年もプレイヤーが閉じ込められる事態にはならないだろう、と。
だがそんな希望は、続く彼の言葉で打ち砕かれた。
『その唯一の方法というのは、TTM内のどこかに存在する〈Grand Code〉を発見することです』
『グランド、コード……?』
『これは緊急時のためにつくられたコードです。システムに異常が発生したとき、敵が正常に動作しなくなったときに、プレイヤーの安全を確保できるように。私たちも庁も、彼らに死んでもらいたいわけではありませんからね』
『安全を確保、とは具体的にどういうことだ』
『簡単です。そのとき生きていたプレイヤー全員が現実世界に戻されます。……すでに死んだ人間は戻りませんが』
『……それは、どこにあるんだ?』
『篠宮さん、私はさっき言いましたよ。〈Grand Code〉はどこかに存在する、と。日本のどこかに、ね』
『っっ……! それは正気か!? 日本全国のどこかなどといったら、何年かけても見つからないぞ!』
『それでいいのです。これはあくまでも緊急時のもの。身に危険を感じたからって気軽に押されたら計画が台無しになります。実を言うと、もう一つ役目があるんですけど』
『……なんだ』
『プレイヤーに希望をもたせることです。TTMに転送されたプレイヤーは、過酷な世界に絶望して何もしなくなるかもしれない。或いは、自ら命を絶ってしまうかもしれない。それを防ぐためには、生きて還る方法が一つだけある、と希望を与えることが必要です。もし彼らがその希望を捨てず、生還するためだけに動いたとしても、〈Grand Code〉が発見されるまでおそらく五年くらいかかるでしょうから、観察は十分に行えます』
そのときは、なんて冷酷で残忍な計画だと思ったよ。だから私は、気づけばこう口にしていた。
『……そんな、ものに……手を貸すわけにはいかない! 人の命を奪うようなゲームをつくりたくはない! もう用がないなら私は帰らせて――』
ソファから離れ、ドアに向かおうとする。
そのとき、彼が懐から黒光りした重厚感のある何かを取り出すのが見えた。
その真っ黒な口が、私に向けられた。
『篠宮さん……やりようはいくらでもあります。私たちはどんな手を使ってでも、あなたに計画参入してもらわなければならないんです』
銃を見たのはそのときが始めてだった。
彼はすでに、撃鉄に指をかけていた。
『本当に参加してくれないのであれば……私が何をするのか、おわかりですね?』
もはや私に、選択権はなかったのだ。
画面の中の篠宮は、長い長い話を終えて一息大きく吐いた。
十分ほど、私は彼の話に聞き入っていた。
『ある意味、私も諸君と同じ被害者だ。だから私は、この計画をやめることも諸君を助けることもできない』
篠宮の言葉には、疲れではない何か――悲嘆のような感情が滲んでいた。
『だが奴らの指示のもとでシステム開発をしているうちに、私もTTMというコピーワールドに憧れを抱いたよ。今まで私がつくってきたどんなゲームとも違う、現実ではない現実という世界に。奴らに隷属するつもりはないが、ひとりの開発者として、私はこの世界を見ていたい。諸君が生き、戦い、死にゆく姿を見ていたい。それはさぞかし、美しいだろう……』
今の篠宮は、きっと話に出てきたブレイン・テックの社長と同じ目をしている。
『さて、そろそろ時間がなくなってきた。奴らにやれと言われていることがまだ一つある』
懐から、小型のタブレットを取り出した。しばらく操作したら、篠宮を映していた画面が切り替わって、どこかの街が現れた。
『これは諸君のいるTTM内での、東京の街だ。ここに、アバターが一つあるだろう?』
画面がズームされると確かに、交差点の中心に空を見上げる青色のアバターがいた。
『突然のことに混乱して、未だにそこがTTMであるのを信じられていない諸君に、証拠を示そう』
証拠……?
『先ほど言った通り、諸君の命はCodeとなって存在している。それ故、諸君の命は全て私たちが掌握しており、指一本で――消すこともできる』
篠宮は再びタブレットを操作したのちに、画面に映るアバターをさらに拡大して、呟いた。
『例えば、こんなふうにな』
そして私は、耳と目を疑うこととなった。
『――Code:7202-delete』
篠宮の言葉が耳に届いたのからわずかに遅れて。
甲高い、悲鳴が響いた。
『ア゛ア゛ア゛ァァァァァッッッッッッッッッ!!! ぐぅうううううぁぁぁッッッ!! いぃ、痛いィィイイイイイイイッッッッ!!!』
それはまるで――断末魔。
「なっ、え……!」
私はびくりと体を震わせた。
画面の中のアバターが、その手で頬をかきむしりながら叫んでいる。
そして、突然声が止まった。
かと思えば――
アバターが、脚の方から緑の粒へと分解されていく。
彼の顔は涙で濡れていたが、もう目に光はなかった。
ただ口だけがぴくぴくと動き、聞き取れないほどの小さい声を発していた。
十秒後、そこには何も……なくなっていた。
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