第五話

 やはり――。

 やはり私は、元々いたはずの横浜から移動していた。

 その距離は、実に数十キロある。


 その事実が明らかになった今、新しい疑問が湧いてくる。


 なんで、どうしてこんなところに私はいるの?


『諸君は思っているはずだ。「何故ここにいるのか」「どうやってここまで来たのか」とな』


 私の心を読んだかのように、篠宮は言った。


『それもまた当然だ。諸君は直近の記憶を全く思い出せないだろう?』


 ここに来て、私はようやく篠宮の言葉の不自然さに気づいた。


 ――彼は、知っているのだ。この状況に陥った理由を、原因を。

 

 それにきっと、全ては彼が思うように運んでいる。

 いったい篠宮は何をしたというのか……。


『だが安心してほしい。諸君の記憶は、すぐに戻す』


 記憶を、戻す?

 ゲームの世界じゃないのだ、そんなことができようはずもない。

 そう思っていたのだが、篠宮はそれ以上説明をしなかった。


『さぁ、無駄話は終わりだ。そろそろ諸君にも伝えてやらなければな。――そこが真に何処であるか』

「は……?」


 私は言葉を失った。

 ここがどこであるかは、先ほど篠宮自身が言っていた。日本の東京である、と。

 なぜ再び言う必要があるのか?


『諸君にはこれから私が話すことを、くれぐれも取り乱さずに聞いてほしい』


 篠宮はそう前置きしてから、話しだした。


『正確には、そこは東京ではない。いや、日本ですらない』


 なっ……!?

 

 その言葉は、私の思考を停止させるには十分すぎるほどの衝撃を伴っていた。

 この風景、この街並みなら、日本であることは間違いない。そのはず……! もし日本でなければ、どこだというの!?


『さらに言うと、諸君がいるのは、いま私が存在している世界ですらない。現実とは別、或いは現実から乖離した世界だ』


 何を――この男は何を言っている?


『あぁ……そんなに驚くことではないはずだ。諸君には、覚えがあるだろう? 現実ではないのにあらゆるものが現実と同じで、自らの全てを持ち込んでしまう世界。非現実な現実が』


 非現実な現実。それは、あのゲームの謳い文句――。


『そう……〈ザ・テイル・オブ・マジック〉』


 篠宮の言葉を理解した瞬間、目覚めてからここに来るまでに見つけた全ての不可解な点が繋がっていく。

 やがてそれは一本の線をなし、受け入れがたい事実を突きつける。

 

 最初の不可解は、見たことのない場所にいたことだ。

 現実では不可能。だがコピーワールドなら、地点を指定すれば一瞬で移動できる。

 その次は、人がいなかったこと。

 あれだけ発展した街であれば、外に出ている人は少なかれど、誰もいないなんてことはありえない。

 だがそれも、コピーワールドでは関係ない。日本と同じ面積に対して人間が五万人しかいないのだから、街に自分ひとりという状況もあり得る。

 最後は、あの光の線とホログラム。

 あんな複雑なものを、現実で投映するのは無理だ。逆に、システムを根幹として維持、活動するゲームの世界では容易なことなのだ。


『諸君が存在しているのは、まさにゲーム内世界――TTMの中だ』


 

 体が芯から冷えていくのをはっきりと感じる。

 

 私は膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。

 


 ゲーム内世界……TTMの、なか……!

 


 篠宮の言葉はもはや、死の宣告に等しかった。


『何故、どうやってと思っているだろう。目的のために必要なことだから伝えるが、それには話が少々が長くなる』


 そう言って、TTM開発者は静かに語り始めた。


 


 

 

 まず、何故私がこのようなことをしたのかを説明しよう。

 ことの始まりは、去年の春だった。

 当時都内のゲーム開発部門に務めていた私に、ある男たちが訪ねてきた。

 彼らは上下黒のスーツで、サングラスをしていた。名刺もよこさず、名も名乗らずに、ただ私に来てくれないかと懇願した。

 何が何やら分からなかったが、退屈なゲームのシステム開発に飽き飽きしていた私は二つ返事で了承した。

 すると富裕層が乗るような高級車に乗せられ、車でしばらく走った。

 降りた先にあったのは、横浜の巨大ゲーム会社――〈ブレイン・テック〉だった。

 入口で大層な出迎えをされ、最上階の部屋に案内されたよ。

 そこはセキュリティロックのかかる応接室で、完全防音らしかった。

 ひとりソファに座って待っていると、長身の男がPCを抱えて部屋に入ってきた。

 彼はブレイン・テックの社長で、年は二十八歳と若く、長谷部尋斗と名乗った。

 三年前に元社長の跡を継いだと言っていた。

 私も簡単に自己紹介をしたのちに、彼は唐突に切り出した。


『篠宮さん、どうかお願いします。あなたの技術で、創っていただきたいものがあるのです』


 彼は頭を下げながら、縋るような声で私に頼んだ。

 最初は、なんで私が、と思ったよ。

 ゲーム界の父と呼ばれようとも、腕前しかないただの中小企業の開発者だったからね。

 そんな私に、かの有名なブレイン・テックが頼み事をするなんて思いもよらなかった。

 だが彼の話を聞いてみると、俄然興味が湧いてきた。

 彼は――ブレイン・テックは私に、既存システムを改良してほしいと言った。

 だがそれは単なる頼みではなかった。巨大なる計画の、一部に過ぎなかった……。


 そこで篠宮は懐かしむような顔を見せ、視線を宙に漂わせた。


 ブレイン・テックの目的は何なのか、他人に頼んでまで開発する意味はあるのか、と問うたところ、彼は身を寄せ声を潜めながら答えた。


『これは、篠宮さんだからお話しますが……、実はこの計画には、〈情報科学庁〉が噛んでいるんです』


 それを聞いたとき、私は唖然としたね。なんてったって、〈情報科学庁〉といえばつい最近設立されたばかりで得体の知れていない国家機関だったからね。

 私が何も言えずにいるところを、彼は続けた。


『この計画は、ブレイン・テックと情報科学庁が秘密裏に構想し準備されました。両者に表向きな関係性はありませんが、実は本社は、庁の力が加わってできた子会社みたいなものです。ただいつの日か、この計画を実現するために』

『……その計画というのは?』


 彼は神妙な顔になって、汗を拭ってから言った。


『単純に言えば、サンプル回収です』


 サンプルなんて言葉、ゲーム界で使うことはない。私はごくりと唾を飲んで続きを待った。


『システム改良の計画が立てられたのは、ブレイン・テックが開発した次世代型オンライン戦闘ゲーム〈ザ・テイル・オブ・マジック〉……TTMです。篠宮さんもご存知でしょうが、このゲームは日本のコピーワールドを創り出し維持しています。数多の建造物を再現し、プレイヤーの外見をも反映させるそのリアリティには、あるひとつの技術が用いられています。開発部と私、そして庁の人間を除いて誰も知らない技術を』


 彼はいつの間にか俯いて、机に上で拳を握っていた。


『〈Code化〉……それがTTMの全てを生み出しました。名前通り、ありとあらゆるものを〈Code〉に変換しゲーム内へ転送する技術です』


 私はここ数年ずっとゲーム開発者を務めていたが、その技術はまるで聞いたことがなかった。

 訝しげな表情を察してか、彼は詳しい説明を始めた。


『TTMには、認証カメラというものがあります。これはプレイヤー情報を取得しアバターを生成するためにあるのですが、それ以外の目的も隠されています。――プレイヤーの〈Code化〉です。ゲーム開始時に取得した情報は全てTTMサーバに転送され、固有の〈Code〉として保存されます。この計画では、それらプレイヤーのCodeを、ロックされたTTM内のコピーワールドに強制転送するんです。実体を持ち痛覚・五感を有する、〈プレイヤーのコピー〉として。このとき――現実世界のプレイヤーは消失します』

『なッ……!? 消失だと? そんなことが起こりうるのかっ!?』

『はい。CodeとしてTTMに転送されたプレイヤーは、現実から消えてしまうものと推測されています。痛みを伴わず、明瞭な記憶と意識を保持したままゲーム内に移動します』


 そのときの衝撃は、今までに経験したことがないほどだった。

 アニメや小説で描かれるように、生身の人間がゲーム内に転移するなんて不可能だと思っていたからね。


『……その仕組みはどうなっているんだ?』

『すみません、そればかりは庁の人間しか把握していなくて』

『Codeとなっても思考回路を保っていられるのは何故だ?』

『すみません、それも』


 彼はシステムに関しての情報をあまり与えられていないようで、大抵の質問には答えらなかった。

 だが唯一、はっきりと言い切ったことがあった。


『痛覚・五感を有すると言ったな。ならば、Codeとなったプレイヤーがゲーム内で怪我を負ったらどうなる?』

『現実と同程度の痛みを味わいます。その設計は、計画の構想を練り始めた初期から決まっていました』


 そこで私は、ひとつ純粋な疑問を抱いた。


『待て。それならば……ゲーム内で死亡、HPがゼロになったプレイヤーはどうなる?』


 痛覚が存在するなら、その限度を考えるのは必然だった。

 死亡したプレイヤーは、大抵の戦闘ゲームがそうであるように強制離脱させられると、そのとき私は思っていた。

 だが、彼が返した言葉は私の予想と真逆のものであった。


『ゲーム内での死は……現実での死と同等の意味をもちます。プレイヤーは、現実世界の実体が復元されぬまま、そのCodeを消失させる……』

『な……』


 ――それはつまり、人間としての情報が全て消え去るということだった。ゲーム内で死ねば、肉体と意識を完全に喪失する。


『だ、だがそれはあまりに……TTMというのは戦闘ゲームだろう? 銃も剣も、魔法も存在する世界でHPを絶やさずに生き延びるなど……』

『いえ、篠宮さん、それだけではありません。この計画を指示してきた情報科学庁は、プレイヤーのCode化と転送に重ね、さらなる命令を出してきました』

『命令、というのは? まさかHPの回復を不可能にしたのか?』

『そうではないのです。しかし、それよりもずっと残酷なこと……庁は、TTMに〈敵〉を生成するよう命令しました』

『敵、だと……?』

『はい。本来TTMには敵は存在せず、プレイヤー同士の戦いのみが行われています。ですが庁はそれだけでは計画に不十分と考えたようで、敵対オブジェクトを生み出すことが決まりました。その上、これもまたTTMには存在しないのですが、〈ダンジョン〉の設置も決定しています』

『……ダンジョンなんて、RPGのものだろう? 何故TTMに必要なのだ。プレイヤーの死ぬ確率が上がるだけじゃないか!』

『そうです。庁は、手を尽くしてTTMという世界での生存を困難にし、プレイヤーに死の淵を歩かせようとしています。庁が計画に利用しようとしているのは、全TTMプレイヤーの半分ほどである二万人です』


 私はしばらく言葉を失っていたよ。情報科学庁は、二万という人間をデスゲームのような世界に連れ込もうとしているのだから。


『なぜ……なぜだっ、なぜそこまでするのだっ! 多くのプレイヤーを巻き込んでまで、何がしたいのだ!』

『それが、最初の答えですよ』

『な……?』

『ですから、サンプル回収です』

『サンプル……何をサンプルにすると?』

『それはもちろん、TTMプレイヤーたちです』


 途端に彼は、うっとりと夢を見るような目になって語り始めた。


 それは、悪夢の計画〈Grand〉に至るまでの話だった。

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