第4話

 そうこうしているうちに登校時間になった。

 二人分の弁当を持って家を出て自転車で学校へ。

 友人知人と挨拶、長十郎は違うクラスなので特に用がなければ会わない。

 午前の授業は上の空で過ごし、気付けば昼休みの時間になっていた。


「吐きそう」


 いつもの待ち合わせ場所は屋上――は封鎖されているので、出口の階段の踊り場だ。

 昼休みは片手間にバイト先の何かしらの事務作業をしたがる長十郎は、人気のない場所での食事を好む。そもそも、賑やかなのが得意でないというのもあるけれど。

 好きな相手と二人きりの時間がこんなにも億劫なのは初めてだった。


「もういるよねぇ……」


 屋上に続く階段を見上げて呟く。今日はもう全部忘れて帰りたい。

 とはいえ、そうなったらただでさえ普段から栄養の足りてない長十郎のお昼がなくなってしまう。それはちょっと承服できない。

 憂鬱だ。


「なにしてんの?」

「びゃっ⁉」


 変な声出た。慌てて振り返れば、そこには校則違反ギリギリまで髪を伸ばした愛想のない男が一人。


「ちょ、長十郎」

「ごめん、ちょっと遅くなった」

「いや、大丈夫……」


 まさか背後からの登場とは、なかなか楽しませてくれるじゃあないか。

 おかげでこっちは心の準備もまだ完了できてないっていうのに。


「これ、おべんと、今日の」


 やばい、単語しか喋れない。


「ありがとう、助かる」

「ひゃい」


 単語も喋れない。


「?」


 すごく不思議そうな顔をされてしまった。すごく不思議そうな顔をされてしまったが、言い訳もできないので私はさっさと階段を上り、踊り場の床をさっと払ってから腰を下ろした。ああ、もう、逃げられない。


「……なんか緊張してる?」


 長十郎が私の隣に座りながら痛いところを鋭く、しかし本人的には何気ない会話のつもりで訊ねてくる。


「いや、その、なんというか……」

「午後に発表でもあるんでしょ」

「あ、うん、そんな感じ」


 どうやら長十郎は私の緊張を見抜きながらも、その原因が午後の授業か何かにあると推察したらしい。渡りに船だと私はその勘違いにただ乗りする。


「そんで、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

「いいけど、俺より鈴木の方が頭いいでしょ」

「ああいや、勉強のことじゃなくてさ……まあ、食べながら話すよ」

「ん、おーけー」


 さりげなく、さりげなくだ。長十郎はあまり場の空気を読まないが、それは空気を読めないのではなく、自分の中での優先順位がハッキリしているからだ。

 つまりはそれなりに勘が良い。いきなり「長十郎の好きな女の子のタイプってどんなの?」なんて聞こうものなら裏を疑われてしまう。

 あくまでも自然に、穏やかなランチタイムの流れに乗じてしまえばいい。そういえばさっきクラスで話題になったんだけどさー、とか。


「ごちそうさま」

「おそまつさま」

「うん、今日も美味しかった。ありがとう」


 うん、考えてたら食べ終わっちゃった。私も長十郎も早食いの気があるのだ。お互いに食べるのが好きだからさ、味わうのに夢中で食事中黙っちゃうんだよね。まあ、長十郎の方はさっさとバイトの続きをしたいってのもあるだろうけど。


「それで、聞きたいことってなに?」


 長十郎が本腰入れて話を聞く態勢になっちゃった。もう会話の中でさりげなくって感じにはできない。渡りの船に無賃乗船しようとしたら蹴り落とされた気分。

 つまり私が悪いんですね。


「あー、それがさー」


 台本の台詞は頭にあるのに、それがどうにも声にならない。これを口にしてしまった瞬間にこの関係性は変わってしまうという強い予感が、私の唇を震えさせる。

 それでも、桃瀬という存在の登場ですでに賽は投げられたのだ。

 今日私は、ルビコンを渡る。


「長十郎ってさ、どんな子が好き?」


 ……めっちゃ声上擦った。恥ずかしくて死にそう。


「はあ? 急になに?」


 うん、まあ、そうなりますよね。分かります。

 でも今の私は「はあ?」って言われると傷つくんだ。


「いやー、さっきクラスでそういう流れになってさ。みんなの好きなタイプの話で盛り上がって、そしたらそういえば長十郎の好みって聞いたことないなって思って」


 我ながら無理筋か?

 客観的には別にそこまで不自然ではないはずだ。もちろん私たちは普段こんな話はしないので、違和感はあるだろうけど、そこは誤差の範囲だと思いたい。


「牛より豚が好きだよ」

「食べ物の好みじゃないんよ。というか、それに関しては私の方が長十郎よりよっぽど詳しいまであるからね?」


 伊達に五年も弁当作ってないんだからな。


「そりゃそうか」


 楽しそうに笑うんじゃない、キュンとしてしまうだろうが。


「異性のタイプだってば、話の流れで分かるでしょ」

「話の流れもへったくれもなかったくない?」


 それはそう。


「てか、俺の好みなんて聞いてどうすんのさ」

「なに、言いたくないの?」

「言いたくないでしょ、絶対に悪用される気がするし」

「うん」


 するね。絶対する。桃瀬の件がなくてもする。


「そんな清々しく頷かれて喋る人間いないよ」

「でも、情報料はすでに長十郎のお腹の中だけど」

「……ぐうの音も出ない反論来たな。それで先に食べさせたのか」


 普通に心の準備が整ってなかっただけです。


「……でも割と詐欺の手口だしなぁ」

「喋ってくれたら明日カツ煮作ってくるけど」

「貧乏男子高校生になんて誘惑してくれるんだお前」


 食べ物を人質に取るのは卑怯な気もするけれど背に腹は代えられない。


「好きなタイプねぇ……」


 腕を組みながら渋面で唸る長十郎。それに対し私は居住まいを正し、ドキドキしながらそのときを待った。

 1秒が1分に感じるほどの苦悶の果てに、長十郎は口を開いた。


「俺に食べ物をくれる子が一番可愛い」

「……………」


 だそうです。


「いや、黙んないでよ」

「えー? でも、それって……まあいいや、これデザートの杏仁豆腐」

「お前が学園ナンバーワン美少女だ」

「抜かしよる」


 努めて平静に私はそう言った。実際にどうだったかは分からない。

 だけど、聞きたいことは聞けた。被害はともかく戦果は十分だろう。

 それから私は、五限目に発表があるからと言っていつもより早めに解散した。

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