九
(好き?)
誰を?俺を?
さっきよりも長く重ねられていた唇がゆっくりと離れ、俺は大きく息を吐いた。
「…は…っ」
驚きすぎて涙は止まり、目を見開いたままになっていた。それに気付いて瞬きを繰り返し、大紀を見つめる。頬に温かい手が触れ、涙を拭われる。さっきまでとは違う優しげな目で見つめ返されたかと思うと、また唇が合わさり、顎に添えられた指に力が入って、俺の下唇が開かされた。隙間から入り込むぬるりとした感触に、ぞくっとする。
(…だいちゃんと、キス、してる…)
何度目かのキスだ。柔らかく湿った唇と舌が触れ合って、角度を変える度に小さく聞こえる、ぴちゃっという音に、またぞくぞくしてしまう。
少ししてその熱が離れていき、代わりに強く抱き締められ、大紀が俺の肩に頭を乗せた。ふわりと髪が薫った。耳元で大紀が囁く。
「…ちゃんと、話そう。もっと、お互いに」
あの日の言葉が頭の中で甦った。
ー実は、僕とかれんさんとは結婚を前提としたお付き合いをしていまして…。かれんさんの息子である玲哉くんともお互い、家族のように接してきましたし、僕は玲哉くんを息子同然に思っています。ですから、今後は、僕が玲哉くんを責任持ってお預かりします。
葬儀に訪れた学校の先生やアパートの大家さん、近所の人達に、大紀はそうやって説明した。大紀と俺のやり取りを見ていたみんなは、その言葉に納得し、安心したみたいだった。ただ俺は、俺一人だけはもやもやしていたけれど。
ソファで肩を並べるように座り直し、俺はずっと思っていたことをただ、訥々と話した。
「…二人が結婚するつもりだったなんて俺…俺だけ、全然知らなくて。あの時は、仲間外れみたいで、悲しかった…」
「そっか…」
「だいちゃんにとって、俺は母さんの『恋人の忘れ形見』で、『息子同然』で…。それなら、母さんの代わりにご飯作って、身の回りのことやったげれば、俺のこと、見てくれるのかな?母さんの代わりに、俺のこと…」
抱いてくれるのかな、という言葉は飲み込む。
「…好きになってくれるかな、って期待してた。でも、『母さんに似てきた』って言われたら、大ちゃんが好きなのはやっぱり母さんで、俺じゃぁ、代わりになれないんだな、俺はどこまでも『息子同然』で、そういう対象じゃないなら、思いは伝えられないな、って…それなら、一緒にいるのはつらいだけだな、って…」
俯きながら話しているので大紀の顔は見えない。きっと呆れたような、憐れむような表情をしているんだろう。
「ごめん…」
肩を抱かれて体を引き寄せられる。
「全部、僕のせいだ。玲哉のこと、ずっと傷つけてきたんだね…」
「…」
否定も肯定もできず、俺はただ俯いていた。
「…全部、方便だったんだよ」
「…?」
俺は顔を上げた。そこにあったのは予想していたような表情ではなく「ばつが悪い」と言いたげに目を伏せる大紀の顔だった。
「僕とかれんちゃんの交際を、君が知らなかったのは無理ないんだ。と言うか、かれんちゃんだって知らないよ。だってそんな事実は、どこにもないんだから」
「え?」
「玲哉を引き取るための、でまかせだもの」
「っ!」
「お涙頂戴の設定を作り上げて、周りを納得させた」
大紀は深くため息をついて、それから俺に視線を向けてきた。
「…僕の方が先だと思うよ、玲哉…」
「え?なにが…」
俺の胸はなにかに期待するようにドキドキしていた。
「僕の方が、先に君を好きになった」
「え…?」
「引くよね?相手は一回りも違う子ども…」
大紀は自嘲する。
「かれんちゃんが亡くなったあの日…。再会した君を『もう二度と離さない』って強く思った。君を労るふりをして抱き締めた…。その時自覚したよ。ああ、玲哉が好きだって」
あの日のことを思い出す。俺を見つめている大紀の目に少しずつ熱が増してくるのは、きっと気のせいじゃない。
「ずっと、君が好きだよ、玲哉」
はっきりと言葉にされ、胸がどくん、と高鳴る。
「…母さんじゃ、なく?」
大紀が頷いた。
「かれんちゃんは、姉みたいなもので…。それ以上でも以下でもない。かれんちゃんだって、君のお父さん一筋だったし…」
写真でしか知らない俺の父親は、大紀とはまったくタイプの違う男性だった。
大紀は、
「出会った頃からもう君から目が離せなかった。きっとその時はもう、好きになってたんだよ。僕はあの頃から、玲哉が大切で、可愛くて仕方なかった。久しぶりに再会して、周りの人を言いくるめて、なりふり構わず自分のもとに囲ってしまうくらいには」
「あ…」
涙が溢れた。
(なんで今まで気付かなかったんだろう?)
大紀の置かれた立場を考えたら、わざわざ面倒事を引き受ける必要なんかなくて。それなのに大紀は俺を引き取って一緒に暮らしてきた。
六年も一緒にいたのに、触れてすらこなくて。
それなら、そこにあるのは、俺への「想い」じゃなくてなんだというんだろう?
「…だいちゃん、ありがとう」
俺は大紀の胸にすがりついた。大紀も嬉しそうに背中に手を回してくる。
「…ほんとはね、高校を卒業するまで待つつもりだったのに、『ここを出る』って言われて我慢できなかった。玲哉…『出てく』なんてもう言わないで。これからもそばにいて。僕の…恋人として」
「!…うん…うん」
俺は何度も頷いた。
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