十 

「っ…わ」

一瞬体が浮いたかと思うと、俺は大紀の膝の上に横抱きにされていた。

大紀が顔を寄せて、ちゅっと触れるだけのキスをして、大紀の方を向かせる。それからまた唇を重ねて、俺の下唇や舌を食むようにして、舌を絡めてくる。俺もそれを追いかけるようにして答えた。とても優しくて、じっくりと、お互いの存在を確かめ合うような、そんなキスだった。

唇から熱が離れ、その熱が首に降りていく。鎖骨の辺りをちゅうっと吸われたとき、俺は思わず大紀の胸を押した。

「ひゃっ…ちょ、ちょっと待って!」

こっちは初心者だ。キスだってはじめてだった。

(そうだよ、ファーストキスだったんだよ…)

それなのに、今日だけで何度もキスしてしまった、と思い出したら、急に恥ずかしくなった。その上、更に先まで?とこれからのことを想像して、俺は…。簡単に言うと、怖じ気づいてしまった。体を丸めるようにして、大紀の胸に顔を埋める。

「玲哉?どうしたの?」

大紀が顔を覗き込もうとしてきたので、

「~~~っ!…見ないで…今、変な顔してるから…」

ぎゅうっと大紀にしがみつく。

「俺、いろいろ、初めてで…。キスも…。だから…」

頭の上で、大紀がふっと笑ったみたいだった。

「うん…今日はここまでにしとこ」

俺はこくこくと頷く。

「これから、時間はたっぷりあるからね。慌てないで進んでいこう」

大紀が俺の体をすっぽりと包み込む。頭にふんわりと温かいものが触れたから、キスされたんだな、って分かった。

まだ恥ずかしさの方が大きいけれど、大紀に抱かれているのは安心する。逞しい腕や広い胸板、俺より少し高い体温が心地よく、俺の背中をさする手のひらが少しくすぐったい。

触れ合っているところから、とくんとくんと、大紀の胸の鼓動が伝わってくる。俺のドキドキも大紀に伝わっているんだろうか。

不意に大紀が呟いた。

「…かれんちゃん、怒ってるだろうなぁ…」

はは、と苦笑いする。

「『付き合ってた』なんて、みんなに大嘘ついて、かれんちゃん巻き込んで、大事な宝物である玲哉を泣かせて…」

「…ふふ、どうかなぁ?」

一人ぼっちになりそうだった息子を引き取って、こんなに大切にしてくれているのだから、母さんはむしろ感謝しているんじゃないだろうか?

普段は優しいのに、怒ると口調が乱暴になる、母さんのことを思い出す。

「怒られるとしたら、俺の方じゃない?『母親にヤキモチ妬くんじゃない!』とか、言いそう…」

「それだって、元はと言えば僕が…あ」

ふと、大紀が何かを思い出した様子で言った。

「そう言えばさ、玲哉が小さい頃、二人で叱られたことあったよね?玲哉に変身ポーズねだられてさ…」

同じことを考えていた。嬉しくなる。

「うん。俺がしつこくお願いして、母さんに『いい加減にしなっ!』って。で、だいちゃんも…」

「『調子に乗るんじゃない!』って…」

顔を見合わせて笑う。

「…強い人、だったよね」

「うん。かっこいい人だったよ。芯がしっかりした…」

じわりと、涙が浮かんだ。

大紀と二人、母さんの思い出を話したのは、この六年の中ではじめてかもしれない。俺が、嫉妬心から避けてしまっていたから。

(今までごめん。母さん…)

「これから、もっとかれんちゃんの思い出、話そうか?」

切なくて、でも優しい気持ちになって、涙が溢れる。

「うん…」

俺達二人を叱った後の、呆れたような笑顔を思い浮かべた。きっと今も、同じ顔をしてどこかから見ている。そんな気がした。


◇◇◇◇


思いが通じ合って数週間。

俺は改めて受験生として、家事と勉強に勤しむ毎日だった。大紀は、連続ドラマの撮影が終わって少し時間にゆとりができたらしく、朝ごはんを一緒に食べることが増えた。

「…だからさぁ、夏休みに、どっか行こうよ~」

「…俺、受験生なんだけど?」

「毎日勉強するわけじゃないでしょ?」

「毎日、夏期講座です。受験生に夏休みはない」

「え~!」

不満そうに口を尖らす。

「て言うか、だいちゃん、有名人なんだから我慢して」

「…そういうブレないとこ、ほんとかれんちゃんとそっくり」

「!…そうだよ、自慢の息子ですから」

顔を見合わせて笑う。

気持ちが通じ合って、こんなやりとりが出来るようになって、幸せな気持ちで過ごしている。

ちょっと冷静になったら、大紀の職業だったり、性別だったり…。見て見ぬふりのできない問題は結構ある。

けど、母さんのように、ある日突然会えなくなるかもしれないんだな、なんて考えて、だったら、「あの時ああしておけば良かった」という思いはできるだけしないようにしたいな、とも思う。

「だから…」

(ほんとはもう、シたいんだけど…)

と口に出しそうになって、俺は一人で赤くなった。

そう、俺と大紀はまだ最後まではシていない。

一応のケジメとして、最後までするのは俺が十八歳になってから、と二人で決めた。

…まあ、イチャイチャしている途中で、俺だけイッちゃいそうになることは時々あるから、「最後まで」の境界はあいまいなんだけど…。

そんな俺を見ても「最後まではまだ」と我慢できている大紀の精神力って、改めてすごいと思う。そう言えば、

(同居したときからずっと耐えてるんだった…筋金入りだ)

「玲哉~」

洗面室から大紀の声がする。シャワーを終えたらしい。

「はーい」

(あ、そだ…)

ずっと前に、髪を乾かしてあげたときにやりたかったことを思い出す。後ろから頭を抱えて、相手の唇に噛みつくみたいにするキス。お互いの気持ちを知る前は妄想の中でしかできなかった。こういういたずらをするくらいには、俺もスキンシップに慣れてきている。

(きっとびっくりするな)

と、「背後から『わっ』と大きな声をかける軽いドッキリ」くらいの気持ちでバスルームに向かった俺は、その後、まんまと大紀の返り討ちに逢って、「煽った方が悪い」と、登校前にキスだけでイク寸前まで持っていかれ、遅刻しそうになって後悔したのだった。



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