七
◇◇◇◇
「ただいま」
「!…う、うん。おかえり、…帰ってたんだ」
バスルームから出てくると、リビングのソファに大紀の姿があって、一瞬驚く。
時計を見れば、夜の九時を過ぎたところだった。
「きょ、今日は少し早いね」
「うん、予定が変わってね」
「そっか…。あ、晩ご飯は?」
「済ませてきた」
「そ、そう」
大紀は少し目を細め、ふうっと息を吐いた。何となくその視線が気になる。
(…大丈夫、だよな?)
さっき、風呂で一度抜いてきたせいで、少し気まずい。見られたとか、声を聞かれたとかは、たぶん、ないだろう。
(ない、よな?うぅ…。気を付けよ…)
大紀の視線を避けるようにして、俺は冷蔵庫を開け、炭酸水のペットボトルを取り出す。ドアを閉めると、
「玲哉、こっち来て座って」
と、大紀に呼ばれた。
「な、何?」
「話したいことあるから。こっち」
大紀は自分の横の座面をぽんぽんと叩く。
「はい…」
俺は素直に応じて、大紀の隣に座る。少し隙間を空け、正面を向く。大紀は、俺の方に体を向け、
「玲哉、進学やめるってほんと?」
「…っ!」
いきなりの質問に、答えに詰まる。
「今日、先生から連絡あった」
(仕事早いな、先生…)
先生には、今日の昼休みに、それとなく話してみたばかりだった。
「『なんだか、悩んでいる様子なので、今後について、もう一度ご家族で話し合ってみてください』だってさ」
「…」
視線だけで、大紀の方を見る。声は優しいが、大紀の顔は笑っていない。
「『もう一度』も何も、僕、初耳なんだけど?」
(忙しくて、話す時間なんてないじゃん…)
と思っていたら、
「…そういや、話す時間もなかったな、と思って、僕も少し反省はしたよ。ごめん、玲哉」
「そ、そんな、こと…」
と、大紀の方から謝られてしまった。そもそも話す気などなかったので、謝られて少し心苦しい。
「で、進学やめるってなに?どういうこと?」
大紀はそのあたりをうやむやにする気はないらしい。先に下手に出られたことで、逃げ道を絶たれたような気がする。俺は仕方なく、
「就職、しよう、かなぁ、とか…」
なぜか、言葉が途切れ途切れになってしまう。
「なんで?」
「…高校卒業したら、自立、しようかな、って…」
「は…?」
大紀が言葉を失ったように、沈黙した。ほんの数秒なのに、その間が居たたまれなくて、俺は大紀の方を向いて、そのまま一気に話した。
「ほら、俺もそろそろ十八歳だしさ。もう成人するのに、いつまでも、だいちゃんの世話になってばっかりじゃ心苦しいっていうか…。だから、ここを出て…」
「ここを出る…?」
間が空く。
「う、うん…で、ひ」
一人で暮らししたい、と言おうとして、肩を掴まれ、言葉を遮られる。
「出てく?…なんで!…」
大紀が思いがけず大きい声を上げたので、俺はびくっと体を強張らせてしまった。肩を掴む指先が食い込んでくる。
「…い、いたっ、い…、だい、ちゃん…!」
ようやく声が出たが、その声が弱々しくて少し情けない。でも、俺の小さな声が耳に届いたみたいで、大紀はハッとした顔をした。その後気まずそうに、目をそらし、また、謝ってくる。
「ご、ごめん…」
肩を掴む手から少し力が抜けたことに少しほっとして、俺は大きく息を吐いた。
「…玲哉」
大紀も深呼吸をした。さらに一呼吸おいて口を開いた。
「…成人するだけが理由?他に何か、出ていきたい理由があるんじゃないの?」
(…出ていきたい、わけじゃない)
俺は、心の中で呟く。
叶わない思いを秘めたまま、大紀のそばにいることがつらい。思いを告げたところで、自分の望み通りになるとは到底、思えない。だったらいっそ、大紀から離れたいんだ。
「…玲哉、最近、少し変わったよね」
「え?!」
声が裏返ってしまった。
「なんて言ったらいいか…。なんか危ういって言うかさ。…色気付いた、って言うか…」
大紀に、自慰行為のことを言われているような気がしてしまい、顔が熱くなる。
(ホントに、見られてないよな!?)
下を向いて、赤くなった顔を隠そうとした俺に、大紀が詰め寄る。
「…やっぱりなにか、あったの?!」
咎められているように感じ、ムッとなって、
「…だいちゃんには、関係ない…」
と、俺はそっぽを向いた。
「…好きな人、できたとか?」
「?!」
ピクリと体が反応してしまう。顔がますます熱くなっていく。俺の態度に確信を持ったのか、大紀が言った。
「いるんだね?好きな人」
いる。好きな人はいる。
(目の前にな!)
そう思っても口にはできず、また下を向く。
大紀の声は震えている。
「ここを出て…その人のところに行くつもり?!」
「はっ?!違っ…!」
(て言うか、なんで、そうなる?!)
予想外の言葉に反論しようとするが、もたもたしているうちに、大紀の指に顎を絡め取られ、俺は言葉を呑み込んだ。ぐいっと顔を引き上げられる。俺はその強引さに驚き、肩をすくめ、顎を引こうとしたが、大紀の手は思った以上に力強くて、それはかなわなかった。
「ちょっ……」
「ほら、そんな顔しちゃって…。その人のこと思い出した?」
大紀の顔が近付く。俺の顔はこれ以上ない、っていうくらい赤くなっていると思う。ただただ熱い。
(ち、近いし…!)
「…でも、だーめ」
大紀の声は、いつものおっとりとした感じなのに、
(あ、これは、なにかマズい…)
反射的に感じた。でも、もう遅かった。
「君は、僕のだよ」
俺が体を引くより早く肩を掴まれ、更に顔が近付いたかと思うと、唇と唇が触れた。かすかに、シャンプーの香りがした。
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