◇◇◇◇


「ただいま」

「!…う、うん。おかえり、…帰ってたんだ」

バスルームから出てくると、リビングのソファに大紀の姿があって、一瞬驚く。

時計を見れば、夜の九時を過ぎたところだった。

「きょ、今日は少し早いね」

「うん、予定が変わってね」

「そっか…。あ、晩ご飯は?」

「済ませてきた」

「そ、そう」

大紀は少し目を細め、ふうっと息を吐いた。何となくその視線が気になる。

(…大丈夫、だよな?)

さっき、風呂で一度抜いてきたせいで、少し気まずい。見られたとか、声を聞かれたとかは、たぶん、ないだろう。

(ない、よな?うぅ…。気を付けよ…)

大紀の視線を避けるようにして、俺は冷蔵庫を開け、炭酸水のペットボトルを取り出す。ドアを閉めると、

「玲哉、こっち来て座って」

と、大紀に呼ばれた。

「な、何?」

「話したいことあるから。こっち」

大紀は自分の横の座面をぽんぽんと叩く。

「はい…」

俺は素直に応じて、大紀の隣に座る。少し隙間を空け、正面を向く。大紀は、俺の方に体を向け、

「玲哉、進学やめるってほんと?」

「…っ!」

いきなりの質問に、答えに詰まる。

「今日、先生から連絡あった」

(仕事早いな、先生…)

先生には、今日の昼休みに、それとなく話してみたばかりだった。

「『なんだか、悩んでいる様子なので、今後について、もう一度ご家族で話し合ってみてください』だってさ」

「…」

視線だけで、大紀の方を見る。声は優しいが、大紀の顔は笑っていない。

「『もう一度』も何も、僕、初耳なんだけど?」

(忙しくて、話す時間なんてないじゃん…)

と思っていたら、

「…そういや、話す時間もなかったな、と思って、僕も少し反省はしたよ。ごめん、玲哉」

「そ、そんな、こと…」

と、大紀の方から謝られてしまった。そもそも話す気などなかったので、謝られて少し心苦しい。

「で、進学やめるってなに?どういうこと?」

大紀はそのあたりをうやむやにする気はないらしい。先に下手に出られたことで、逃げ道を絶たれたような気がする。俺は仕方なく、

「就職、しよう、かなぁ、とか…」

なぜか、言葉が途切れ途切れになってしまう。

「なんで?」

「…高校卒業したら、自立、しようかな、って…」

「は…?」

大紀が言葉を失ったように、沈黙した。ほんの数秒なのに、その間が居たたまれなくて、俺は大紀の方を向いて、そのまま一気に話した。

「ほら、俺もそろそろ十八歳だしさ。もう成人するのに、いつまでも、だいちゃんの世話になってばっかりじゃ心苦しいっていうか…。だから、ここを出て…」

「ここを出る…?」

間が空く。

「う、うん…で、ひ」

一人で暮らししたい、と言おうとして、肩を掴まれ、言葉を遮られる。

「出てく?…なんで!…」

大紀が思いがけず大きい声を上げたので、俺はびくっと体を強張らせてしまった。肩を掴む指先が食い込んでくる。

「…い、いたっ、い…、だい、ちゃん…!」

ようやく声が出たが、その声が弱々しくて少し情けない。でも、俺の小さな声が耳に届いたみたいで、大紀はハッとした顔をした。その後気まずそうに、目をそらし、また、謝ってくる。

「ご、ごめん…」

肩を掴む手から少し力が抜けたことに少しほっとして、俺は大きく息を吐いた。

「…玲哉」

大紀も深呼吸をした。さらに一呼吸おいて口を開いた。

「…成人するだけが理由?他に何か、出ていきたい理由があるんじゃないの?」

(…出ていきたい、わけじゃない)

俺は、心の中で呟く。

叶わない思いを秘めたまま、大紀のそばにいることがつらい。思いを告げたところで、自分の望み通りになるとは到底、思えない。だったらいっそ、大紀から離れたいんだ。

「…玲哉、最近、少し変わったよね」

「え?!」

声が裏返ってしまった。

「なんて言ったらいいか…。なんか危ういって言うかさ。…色気付いた、って言うか…」

大紀に、自慰行為のことを言われているような気がしてしまい、顔が熱くなる。

(ホントに、見られてないよな!?)

下を向いて、赤くなった顔を隠そうとした俺に、大紀が詰め寄る。

「…やっぱりなにか、あったの?!」

咎められているように感じ、ムッとなって、

「…だいちゃんには、関係ない…」

と、俺はそっぽを向いた。

「…好きな人、できたとか?」

「?!」

ピクリと体が反応してしまう。顔がますます熱くなっていく。俺の態度に確信を持ったのか、大紀が言った。

「いるんだね?好きな人」

いる。好きな人はいる。

(目の前にな!)

そう思っても口にはできず、また下を向く。

大紀の声は震えている。

「ここを出て…その人のところに行くつもり?!」

「はっ?!違っ…!」

(て言うか、なんで、そうなる?!)

予想外の言葉に反論しようとするが、もたもたしているうちに、大紀の指に顎を絡め取られ、俺は言葉を呑み込んだ。ぐいっと顔を引き上げられる。俺はその強引さに驚き、肩をすくめ、顎を引こうとしたが、大紀の手は思った以上に力強くて、それはかなわなかった。

「ちょっ……」

「ほら、そんな顔しちゃって…。その人のこと思い出した?」

大紀の顔が近付く。俺の顔はこれ以上ない、っていうくらい赤くなっていると思う。ただただ熱い。

(ち、近いし…!)

「…でも、だーめ」

大紀の声は、いつものおっとりとした感じなのに、

(あ、これは、なにかマズい…)

反射的に感じた。でも、もう遅かった。

「君は、僕のだよ」

俺が体を引くより早く肩を掴まれ、更に顔が近付いたかと思うと、唇と唇が触れた。かすかに、シャンプーの香りがした。


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