中学になって、初めての夏休みが近付いていた。

「栗原、ちょっと職員室に来なさい」

昼休み、教室で友達と下らない話で盛り上がっていた俺は、学年主任の女の先生に呼び出された。

「お前何したの?」「何もしてないよ」

友達とそんなやり取りをして廊下に出ると、先に行ったと思っていた先生がいて、その顔は少し強張っているように感じた。「あれ?マジで俺、何かした?」と少し焦ったけれど、先生は、静かに「少し急ぎましょう」と言っただけだった。

職員室は、昼休みの教室よりざわついていたように思う。

「失礼しま…」

「栗原!」

担任が俺に気付いて、駆け寄ってきた。

「栗原、落ち着いて聞いてくれ。今、連絡があって…」

一瞬目の前が暗くなったような気がした。

(え?なんて?どこからだって?)

そこで俺が聞かされたのは、すぐには信じられない話だったから。

「…とにかく、行きましょう」

副校長が俺に付き添ってくれることになった。

タクシーの中、ずっと、手が震えている俺に、

「連絡しておいた方がいい親戚とか、頼れそうな人とかはいないのかい?」

と副校長が聞いてきた。

(頼れる人…)

携帯電話を手にした俺は、震える手であの番号に電話していた。

ー…玲哉?ー

なんだかすごく懐かしい気がした。胸がいっぱいになって、最初は何も言えなかった。

それなのに電話の向こうでは、その人が一切疑うことなく、俺の名前を何度も呼び掛けてくれた。

ー玲哉?どうした?何かあった?玲哉?大丈夫?ー

「…だいちゃぁん…」

ようやく声が出た。でも、涙声で、すごく聞き取りづらかっただろうと思う。

ー泣いてるの?!なんで?!大丈夫じゃないね?!今どこ?…玲哉…!ー

「だいちゃん…。母さん、母さんが…母さんが、死んじゃった…」

俺は、それだけをやっと絞りだした。


副校長に付き添われて向かったのは警察署だった。俺はそこで、母さんの遺体と対面した。

勤務先の定食屋で、店先の掃除をしていた母さんは、暴走車にはねられたのだそうだ。車を運転していたのはお年寄りで、暴走の原因は「アクセルとブレーキを踏み違えた」という、ニュースなどで時々聞くものだった。

(まさか、自分の身近で起こるなんて…)

信じられない、信じたくないっていう気持ちのまま、遺体安置室で母さんと対面した。それは紛れもなく母さんだったけど、母さんの綺麗な顔には大きな擦り傷があった。そして、その顔色は、

(…もう起きない)

と思い知らされる状態だった。

身内の俺が「母さんで間違いありません」と確認したので、警察の人からは「現場の状況から『事故死』と処理されます」と話された。でも、遺体を引き取るための経過や手続きなどは、説明されても全然頭に入ってこなくて、俺は途方に暮れた。付き添ってくれた副校長が学校に連絡すると言うので、一緒に警察署の外に出た時、不意に名前を呼ばれた。

「玲哉!」

「え…?」

少し前に電話で、久しぶりに聞いた、大好きな人の声。

信じられなかった。そこには大紀がいて、知らない男の人と一緒に、俺の方に駆け寄ってくるのが見えた。

「…だいちゃん…」

「玲哉…!」

ふわりといい匂いに包まれ、大紀に抱き締められたのだと分かった。一瞬気が遠くなり、自分が気を失う寸前だったことにも気付く。大紀の腕に支えてもらって、なんとか俺は意識を保った。

大紀と一緒にいた男の人が、副校長に名刺らしいものを手渡し、何やら話をしている。

「…ということですので…。ああ、まだ、詳細は…。今は玲哉くんも…でしょうし」

「そうですね…。…では…こちらもそのように…」

「はい、なにせ、松島に……ので」

大紀の腕の中にいた俺は、二人が何を話していたのかよく聞こえなかったけれど、副校長の表情は「肩の荷が降りた」と言っているようだっ

た。副校長は、俺の肩をポンと叩くと、

「栗原くんに頼れる人がいて良かった。…気を落とすな、と言っても無理だろうが…。お二人を頼って、一人で背負い込まないようにな。では、お二人とも、今後ともよろしくお願いします。私は失礼しますが、栗原くんのこと頼みます」と、頭を下げて去っていった。

副校長と話をしていた男性が、大紀のマネージャーの山元だというのは、後から知った。

それから大紀と山元は、俺に変わって、色々な手続きや葬儀の手配などを取り仕切ってくれた。その上、俺を引き取る算段をつけ、アパートの解約やら引っ越しの手配やらをあっという間に、本当にあっという間に済ませてしまい、夏休みに入ってすぐには、俺たち二人の同居生活が始まったのだった。


◇◇◇◇


ーside 大紀ー


「松島くん。玲哉くんの学校から、着信がありました」

「え?」

マネージャーの山元が、休憩中に声をかけてきた。

「珍しいね?何かあったのかな?」

「いえ、着信履歴は一度なので、急用ではないようです。折り返しますか?」

時計を見ると四時半を過ぎたところだった。この時間なら授業は終わっているだろう。

「一回、かけてみる」

僕は山元から携帯電話を受け取り、表示された電話番号にリダイヤルした。

「…三年一組、栗原玲哉の保護者の松島と言いますが…ええ、昼間、ケータイの方に着信がありまして…はい、ああ、いつもお世話に…え?…」

担任の言葉に、僕は困惑した。電話の向こうで、担任の先生が、ほとほと困り果てている、といった様子がうかがえた。



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