五
◇◇◇◇
いつから「だいちゃん」「玲哉」と呼び合うようになったのかは覚えていない。ただ、俺にとって大紀は、写真でしか知らない父親よりもずっと身近な「大人の男性」だった。
宿題を教えてもらったり、ゲームを貸してもらったり。公園で、キャッチボールやサッカーを教えてもらったこともあるし、忙しい母さんの代わりに、水族館に連れていってもらったこともある。
そんな大紀が、実はテレビに出る人で、好きだった「ヒーロー戦隊」の「ブルー」だと知った時はすごく興奮した。変身ポーズや決め台詞を何回もせがんで「玲哉、いいかげんにしなっ!大ちゃんも調子に乗らない!」と二人で母さんに叱られたこともあった。
そのうちに仕事が増えてきたらしい大紀は、徐々にアパートを訪れる頻度が減っていった。
ある日、久しぶりに会った大紀は目に見えて元気がなくて。
「ちょっと疲れてるかな….」
と弱々しく笑った。
「…じゃ、いいもの作ったげる!」
そう言って、俺は覚えたばかりのホットケーキを焼いた。シロップをかけて、バターを乗せて、ホットココアと並べてトレーに乗せ、
「だいちゃん、どうぞ!母さんがね、『つかれたときはあまいもの~』って言ってた」
と、大紀の前に置いたら、
「え、すごい!玲哉、こんなことできるようになったの?!」
って、びっくりしてた。
「えへへ。食べて!」
「うん、いただきます。…わ、うん、おいしい!ありがとう、玲哉。ほんと、疲れなんて吹き飛ぶ!」
「良かった~!」
ホットケーキで元気付けようとか、子どもの発想だ。今なら大紀が大袈裟に褒めてくれたんだって分かる。でも、あの時はすごく嬉しかった。自分の作ったものをおいしいと食べて喜んでくれる。
今思うと、あれが、料理をするようになったきっかけかもしれない。
一緒にホットケーキを食べたあの日以来、大紀とは、ほとんど会えなくなった。忙しさだけが理由じゃなくて、顔が売れてきて自由が利かなくなったみたいだった。
母さんが自分の携帯電話をさしだして、
「大ちゃんの息抜きになるよ、きっと」
と、メッセージを送ることを提案してくれた。
俺は、「テストで自分だけ百点だった」とか、「はじめて一人でカレーを作った」とか…。日記みたいに書いて送った。
「『返信不要』つけてね~」
と、母さんから言われた通りにしていたけど、大紀からは、毎回短い返事やスタンプが返ってきて、それだけで嬉しかった。
ある休みの日、母さんが仕事に行ったあと、俺は家事を済ませて、テレビを点けた。
特撮を見るつもりで点けたテレビで、平日の情報番組を放送していて、一瞬戸惑い、
「あ、今日、月曜か」
カレンダーを見て、その日が振り替え休日だったことに気付く。
「あ、だいちゃん…」
何気なく見ていたその情報番組に「俳優、松島大紀」が生出演していた。俺が見るテレビと言えば、特撮やアニメ、クイズ番組。その日初めてテレビで「俳優、松島大紀」を見たと思う。(なんか、変な感じ…)
映画の宣伝らしく、主演の女の人と並んで映画の見所を話す大紀は、いつもより物静かで少しクールな雰囲気だった。番組の中で映画のダイジェストが流れ、思わず「あっ…」と声を上げた。大紀が女の人を後ろから抱き締めたかと思うと、女の人の頭を抱き込んで口と口をくっつけたのだ。
(キ、キス?!そ、そっか…そうだよね)
繰り返し映画のダイジェストが流れて、あの場面を見るのが恥ずかしかった俺は、テレビを消してしまった。
その日は、いつテレビを点けても大紀と、あの女の人が出ていた。
あの場面がちらついて、宿題も家事も進まない。
仕事から帰ってきた母さんと、晩御飯を食べながらその話をしたら、母さんはくすくす笑って、
「忙しそうだねぇ。いいことだけど、一日、バラエティーに出ずっぱりとか…大変だね」
と言った。それから、
「もう、気軽に『大ちゃん』なんて、呼べないかなぁ」
と苦笑いしていた。
大紀の忙しさを改めて知ると、毎日の下らないメッセージを読ませるのも申し訳ないような気がしてくる。母さんは、
「そこは気にしなくていいんじゃないの?」
と言ったけど、やっぱり気になって、それが三日に一回になり、一週間に一回になり、小学校卒業間近にはほとんど送らなくなった。
その後、俺は中学校に入学した。入学式の夜、母さんと久しぶりにファミレスで外食した時に、
「玲哉にお祝い届いてるよ」
と言って、母さんがバッグから携帯電話を取り出した。真新しいそれは、母さんのものではなくて。
「えと…?」
「玲哉の」
「え?!」
「大ちゃんがくれたんだよ」
「え!?」
「お礼のメッセージ入れてみたら?」
「うん!」
連絡先から「松島大紀」を見つけて、メッセージを送る。いつも通り「返信不要」と添えて。
次の日に、お祝いの言葉と絵文字が送られてきた。
(嬉しい!でも、やっぱり忙しそう…)
そんな中、自分のために携帯電話を選んでくれたこと、お祝いの言葉をくれたことを思うと、顔や体が熱くなったのを覚えている。
(これ以上、煩わせちゃいけないよな…)
自分の携帯電話から送ったメッセージは、それが最初で最後になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます