◇◇◇◇


いつから「だいちゃん」「玲哉」と呼び合うようになったのかは覚えていない。ただ、俺にとって大紀は、写真でしか知らない父親よりもずっと身近な「大人の男性」だった。

宿題を教えてもらったり、ゲームを貸してもらったり。公園で、キャッチボールやサッカーを教えてもらったこともあるし、忙しい母さんの代わりに、水族館に連れていってもらったこともある。

そんな大紀が、実はテレビに出る人で、好きだった「ヒーロー戦隊」の「ブルー」だと知った時はすごく興奮した。変身ポーズや決め台詞を何回もせがんで「玲哉、いいかげんにしなっ!大ちゃんも調子に乗らない!」と二人で母さんに叱られたこともあった。

そのうちに仕事が増えてきたらしい大紀は、徐々にアパートを訪れる頻度が減っていった。

ある日、久しぶりに会った大紀は目に見えて元気がなくて。

「ちょっと疲れてるかな….」

と弱々しく笑った。

「…じゃ、いいもの作ったげる!」

そう言って、俺は覚えたばかりのホットケーキを焼いた。シロップをかけて、バターを乗せて、ホットココアと並べてトレーに乗せ、

「だいちゃん、どうぞ!母さんがね、『つかれたときはあまいもの~』って言ってた」

と、大紀の前に置いたら、

「え、すごい!玲哉、こんなことできるようになったの?!」

って、びっくりしてた。

「えへへ。食べて!」

「うん、いただきます。…わ、うん、おいしい!ありがとう、玲哉。ほんと、疲れなんて吹き飛ぶ!」

「良かった~!」

ホットケーキで元気付けようとか、子どもの発想だ。今なら大紀が大袈裟に褒めてくれたんだって分かる。でも、あの時はすごく嬉しかった。自分の作ったものをおいしいと食べて喜んでくれる。

今思うと、あれが、料理をするようになったきっかけかもしれない。


一緒にホットケーキを食べたあの日以来、大紀とは、ほとんど会えなくなった。忙しさだけが理由じゃなくて、顔が売れてきて自由が利かなくなったみたいだった。

母さんが自分の携帯電話をさしだして、

「大ちゃんの息抜きになるよ、きっと」

と、メッセージを送ることを提案してくれた。

俺は、「テストで自分だけ百点だった」とか、「はじめて一人でカレーを作った」とか…。日記みたいに書いて送った。

「『返信不要』つけてね~」

と、母さんから言われた通りにしていたけど、大紀からは、毎回短い返事やスタンプが返ってきて、それだけで嬉しかった。


ある休みの日、母さんが仕事に行ったあと、俺は家事を済ませて、テレビを点けた。

特撮を見るつもりで点けたテレビで、平日の情報番組を放送していて、一瞬戸惑い、

「あ、今日、月曜か」

カレンダーを見て、その日が振り替え休日だったことに気付く。

「あ、だいちゃん…」

何気なく見ていたその情報番組に「俳優、松島大紀」が生出演していた。俺が見るテレビと言えば、特撮やアニメ、クイズ番組。その日初めてテレビで「俳優、松島大紀」を見たと思う。(なんか、変な感じ…)

映画の宣伝らしく、主演の女の人と並んで映画の見所を話す大紀は、いつもより物静かで少しクールな雰囲気だった。番組の中で映画のダイジェストが流れ、思わず「あっ…」と声を上げた。大紀が女の人を後ろから抱き締めたかと思うと、女の人の頭を抱き込んで口と口をくっつけたのだ。

(キ、キス?!そ、そっか…そうだよね)

繰り返し映画のダイジェストが流れて、あの場面を見るのが恥ずかしかった俺は、テレビを消してしまった。

その日は、いつテレビを点けても大紀と、あの女の人が出ていた。

あの場面がちらついて、宿題も家事も進まない。

仕事から帰ってきた母さんと、晩御飯を食べながらその話をしたら、母さんはくすくす笑って、

「忙しそうだねぇ。いいことだけど、一日、バラエティーに出ずっぱりとか…大変だね」

と言った。それから、

「もう、気軽に『大ちゃん』なんて、呼べないかなぁ」

と苦笑いしていた。

大紀の忙しさを改めて知ると、毎日の下らないメッセージを読ませるのも申し訳ないような気がしてくる。母さんは、

「そこは気にしなくていいんじゃないの?」

と言ったけど、やっぱり気になって、それが三日に一回になり、一週間に一回になり、小学校卒業間近にはほとんど送らなくなった。

その後、俺は中学校に入学した。入学式の夜、母さんと久しぶりにファミレスで外食した時に、

「玲哉にお祝い届いてるよ」

と言って、母さんがバッグから携帯電話を取り出した。真新しいそれは、母さんのものではなくて。

「えと…?」

「玲哉の」

「え?!」

「大ちゃんがくれたんだよ」

「え!?」

「お礼のメッセージ入れてみたら?」

「うん!」

連絡先から「松島大紀」を見つけて、メッセージを送る。いつも通り「返信不要」と添えて。

次の日に、お祝いの言葉と絵文字が送られてきた。

(嬉しい!でも、やっぱり忙しそう…)

そんな中、自分のために携帯電話を選んでくれたこと、お祝いの言葉をくれたことを思うと、顔や体が熱くなったのを覚えている。

(これ以上、煩わせちゃいけないよな…)

自分の携帯電話から送ったメッセージは、それが最初で最後になった。











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