最近の大紀は、連続ドラマと、映画の撮影が並行し、朝早く、夜遅いという生活が続いている。連日の仕事で疲れているらしく、昨夜「明日の朝、玲哉の味噌汁飲みたい…」と、メッセージが入っていた。朝食を食べる時間はあるとのことだったから、大紀が好きな和食を用意することにした。焼き魚やおひたし、煮物などを食卓に並べていると、

「玲哉~?い~い?」

と、バスルームの方から大紀の、俺を呼ぶ声がした。

「はい」

洗面所の鏡の前で、大紀が座って待っている。

「これ、お願い」

そう言ってドライヤーを手渡してくる。いつからか、こうして大紀は、髪を乾かすのを俺に任せるようになった。一度、髪から滴を垂らし、床をボタボタ濡らしながら歩いていた大紀に俺がキレたことがあった。「…じゃあ玲哉がやってよ」と言われて、それからだと思う。

最近、生活リズムが違っているせいで、乾かしてあげるのは久しぶりだ。本当はもう、この役目も降りたい。でも、何だかんだ丸め込まれ、続けてしまっている。

鏡を見ると、その中のだいちゃんと目が合って、にっこりと微笑みかけられた。

「何?」

その笑顔にドキッとしたが、俺はいつも通りの顔で尋ねる。

「うん、かれんちゃんと似てきたなぁって、思って…」

その言葉に、胸がぎゅっと苦しくなる。

それを悟られないように、ドライヤーのスイッチを入れる。

「どうせ女顔だよ…」

「そういうことじゃな…わっ」

これ以上言われたくなくて、大紀の顔に「最強」の温風を浴びせた。

「ひどい…」

「もう、黙って」

明るいブラウンにカラーリングされた、まっすぐな髪。温風を当てると、濡れてまとまっていな髪がさらさらと解れていく。温められた髪から、シャンプーの匂いを強く香り、俺は口呼吸で耐えながら、手櫛で髪をすく。

気持ち良さそうに目を閉じるだいちゃんは無防備で、

(キスしちゃうぞ…)

目の前にある頭を、後ろから抱き込むようにして、唇を重ねる自分を妄想する。もちろん、実際にはそんな勇気は持ち合わせていないし、たとえ勇気があってもキスなんかできない。

大紀にとって、俺は「恋人の忘れ形見」で「息子同然」なのだから。

軽く髪に触れ、乾いたことを確認してスイッチを切る。

「…終わったよ」

「ありがと、玲哉」

大紀がくるりと振り向いて、直接目を合わせて笑いかけてきた。少し近付けば息が触れそうな距離にある整った顔に、内心ではかなりドキドキしていたけれど、俺は涼しい顔を装って、

「うん」

と、体の向きを変えた。

(やばい…)

「俺は『恋人の忘れ形見』」と、改めて自分に言い聞かせる。大紀の匂いから離れたいのと、顔を見られたくないのとで、

「…ごはんにしよ」

とだけ声をかけ、さっさとリビングに向かって歩き出した。

「うん」

大紀の嬉しそうな声がその後に続いた。


「いい香り…」

大紀がうっとりする。

バスローブから覗いている鎖骨と胸板、そしてうっとりとした表情から色気が洩れ出ている。

(目のやり場に困るよ、毎回…)

大紀が見つめているのは味噌汁のお椀。一口飲んで、こくりと動く喉仏まで艶かしい。

「美味しいよね~、玲哉の味噌汁って」

そう言って顔を綻ばせる。

「…いつも通り、普通だよ?」

謙遜じゃなくて、ただの事実だ。

俺の料理は、材料も作り方もいたって普通。大紀が褒めてくれた味噌汁も、具は大根と油揚げとありきたり。出汁は一回分ずつパックになっているものを使っている。何も特別なことはしていない。焼き魚は、切り身に軽く塩を振って焼いただけだし、おひたしは、青菜を茹でて出汁醤油とゴマを和えただけ。煮物は昨日の残りを温め直した。どれもこれも、極々「普通」だと思う。

料理は好きだけど、毎日凝ったことをするのは難しいし、大紀からも「『普通』が良い」と言われているから、気にしているのは、おおざっぱな栄養バランスくらいだ。大紀が、

「その『普通』がいいんじゃないか。お袋の味っぽいし。玲哉はまだ高校生だけどね」

と、笑った。

(「おふくろの味」ね…)

大紀はこうやって、俺の料理を、

「おいしい」

と褒め、喜んでくれる。はじめのうちは、褒められることが単純に嬉しかった。けど、今は素直に受け取れない。俺の料理は、母さんから教わったものがほとんど。無意識かもしれないけど、大紀は俺の料理を通して母さんに「おいしい」を伝えている。そう思ってしまったらもういくら褒められても喜べなかった。我ながら、ひねくれている。

俺がそんな風にひねくれているとは、微塵も思わない様子で、

「ごちそうさま。今日もおいしかった」

大紀が空になった器を前に、両手を合わせた。味噌汁をおかわりして満足そうだ。

「お粗末様でした」

「全然、粗末じゃないよ~。ご馳走だよ」

と、ずっとにこにこしている。

「はいはい。…そろそろ準備しなよ。もうすぐ時間だよ」

食器を下げようとする手をさりげなく止めて、時計を指差す。

「…ありがと。じゃ、頼むね」

またにっこりと笑うと、大紀は自分の部屋に入っていった。

(さっきから、笑顔、安売りしすぎでしょ…)

あの顔で笑いかけられたら、顔が熱くなるし、口角が上がってしまう。俺は誰も見ていないのをいいことに、緩んだ表情をそのままに、食後の片付けを始めた。








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