このままではいられない
@migimi
一
小学校に入ってすぐの頃、母さんが「この人、母さんの幼馴染みなの」と、すごく背の高い男の人を家に連れてきた。
俺は、特に人見知りというわけではなかったと思うけど、その大きさにびっくりして、思わず母さんの後ろに隠れてしまったのを覚えている。物心つく前に父さんを亡くした俺は、男の人に慣れていなかったのかもしれない。
その人はたぶん、俺が怯えていることに気づいた。でも、気を悪くした感じじゃなく、その場にしゃがんで、
『これなら大丈夫?』
と、優しくにっこりと笑いかけてきた。その、人懐こい笑顔にほっとして、俺は母さんの後ろから前に出た。そしたらその人も、少しだけ俺に近付いて、
『
と、またにっこりしてくれた。母さんが、
『…え?なに?合コン?』
と笑ったら、その人も、
『うん、自分でもそう思った…』
と、照れたように笑った。俺もつられて笑った。それから、俺も自己紹介をした。
『栗原れいやです。小学校一年です。母さんの友だちと、おれもなかよくなりたいです。よろしくおねがいします』
自分の真似をされた男の人は、母さんと顔を見合わせ、さっきよりも嬉しそうに笑った。俺もおかしくなって笑った。
それは、なんだかすごく、幸せな時間だった。
◇◇◇◇
「だいちゃん、そろそろ時間だよ」
「ん~…」
同居人の部屋のドアを叩く。
中でくぐもった声がして、人が動いている気配がする。
(まだだな…)
同居人が二度寝の常習犯であることを知っている俺は声をかけ続け、ドアを叩く力を強めた。
「朝ごはん食べてから行くんでしょ?だいちゃん、あと一時間で、山元さん来ちゃうよ」
一度静かになって、少し待つとドアノブが動いた。
「起きたよ~、おはよ~…」
ドアが開き、背の高い男がのっそりと現れる。彼の名は松島大紀。俺は子どもの頃から「だいちゃん」って呼んでいる。二十九歳。独身。
髪は寝癖でボサボサ、口の端にはよだれの跡もついている。起きがけはいつもこうだが、実は、有名な「イケメン俳優」だ。
そして、五年前から同居している、俺の保護者でもある。
「おはよ、だいちゃん。…また、そんなかっこで…風邪引くよ?」
「ん…、昨夜、暑くてさぁ…」
大紀が身に付けているのは、黒のボクサーパンツ一枚。
(…ほぼ裸…にしても相変わらずいい体してる)
大紀が常々自分で、
「細マッチョ!」
と言う通り、ただの細身ではなくスッキリとした筋肉がついている。
寝起きが悪かったり、裸で起きてきたりと、
ずぼらな印象が強い大紀けど、こういった自己管理はちゃんとできていて、俺はいつも感心する。
見慣れているはずの割れた腹部に見惚れていると、その下で起きていた「生理現象」が目に入った。俺はさりげなく目を反らす。
「元気だね…」
と声をかけると、
「あ、ふ…。ああ、はは…朝だからね」
大紀は、口からでかけた大あくびを途中でひっこめ、自分の下腹部を一瞥して、苦笑いする。伸びをしながら、今度は大きなあくびをした。
俺はドギマギしていることを顔に出さないよう、「なんてことない」という振りで声をかけた。
「…シャワー済ませてきなよ。その間に朝ごはん、準備しとく」
「ん~…」
大紀はまだぽやぽやしていたが、俺の言葉に従って、バスルームに向かう。その途中、リビングの壁際に置かれたミニテーブルの前で止まり、そこに立て掛けられた写真に、にっこりと微笑みかける。
「おはよ、かれんちゃん。…きょ……が…いよ」
囁くようになにか言い、その後はご機嫌な様子でバスルームに入っていった。
写真に映る女性は、大紀の恋人だった女性で、名前は栗原かれん。五年前、交通事故で亡くなった俺の母親だ。
二人が結婚を前提に付き合っていた、というのは、母さんが亡くなってから知ったことだ。
「恋人の息子は、自分にとっても息子同然」と、大紀は、俺を引き取ることを決めたらしい。
母さんが亡くなったのは、ちょうど大紀をよくテレビで見るようになった時期で、俺はほとんど会っていなかった。だから、二人が「結婚を前提に付き合っていた」っていうことにまずびっくりした。
「俺だけ何も知らされていなかった」「母さんとだけは会っていたのか…」と思ったら、一人だけ仲間外れにされたような気がして、その事も結構ショックだったし、今でも心に引っ掛かっている。
「玲哉を引き取りたい」という大紀の言葉は、嬉しかったし、ありがたかったけど、なんだか素直に喜べなかった。
大紀が一緒に暮らしたいのは、「俺」自身じゃなくて「恋人の忘れ形見」なんだろう。
でも、中学校一年生の子供が一人で暮らしていくなんて現実的じゃない。かと言って「施設に」と言われても躊躇いがあって…。あれこれ考えて、
「付き合ってたのなら、母さんが急にいなくなって悲しいのは俺と同じはずだから、慰め合おう」
とか、
「『息子同然』と言ってくれるなら、息子として甘えよう。いざとなったら、母さんの代わりをすればいい」
とか、誰にだか分からない言い訳をして、大紀との同居を選んだ。
「だいちゃんと一緒にいたい」
本当は、それだけで良かったのに。
その言い訳は、自分自身をずっと苦しめることになる。
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