【完結】オリオンからの手紙(作品230427)

菊池昭仁

オリオンからの手紙

第1話 ペンフレンド

 深夜零時。いつものようにパソコンを立ち上げると、私は読者から送られて来るコメントを確認していた。

 するとその中に面白いコメントを見つけた。

 


   はじめまして、#沢木華__さわきはな__#と申します。

   蟹江先生と文通がしたいのですが、ご自宅の住所を

   教えていただけませんか?


 

 私はその沢木という女性に興味を持った。

 ただ私と意見や感想のやり取りがしたいのであれば、そのままネットの投稿欄にコメントをすればいい。

 このデジタル社会でなぜ、「手紙」でそれをやりたいと言うのだろうか?


 私は自宅の住所を彼女に教えることにした。

 するとすぐに彼女から手紙が届いた。



   拝啓 #蟹江十字__かにえじゅうじ__#先生 

        

    マシュマロみたいな入道雲も消え、大好きな

   ポプラ並木もセピア色に変わり始めました。 

   毎日の執筆活動、お疲れ様です。


   はじめまして、私、沢木華と申します。

   28歳の人妻です。結婚3年目で子供はおりません。


   先生の小説によく出てくる人妻さんとは程遠い

   人妻です(笑)


   失礼なことを申し上げますが、私はまだ先生の

   ファンではありません。ゴメンなさい。

   でも、先生のお人柄は大好きです。

   いつか先生と居酒屋で飲み明かしたいと思って

   います。ダメですか?


   私にはお洒落なバーは似合わないので(泣)

   おそらく、先生は思ったはずです。


   「どうして手紙なんだ?」と。


   正直に申し上げますと、蟹江先生の肉筆が欲し

   いのです。

   メールやLINEでは冷たすぎると思いませんか? 

   手紙には相手の温もりがあるじゃないですか?


   お忙しいのは存じております、ご返事は先生の

   気まぐれで構いません。

   よろしくお願いします。


   何だか取り留めのない手紙ですみません。

   また、しつこく書きますのでよろしくお願い

   しますね?


   木枯らしの季節がやって来ます、くれぐれも

   ご自愛下さい。

  

                    かしこ


               2020年9月15日


             大好きな蟹江十字先生

                               

    沢木 華




 手紙はワードソフトで書かれていた。


 (字を書くのが苦手なのか?)


 私には手書きを求め、自分は印字された手紙。

 私は北陸への取材旅行の際に買い求めた、立山連峰の絵ハガキを彼女に送った。



   沢木 華 様


   お手紙ありがとうございます。

   何年ぶりだろう、ハガキなどを書くのは?

   あなたがおっしゃる通り、メールは冷たい

   感じがします。

   取材旅行にかこつけて、北陸を旅して毎日

   美味い酒を飲み、旨い魚を食べました。

   これはその時に買った絵葉書です。

   

   寒くなります、ご自愛下さい。

  

                 蟹江十字



 こうして私たちの不思議な文通が始まった。


第2話 おわら風の盆

     前略 蟹江十字先生


      立山連峰の絵ハガキ、ありがとうございました。

     いいですね? 北陸に取材旅行だなんて。

     奥様とですか? それとも彼女さんと?

     現地妻さんだったりして(笑)


     先生と美味しい物を食べて、富山とか金沢だなんて

     羨ましいです。

     私も金沢に行きましたよ、主人と一緒に。

     懐かしいなあ、香林坊とか、内灘海岸とか。

     犀川とかもキレイですよね? 昔は加賀友禅とか流し

     ていたそうですね?

         

     私も太平洋より、日本海が好きです。

     だって演歌は日本海が舞台じゃないですか?

     石川さゆりの「能登半島」とか好きです。古いですか?


     先生の小説、『海に降る雪』の舞台も富山の日本海でし

     たよね?

     切ない話でしたけど、あれが太平洋じゃ明るすぎます(笑)

     どうして悲しい恋って日本海が似合うんでしょう?

     私は悲しい恋は嫌いです。

     ハッピーエンドが好き。

     でもそれじゃ文学になりませんか?

     めでたし、めでたしでは?


     立山連峰はもう雪ですよね?

     大学の時に立山登山をしたことがあります。

     星がボコボコに光っていて、天の川も見えて、星が降って

     来そうでした。

     星が掴めそうでした。

     あの満天の星を主人にも見せてあげたいです。

     先生はご覧になりましたか?

  

     これから日増しに寒くなりますが、くれぐれも 

     ご自愛下さい。ご無理なさらないように。

                            

     かしこ


                   2020年9月28日

                 

                   沢木 華





 私は『おわら風の盆』の絵葉書に返事を書いた。

 彼女のことは歳下ということもあり、親しみを込めて「華ちゃん」と呼ぶことにした。

 かしこまった手紙はお互いに疲れるからだ。





    前略 華ちゃん


    そうか、華ちゃんもあの立山の星を観たんだね?

    あれはまるで天然のプラネタリウムだよね?


    今回の取材では『沈黙の祭』という小説を思いついてね。

    それがこの『おわら風の盆』なんだ。

    無言で踊る『風の盆』っていいと思わないかい?

    女性が編笠で顔を隠して踊る鎮魂の舞。

    柳腰がとてもセクシーだった。

    いつか華ちゃんも旦那さんと行くといいよ。

    じゃあまたね? ご自愛下さい。


    草々 

                   蟹江十字





 沢木という女の手紙にはやさしい女らしさがあった。


 私はあまり気負わずに、週に1度のペースで絵ハガキを書くことにした。


第3話 言葉の伝え方

 メールやLINEなら、面と向かっては言えないことでも平気で言える。

 言葉にしては言えない否定や悪口、誹謗中傷、愛しているの告白さえもデジタルなら言える。

 それは相手の顔が思い浮かばず、画面に集中するからなのかもしれない。

 つまり、相手に話しているのではなく、画面に向かって文字が正確に表示されているかを見ているにすぎないのだ。

 相手の感情を無視したマスターベーションと同じだ。

 ネットゲームでバーチャルの敵を撃ち殺すように実感がない。

 その文章を読んだ相手の気持ちは考えずに、自分の思ったことだけを自分勝手に相手にぶつける暴力。

 私が極力メールをしないのは、そんな理由からだった。


 だが、手紙は違う。

 手紙は相手を想いながら書く物だ。

 私は沢木華という女性と文通をすることで、彼女を想像して手紙を書いた。

 手紙には相手に対する想いが篭る。


 「体調を壊していないか?」「辛い目には遭ってはいないだろうか?」とか。また逆に「どんな楽しい生活をしているだろう」「しあわせに暮らしているのだろうか?」などと想像しながら文章を綴る。


 デジタルでのコミュニケーションは言いっぱなしの矢のようなもので、弓を引く自分にはそれがどのように相手の心に刺さるのかは、あまり考えてはいない。

 良いことも悪いことも、そのまま相手の心に刺さる。

 デジタルは実に便利で冷酷なアイテムだ。

 いじめで「死ね」と言えるのもメールだからだ。


 そこには二進法の0と1だけに組み込まれた、8ビットが作る1文字の組み合わせでしかない。

 デジタルの言葉は基本的に消すことができないタトゥーなのだが、機械に変換されることで罪の意識は希釈されてしまう。


 手紙には人の温もりがあると、私は沢木華との手紙の遣り取りでそれを思い起こすことが出来た。

 デジタルで送る「愛しています」と、相手を想い、心を込めて書く手紙の「愛しています」の同じ一行の言葉でも、相手への伝わり方は大きく異なるものだ。

 沢木華との文通は続いていた。



     前略 蟹江十字先生


      『おわら風の盆』私も行ってみたくなりました。

     石川さゆりさんの『おわら風の盆恋歌』をYouTubeで聴いてみました。

     切ない歌ですね? 泣いちゃいました。

     いつか先生と女子会がしたいです。色んなお話を伺いたい。あっ、先生

     は女子じゃないですよね(笑)


     私、子供の頃から本が大好きで、小学校、中学校と図書委員でした。

     あの図書室のカビ臭い古本の匂いが大好きです。

     新婚旅行で行った、ロンドンの大英博物館のライブラリーには圧倒され

     ました。


     「へえー、ここでマルクスがあの有名な『資本論』を書いていたのかあ」

     なんて思ったりして。


     私は本を読むことは出来ても書くことはできません。

     だから先生はすごいと思います、尊敬します!


     先日、大学時代の親友の裕子とランチをした時、先生と文通していることを

     自慢しちゃいました(ご迷惑でしたか?)

     そしたら裕子、「その小説家、随分暇なんだね?」って言うんですよ。失礼

     なヤツでしょう?

     あんまり頭に来たので、綺麗に描かれたクマさんのラテアートをぐちゃぐちゃ

     にしてやりましたよ(笑)


     でも先生、お忙しいでしょうから無理はしないで下さいね?

     私が勝手に書いているだけですから。


     風邪などひかぬよう、ご自愛下さい。

    

                                

     かしこ


                               2020年10月3日       

                      

                               沢木 華





 私はロンドンのビッグベンの絵ハガキに返事を書いた。



     前略 華ちゃん


     裕子さんに仕返ししてくれてありがとう(笑)

     大丈夫だよ、俺は暇だから。

     今日はロンドンのビッグベンの絵ハガキにしました。

     私も大英博物館の中にあった大英図書館に行きました。

     すごいよね? あそこは。

     白人の文化、芸術に対する考えは、残念ながら見習う

     べきところはあるよ。


     覚えているかな? 博物館の出口のあたりにベートーベン

     とモーツァルトの手書きの楽譜があったのを。

     ベートーベンの楽譜は重厚な和音が多く並んでいたが、

     モーツアルトの楽譜はサラサラと書かれていた。

     まるで神様が書いたような楽譜だった。

     書き損じが全然ない。

     モーツアルトの楽譜はすべてオリジナルでコピーがないと

     いうが、彼の音楽は神の音楽なんだね?


     これから仕事をします、華ちゃんも風邪などひかないで、

     ちゃんと腹巻してお休み下さい。

                                   草々

     草々               

                          蟹江十字



 私はペンを置き、珈琲を飲んだ。


第4話 愛は脆く儚い

    前略 蟹江先生


     突然ですが、夫婦にはいろんな呼び方がありますよね?

    男性は「夫」「主人」「うちのひと」「亭主」「旦那」「良人」と書いて

    「おっと」とも読みますよね?

       

    女性の場合は「妻」「家内」「うちのやつ」「嫁」「女房」「かみさん」とか?

    それから漱石や芥川の頃の小説には「細君」なんて素敵な呼び方もあります。


    私はドM妻(笑)なので、主人のことは「ご主人様」と呼びます(笑)

    でも、私のことを他人に紹介する時には「うちの細君がね」と言われたい(うふっ)


    実は私、ご主人様を奥さんから略奪した悪い女なんです。

    こんな女を先生は軽蔑しますか?

    ご主人様はやさしい人です。だからすごく苦しめてしまいました。

    失礼しました、過去形ではなく現在進行形です。

    今もずっと苦しめています。


    ご主人様とは職場恋愛でした。

    彼の奥さんから会社に電話があったり、会社に乗り込んで来たこともあります。

    でも、私は怯みませんでした。

    彼のためならすべてを投げ出す覚悟が出来ていたからです。

    もちろん、そんな私に味方してくれる人は誰もいませんでした。

    そして私は会社を辞めました。

          

    先生の小説には不倫の話が多いですけど、先生ご自身はどうお考えなのか? 

    知りたいです。

    家族がいたら、奥さんがいたら恋愛をしてはいけませんか?

    瀬戸内寂聴だって旦那さんと子供を捨てて、恋愛に走ったのに、今では尼さん

    になって立派なことを話しているではありませんか?

    キリスト教では許されなくても、仏教では許されるものなんでしょうか?

    今回は変な手紙ですみません、ご返事、お待ちしております。

                                      

    かしこ


                              2020年10月28日

               

                              沢木 華






 華からの手紙に、今回は絵ハガキではなく手紙で返事を書いた。

 そして華を呼び捨てにすることにした。



 

    前略 親愛なる華へ


     随分重い話だね? 華の苦しみがよく伝わりました。そして華がやさしい

    女性だということも。


    歳の離れた妹から相談されたみたいで、君がより自分の家族みたいに感じました。

    だからこれからは君を「華ちゃん」ではなく、「華」と呼び捨てにすることにします。

    華も俺のことは先生じゃなくて「おじさん」でいいよ、ヘンなおじさんで(笑)


    人口分布図って見たことあるだろう?

    あれって不思議だと思わないか?

    男女の比率がほぼ同じだということに。


    戦争や寿命の差で、年代別では多少の開きはあるにせよ、男と女はほぼ同じ割合で生きている。

    そして女は長生きする割合が多い。

    それはエストロゲンなどの女性ホルモンと、女は基礎代謝が少なく、男性に比べて医療機関を

    受診する頻度も高いからだと言われている。

    でも俺は思うんだ。

    女の方が男よりも生きる苦労がたいへんだからじゃないかと。

    つまり、子育てや親、旦那の世話を終えたら、少しのんびりと自分の人生を生きなさいという

    神様のご配慮なんじゃないかと思うんだ。


    華の気持ちはよくわかるよ。            

    何で男と女ってほぼ同数なんだろう?

           

    それは「男と女が愛し合うため」だと俺は思う。

    そして恋愛は戦いなんだ。


    「結婚したんだから浮気はダメよ!」「夫婦なんだから君は僕の物だ!」


    夫婦は所有物ではない、育てるものだ。

    花や果実を育てるように、水を与え、養分を与え、光や風に当て、そして愛情を注ぎ続けないと

    愛は枯れてしまう。

         

    結婚したからと言って、愛に手を抜いてはいけない。男も女もセクシーでいることはただの

    アンチエイジングだけではなく、「恥じらい忘れない」ことじゃないのかな?

    他の異性に気持ちを奪われないようにするために。


    「結婚したんだから不倫をしてはダメ」じゃないんだ。「不倫されちゃダメ」なんだよ。

        

    女も男もいつも自分を磨いて、相手の愛を繋ぎ留める必要がある。

    愛とは脆い物だから。


    だから華は悪くない。

    妻という立場が脆弱だと気付かなかった奥さんにも非はある。

       

    でも華も努力する必要があるよ、その愛を失うことがないように。

    もちろん全ての夫婦がそうではない。

    俺みたいに女房はきちんとしていても「ただの女好き」もいるからな?(笑)

    俺は結婚しちゃダメな男なんだよ。

    奥さんになってくれた人を悲しませるだけだから。


    旦那さんの苦しみは華のせいじゃない。

    華を選んだ旦那さんは、その罪を償う義務がある。

    恋の病の治療には、苦痛が伴うものだ。


    華が苦しむ旦那を見て、自分も苦しむことはない。

    その分もっと旦那を愛してやることが華の奥さんに対する償いになる。

    華は十分苦しんだはずだ。

    そして色んな物を失ったと思う。

    華を選んでくれた旦那さんを、精一杯愛してあげればそれでいい。

    しょうがないだろ? 出会ってしまったんだから。

    愛してしまったんだから。


    寒くなって来たね? さて鍋でも食うか? ひとりで(泣)


    ご自愛下さい。

         

   

    草々


                       ヘンなおじさん作家より





 私は返事を書き終えると、グラスにヘネシーを注いだ。


 今夜の気分はブランデーだった。


 音楽はマイルスデイビスにした。


第5話 セント・エルモの火

    前略 蟹江先生


     華って呼び捨てにされて、うれしいです。

    でも、先生のことは先生ですよ(畏れ多い!)


    おかげで少しだけ心が軽くなりました。


    そうですよね、出会ってしまったんですもの。

    幸せなんて望みません。だって人の不幸の上に幸福のお家なんて建つ

    わけがないですから。


    一緒にいるだけでいいんです。ただそれだけで。

    どうして人生は辛いことばかりなんでしょう?

         

 

      華の命は短くて 苦しきことの実多かりき



    今日はお天気が良かったので、ご主人様と紅葉した銀杏並木をお散歩

    して来ました。

    まるで黄金の木立の中を歩いているようでしたよ。先生の街の紅葉は

    いかがですか?

    私は晩秋が一番好きです。食べ物も美味しいし。

    そして今は読書の季節。


    蟹江先生のご著書も、少しずつですが拝読しています。

    少しは大人の小説も、理解出来るようになりました。

    先生の小説のファンにもなりましたよ! 今更ですけど(笑)


    私、本当に先生と文通することが出来て良かったです。


    もうじき寒い冬が来ますね?

    くれぐれもお体を大切にして下さい。いい作品を期待しています。

                                

 

    かしこ


                         2020年11月15日

                   

                         沢木 華




 私は少し不安になった。

 前回の手紙に書いた内容が、彼女の気持ちを傷付けてしまったのではないかと。

 私はすぐに返事を書いた。




   前略 華へ


    幸せになってはいけないような手紙でしたが、それは間違いだ。

   人はしあわせになるために生まれて来たのだから。

 

   人は傷付き、傷付けて生きている。

   自分だけが犠牲になることはないんだ。


   確かに華が言う通り、人生は辛い事が多いかもしれない。

   でもそれは、辛い事や苦しい事で自分の魂が磨かれることでもある。


   観世音菩薩普門品偈の経典の中にもあるように、人生は「生老病死苦」

   なのだから。

  

   人は生まれ、苦しみ、病を患い、そして年老いて死んでゆく。

  

   だが、喉が渇くからこそ、コップ1杯の水にも感謝することができる。

   自分が傷付いたことで、人の苦しみや痛みを知り、人に優しくなれる。


   華、幸せにならなきゃ駄目なんだ、たとえそれが死の直前でも。


   人間にはしあわせになる義務がある。

   幸福になるために人はこの世に生まれたんだ。

   そしてそれは物質的な幸福だけではない。

   心の幸福もなんだ。

   華は幸福を拒んではいないだろうか?


   セント・エルモの火(St.Elmo's Fire)の話を知っているだろうか?


   船乗りたちの守護聖人、エルモに由来する話だが、嵐の収まる頃に

   起きる放電現象で、マストなどに灯る青白い炎のことだ。

   時には指先に灯ることもある。

   1つの炎だとそれをヘレナと呼び、2つだとカストルとポルックスと呼ぶ。

   つまりふたご座だ。


   華は今まで嵐の中にいた。それもようやく終わるだろう。

   なぜならこの手紙が華にとっての「セント・エルモの火」だからだ。

   希望を捨てちゃダメだ、華。


   俺は左目を失くし、右目を労わりながら原稿を書いている。

   でも困っちゃいない。

   時間は他の作家の何倍も掛かるし、誤字脱字も多い。

   でも、それでいいと思う。

   だってこうして書けているんだから。

   「もしもこうだったら」なんて思わずに、今の自分を丸ごと受け入れる

   しかないんだ。

   小説は量を書けばいいと言うもんじゃない。だから俺は純文学に拘る。


   人生も同じだ。

   どれだけ生きたかじゃない いかに生きたかなんだ。


   華、しあわせになるんだよ、俺はそれを願っている。

                                      


   草々

                      蟹江十字


 

 果たしてこの内容で、彼女に私の想いが伝わるだろうか?


 私はすぐにこの手紙をポストに投函した。


最終話 オリオンからの手紙

 しばらく華からの手紙は途絶えていた。

 私は若い女性にありがちな気まぐれだと思い、特に気にすることはなかった。

 気が向けばまた返事が来るだろうと考えていたからだ。



 クリスマスが近づき、慌ただしい師走の日常に、私は華の手紙のこともすっかり忘れかけていた。


 そんなある日のこと、手紙が届いた。

 だがそれは華からではなく、華のご主人からの手紙だった。





    拝啓 蟹江十字先生


     はじめまして、沢木華の夫の沢木健司と申します。

    街にはクリスマスの飾りが溢れ、クリスマスソングが流れて賑わって

    おりますが、私たち夫婦には無縁のものとなってしまいました。


    何からどうお伝えすればいいのか、考えあぐねております。

    突然、このような手紙を書くご無礼をお許し下さい。


    12月4日 22時32分 細君の華は永眠いたしました。


    生前は大変お世話になりました。

    細君は長い闘病生活の中で、先生のご著書を読むことが唯一の楽しみ

    でした。

         

    ある日、細君は急に「先生と文通がしたい」と言い出しました。

    細君は既に手に力が入らなかったので、Wordで手紙を書いておりました。

    私は「パソコンからなら読者投稿欄に書けばいいんじゃないの?」と

    申しましたところ、

         

    「それじゃダメなのよ。私は蟹江先生の肉筆の手紙が欲しいんだから。

    だって想いはデジタルでは伝わらないでしょう?

    手紙の文字にはあたたかい温もりがあるじゃない」

 

    私の言うことも聞かず、先生に手紙を差し上げた次第です。


    どうせ返事は来ないだろうと思っておりましたが、先生はお返事を書い

    て下さいました。

    先生からの最初の絵はがきが届いた時の細君の喜びようは大変なもの

    でした。


    「ねえ、見て見て! 蟹江十字先生から絵ハガキが届いたのよ!」


    余命、3か月と宣告されていましたが、おかげで2か月も長く生きること

    ができました。

    先生のお陰です、本当にありがとうございました。


    細君の人生は何ひとつ良いことがありませんでしたが、最期に文通という

    素敵なプレゼントを先生からいただき、夫婦共々、大変感謝しております。


    華は私と暮らして本当に良かったのでしょうか? 幸福だったのでしょうか?

    私は細君に何もしてあげることが出来ませんでした。

    前妻もそうでしたが、私は誰も幸せにすることができませんでした。


    先生からいただいた御手紙は、私も拝読させていただきました。

    私もたいへん励まされました。


    先生の手紙は細君の棺の中に収めさせていただきました。

    ご迷惑かと思いましたが、華とみんなで撮った写真を同封させていただきます。


    本当に、本当にありがとうございました。


今年もあと僅かで終わりますが、くれぐれもご自愛下さい。                  

                                    


    敬具

                

                                12月22日

                

                                沢木健司




 私は手紙を読み終えると、狂ったように泣き叫んだ。

 見舞いに行って、華を励ましてやりたかった。

 華は病床で病と闘いながら、必死にワープロを打っていたのかと思うと、涙が止まらなかった。



 私は何もする気になれなかった。

 写真には医師とナース、そしてご主人の健司さんと幸せそうに微笑む華が写っていた。

 イメージどうりの美しい女性だった。


 私はポインセチアの鉢植えに、そっとその写真を置いた。




     前略 沢木健司様


      突然の訃報に際しまして、心よりお悔やみ申し上げます。

     沢木様のお気持ち、察するに余りあります。

     

     奥様は大変しあわせだった思います。やさしいあなたに看取られて。

     

        

         会うは別れの初め


 

     とは申しますが、それが奥様の神様がお決めになった「寿命」だと

     私は思います。


     夫婦愛というものはどれだけ長く連れ添ったのかではなく、いかに

     深く相手を思い遣ったかではないでしょうか?


     あなた方ご夫婦は全力で愛し合ったと思います。

     お辛いでしょうが、これも世の習いです。


     納骨がお済みになられましたら、是非、墓参させて下さい。

     

     心よりご冥福をお祈り申し上げます。


     草々       

                           蟹江十字




 ラジオからはWHAMの『Last Christmas』が流れていた。


 明日、フォトスタンドを買って来ようと私は思った。


         

                          『オリオンからの手紙』完



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