第5話 司令官長と父
「硬い口調はよそう。今日の私は、精一杯励む娘の様子を見に来た父だ」
戦軍司令官長もとい
雨無が最も尊敬し、憧れている存在だ。
「励んでいるようだな」
「はい!」
談話室に向かい合って腰掛けた雨無と父は、互いに笑顔を見せた。
「本部でも幸乃を褒め称える者は沢山いる。私も誇らしいさ」
「えっ!な、なんとおっしゃっていますか!」
挙動不審にすら見える雨無だが、そんな問いに父は顎に手をついた。
「そうだな。若い連中から最近よく聞くのは、容姿についてか・・・?」
「なっ!・・・・そうですよね」
所詮、若い女性将校が話題に上る理由は、大抵が見た目の話だ。
実力で階級はいくらでも上げられる。
しかし、そこに男と同じ尊敬と信用、そして評価基準が伴うとも限らない。
決して、どこにおいても女が低く見られるのではない。
時には、女だからと評価が甘くなることの方が多い。
父は、雨無の暗い表情を見て微笑んだ。
「冗談だ。軍師として既に十分な才がある。拳銃狙撃で敵う者はいない。常に凜々しい態度は場を引き締める。良く耳にするのはそんなところだな」
「!」
雨無の顔にはすぐに華やぎが戻る。
戦線で決して見られない。見せることもしないが、意識して見せていない訳でもない。
必然というやつだ。
「私も!父さんのご活躍はずっと聞いています!先日の南部大規模交戦での完璧な指示、感服しました!」
雨無が現在いるのは西部戦線。
しかし、先日、南部付近で敵国からの大規模な侵攻があった。
その際、本部から指示を出されたのが父だ。
密度の高い作戦立案に、迷いのない的確な指示。兵士の死者も少なかったと聞く。
まさに完璧なゲームマスターだ。
「私だって、まだまだ現役だからな。
父は笑った。
優斗とは、雨無の兄のことだ。
雨無よりも兵士としての才に優れ、運動能力も抜群。
戦線は違うが、兄の活躍もずっと耳にしている。
雨無の、憧れの一人だ。
「優斗兄さんは今どちらに?」
「現在は東部戦線だと聞いている。近々、本部にも来るそうだ」
「!やはりご活躍されているのですね!」
別戦線の隊員が本部に行くという言葉には、本部に招待されるということと同義で、つまりは優秀な成績を収めた隊員を本部で表彰及びもてなすことを指すそうだ。
自慢ではないが、兄の功績は今の雨無なんかよりずっといい。
階級こそ、軍師として戦場に出ない雨無より下だが、いち兵士が中佐まで上るなど、相当な成績を収めない限り難しい。
雨無にとってはまず兄が一つの指標でもある。
「幸乃」
「はい!」
雨無は、父に名前を呼んで貰うことが好きだ。
幼い頃から、父は既に第一戦で活躍してきた。
幼少期を長らく共に過ごせた思い出は少ないが、帰ってきた際は沢山甘やかしてくれていたことを覚えている。
「母さんが会いたがっていた。休みが出たら、一度帰ってあげなさい」
「母さん・・・」
戦軍隊員は常に戦線、もしくは本部にいる。
休日は、戦線ごとに隊員に与えられるもので、その日取りは戦線指揮官が決める。
雨無が介入できないこともないが、それが帰省をするための休みとなれば、話は変わってくる。
本部から支給されるため日取りは勿論動かせず、そもそも帰省するほどの長期休みをもらえることは、望み薄だ。
加えて、現在はどの戦線も戦況が逼迫している。
どこも余裕はないだろう。
「はい」
「数年会っていないからな。大きくなった今の幸乃や優斗を見ると、きっと母さんは泣き出すな」
涙もろい母のことを思い出し、父は冗談をこぼす。
(もう何年も会えていないのか。元気にしているだろうか)
母の住まう雨無らの実家は、田舎寄りの地方にある。
爆撃などの攻撃は受けにくい土地だろうが、それ故に物資などの不足に困っていないか心配だ。
しかし、父はそれを笑っていなした。
「私、優斗、幸乃の三人全員から仕送りがくるから、金が有り余ると以前手紙が届いていた。心配はいらない」
みな、考えることは一緒というわけか。
戦時中の家庭は、壊れやすいに限る。
金銭問題や徴兵による夫婦仲の悪化に始まり、親と子の離別、そして死別。
様々が重なり、家族の絆は細い糸に変わりなくなる。
しかし、雨無家は常に家族の絆を忘れない。
その点だけで、雨無は恵まれていると、そう言えるだろう。
ふと時計を見やると、再会から小一時間が経過していた。
父は忙しい人だ。
今更だが、わざわざ本部から西部戦線に娘を見るためだけにやってこれるほどの時間があったのだろうか。
「あの、父さん。今日は突然どうして・・・」
どう尋ねようかと言葉に詰まると、父はその真意を予測し、再び口を開いた。
「幸乃が、大変な役割を引き受けていると聞いてな」
「っ!?」
「口にはしない。戦軍の将校として、それはやらねばならない職でもある。ただ、幸乃の心が心配になった」
雨無は先ほどまでの笑顔に一変、顔を曇らせ、下を向いた。
「私は大丈夫です。特技と頂いた仕事の利害が一致した。それだけです」
普段、戦線で聞ける雨無の声だった。
一体どこで知ったのだろう。
雨無に課せられているその役割は、非常に重く単純なものだ。
しかし、口にするのも憚れるほどに苦痛なもの。
「幸乃はもう子供じゃない。そして私は父であると同時に司令官長だ。その役割を辞せと口にはしない。ただ、塞ぎ込むな」
これが、父、そして司令官長としての父が口に出来る、最大限の励ましだ。
雨無は眉尻を下げた。
「一度、父さんに私の拳銃狙撃を見て頂きたいものですね」
へにゃりと首を傾げながら笑うと、父もそれ以上はその話をしなかった。
父との幸せな時間は、すぐに去って行った。
父の元に、本部の部下から通信が入るまで、雨無と父はゆっくりと語らいだ。
『分かった。すぐに戻る』
『もう少しゆっくりされても・・・』
『これ以上は彼女の邪魔にもなる。ただ私が会いたかっただけなんだ。気にするな』
『それでは、お待ちしております』
雨無には父の口が動く様子しか見えないが、父の性格は知っている。
部下にも温厚なその姿勢が、統率力という父の最大の武器を支えているのだ。
「幸乃。そろそろ帰るよ」
「はい。会えて嬉しかったです。道中お気を付けて」
「あぁ、幸乃も。体を大切に」
名残惜しいのはどちらも同じだ。
しかし、二人は戦軍の将校として今を生きている。
「それから幸乃。風呂に入りなさい。匂うぞ」
「・・・・・それを父親から言われる子の身にも・・・・」
唐突な言葉の右ストレートに、雨無は肩をギクリと揺らした。
「親が衛生面を注意せず、誰に言わせるんだ」
尤もだが、それは雨無もとっくに分かっている。
戦線にいる雨無に、毎日風呂に入る習慣はない。
同室の佐々木は根気強く毎日シャワーを浴びているようだが、それは彼女の役職故だ。
「最前線の兵士なんて、みんなこんなものですよ」
強がって口にするが、ここはぴしゃりと言い放たれる。
「自分が最前線だという自覚があるなら尚更、実力だけでなく姿勢でも見せなさい。その方が、幸乃らしい」
「!父さん・・・」
注意を受けているはずが、やはりこの人の放つ言葉は綺麗だ。
「人の上に立ち、そして幸乃の場合尊敬に値する存在となりつつあるのだ。そのような人間に必要なのは決して実力と結果だけではない。真摯な姿勢と自身を叱咤する心意気を持って何事にも――
「父さん。いつもの教訓攻めはいいから・・・・」
突如として始まる父の癖を、雨無は僭越ながら遮る。
帰ると言ったのは父なのに、長居する予感がする。
「・・・・とにかく、励みなさい。くれぐれも、体を大切にな」
雨無が戦軍に入隊してから、父はいつも、「死ぬな」とは言わない。
娘に戦場で死んで欲しくないという父の必然な感情を殺し、同じ戦軍の一員として接する。
しかし、必ず「体を大切に」とは口にする。
その真意は、まだ若い雨無にはよく分かっていなかった。
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