第19話

「あまつくん。おはよう」


 目をこすりながら静かに起き上がるミズナ。


「ミズナ。おはよう。悪い、起こしちゃったな」

「ううん、大丈夫」

ミズナはそう言うと唇をそっと俺の頬に口づけをしてきた。

「ミズナ⁉」


 俺は頬に右手を当てて、顔を赤らめてしまった。不意を突かれた。顔が熱い。頭の上から蒸気が出ている気がする。


「ふふふ」


 ミズナはからかうような表情をしている。その後、ミズナは何事もなかったかのように鏡の前に移動して身だしなみを整え始めた。朝から心臓に悪い。俺はミズナが見ていないことを確認すると急いで着替えた。


「ミズナ。そこ使っていいか?」


 俺は寝癖が気になったので、髪型を整えることにしたのだ。今日は王妃様に礼儀作法を教えてもらう予定なので、しっかりとした身だしなみで臨んだほうがいいと思った。


「うん、そこに座って。私が寝癖を直してあげる」

「あ、ありがとう」


 俺はミズナの言うとおりに鏡前の席に座った。ミズナは手慣れた動きで俺の寝癖を直してくれた。侍女に普段は身だしなみを整えてもらっている印象があったので、こんなに手際よくできるとは思っていなかった。


「ありがとう、ミズナ。行ってくるね」

「いってらっしゃい」


 俺は部屋から出ていく。食事の時間から礼儀作法を学ぶみたいなので、今日はミズナと一緒に食事をとれない。残念だと思ったが、仕方がないと思って割り切る。


「おはよう。リーネ」

「おはようございます。アマツ様」

「迷惑かけてごめんね。食堂までの案内を頼むよ」

「気になさらないでください。案内いたします」


 王城に来てからまだ一日しか経っていないので、王城の構造やどこに何があるかなどは全く分からない。そのことをミズナに相談したら、リーネを案内役として使ってもいいと言われた。部屋の前で待っていてくれたリーネと軽いおしゃべりをした後に食堂へと連れて行ってもらった。

 王城が広すぎるために移動するのにも時間はかかったが、食堂の前に到着した。扉は解放されており、中に王妃様がいることを確認できた。ミズナの話によると食堂が解放されるのは一日に三回あり、二時間ほどで閉まるらしい。しっかりとした時間は決まっておらず、その時間内ならいつでも食事を食べに行っていいことになっているようなのだ。だから特別な日以外に王家の全員がそろって食事をとることは稀なことみたいだ。朝昼夕食事をとるという習慣は一つ前の世界と同じみたいだ。


「アマツ様。私が案内できるのはここまでです。頑張ってください」 

「ありがとう。頑張ってくる」


 俺はリーネにお礼を言うと一呼吸ついて食堂の中に入って行った。食堂には王妃様以外はいないようだった。


「王妃様。おはようございます」

「アマツさん。おはようございます」

(他人行儀……。って言うか顔が怖い……)


 俺は心の中で呟く。王妃様の表情を見て、緊張感が増してしまった。笑顔一つない厳しい顔つき。すでに見極め試験が始まっていると言う事なのだろう。ミズナと王子が喧嘩した時に王妃様の一言で静かになった事に納得ができてしまった。あの時は気にならなかったが、対面してみると身にもって感じる。

 俺が迷ったのは座る場所だ。用意されているのは五つの席で、王妃様は左列の一番奥の席に座っている。左列、右列に属さないみんなが見える位置に設置されている椅子は王様が座るところではないかと思った。俺は悩んだ末に右列の出入り口がある側の席に座った。


「謙虚な方なのですね。竜王様の子息なのですから、上座に座っていただいてもよろしいですのに」

「私なんかが、とんでもございません」

「そうですか。私の前に座っていただいて構いませんよ」

「はいっ。失礼します」


 俺は指摘されなかった事に対して、ひとまず胸を撫で下ろした。ネットでき興味本位に調べたことがここで役立つとは思わなかった。それよりもお父さんの権力はそこまで大きいものだったのかと実感させられた。俺は王妃様に言われた通りの場所に移動した。

 俺と王妃様の目の前に料理が運ばれてきた。食堂には王城専属料理人がいるので、待っているだけで食事が運ばれてくる。王妃様は俺の方を見じっと見ているので、先に食べ始めたほうが良いのだと思った。俺は食事に手をつけた。


「食器の音が鳴っています。静かに食べなさい」

「は、はいっ……」


 王妃様の厳しい指摘が飛んでくる。俺は食器の音を鳴らさないように慎重に落ち着いて食べる。耳を澄ませてみると王妃様は食器の音を鳴らさずに食べているのに対して、俺は音を鳴らしながら食べていたことがはっきりと分かった。普段は意識していなかったが、慣れるまで意識付けを徹底しようと思った。


「腰が曲がっています。姿勢を正しなさい」

「はいっ……。すいません……」


 畳み掛けるように王妃様は更なる指摘をしてくる。姿勢を正すと普段は使わない筋肉が動いていることが分かった。ずっと続けていると筋肉痛になってしまいそうだ。

 食事を終えて背筋と腹筋に痛みが出始めている。一つ前の世界では礼儀作法に触れる機会があまりなかった。教わることがこんなにもしんどい事なのだと改めて実感する。ミズナも教育を受けていたそうなので、すごいと思った。

 その後も王妃様の厳しい指導の元、いろいろなことを教わった。日が沈み始めた夕方ごろには部活動をした後のような疲労感を感じていた。この指導が三ヶ月間続くことを想像すると俺のメンタルがどこまで持つのか心配になってしまう。


「つ・か・れ・たぁ〜」


 部屋に戻ってすぐに俺はベッドに飛び込んだ。ミズナはまだ帰ってきていないようだった。行儀悪いとは分かっているが、この空間が誰の監視もなく開放的な気分になれるのだ。


「あまつくん。起きて〜」

「ミズナか……。おかえり」


 体を譲られ、俺は目を開けた。部屋に入ってベッドに飛び込んだところまでの記憶はあるのだが、それからの記憶がない。おそらく寝落ちしてしまっていたのだろう。思っていた以上に疲れていたらしい。


「ただいま。ご飯食べた?」

「いや、まだだよ」

「一緒にご飯食べに行こ」

「うん」


 ミズナに誘われたので、俺はベッドから起き上がる。いつもよりも体が重く感じる。


「いてててて」


 普段使わない筋肉を使ったことで筋肉痛になってしまっていた。俺は顔を歪めた。こんな感覚を味わったのは久しぶりだ。部活をしていた時以来かもしれない。


「大丈夫?」

「なんとかな……」

「お母様。厳しかったでしょ?」

「あぁ。鬼だったよ」

「ふふふ。聞かれたら大変だね」


 ミズナは口に右手を当てて、静かに笑っていた。ミズナのちょっとした動作を見て、可愛らしいと思ってしまう。


「絶対に言うなよ」

「言わない、言わない」


 穏やかな雰囲気で俺とミズナは歩いていく。こう言う時間は気晴らしに最適で、先程までの疲れが吹き飛んだ気がしている。


「ミズナ。今日は何やっていたの?」

「仕事を片付けた後、あまつくんのお義父さんに魔法を教えてもらっていたよ」

「いいなぁ〜」

「いいでしょ?今度あまつくんに練習の成果を見せようかな」

「本当に?楽しみにしてる」

「楽しみにしておいて」


 ミズナと約束をし、俺たちは食堂に到着した。食堂では王子が席に座ってご飯が出てくるのを待っていた。


「王子。こんばんは」

「お兄様。こんばんは」

「アマツとミズナではないか。私に会いに来てくれたのかい?」

「いやぁ……。たまたまです」

「お兄様に会いに来たわけじゃないよ」


 俺たちは言葉を交わすと王子の目の前の席にミズナと横並びで座った。


「ミズナ。昔みたいに私の隣には座らないのかい?」

「絶対に座りません」

「残念だな。お兄ちゃんは寂しいよ」

「そんなの。知らない」


 俺はミズナと王子のやり取りを聞いて、この二人は仲が悪いのか、それとも仲がいいのか図りかねていた。ミズナが照れ隠ししているだけかもしれない。

 そうこうしているうちに食事が運ばれてきたので、さっそく食べることにする。食器の音を鳴らさないように意識しながら食べる。癖を治すには日々の積み重ねが大事だと学んでいるからだ。


「アマツ。行儀よく食べるんだな」

「王妃様にさんざんしごかれましたから」

「アマツも経験したのか。私も小さい頃はよく注意されていたよ」

「そうなんだ」

「ミズナはよく泣いていたっけ?」

「お兄様。恥ずかしいからやめて」

「ミズナがね~……」


 俺は呟きながら含みのある笑いを浮かべた。


「あまつくん。今笑ってたでしょ」

「ううん。笑ってないよ」

「絶対嘘!」

「嘘じゃないって」


 笑いそうになっているところを必死にこらえて、俺は否定する。そしてミズナの顔が徐々に赤くなっていっているところを見逃さなかった。


「そうだ、アマツ。昔のミズナのことをもっと知りたくない?」

「えっ?めっちゃ知りたい!」

「食い気味だね」

「当り前だよ」

「ミズナは叱られるたびに私の元に来て、甘えてきてたんだよ。可愛くない?」

「うらやましい。俺も甘えられたい」


 ミズナの昔の話に俺は興味津々だった。俺と王子が小さい頃のミズナの暴露話をしていると、ミズナは我慢の限界に達してしまったようだった。


「お兄様!あまつくん!」


 ミズナは怒っている。今回に関しては分かりやすかった。ミズナの笑顔が怖い。ガチギレしているときの表情だ。今にでも魔法を使って俺たちを攻撃しようとしている。瞬時に俺は食事をしている場所を囲うように防御結界を張った。


「ごめん。ミズナ。調子に乗りすぎた」

「お兄ちゃんが悪かった。怒りを鎮めてくれないか?」


 俺と王子は必死に誤った。こんなに誤るのは人生で初めてかもしれない。それくらい緊迫した状況だった。そして数分の格闘の末、ミズナはやっと怒りを鎮めてくれた。

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