希死少年は時間遡行をしたがらない

草ノ宮哀三重盛

はじまりの時間遡行。

第1話「生きがい」

死にたい。


それが僕の毎日の口癖だ。

その背景には壮絶な体験や悲劇的なドラマが

あるわけではない。


世間一般の、人並みの苦しみを抱えきれずに、

その苦しみを消化できずに積み重なってしまう。


その反動が僕の今の死にたい想い、俗にいう、


希死念慮だろうか。


そういうものに僕は今、囚われている。

常日頃と囚われているがこの最近は特段と、

激しく死にたいと願っている。


それは、数日前の出来事がきっかけだ。


数日前の僕。何をしていたかというと、


自分の腕に包まれながら、微睡に身を預けていた。


なんて、詩的で聞こえの良い物言いをしているが、その実、みんな楽しくお食事会をしている中、駄弁る友達も何も持っていない僕は当然、


行動リソースの全てを目の前の弁当に割いて、

人よりも早く食事を済ませるが、

僕には良い大学に行く、思い描きたい将来がある。


そんな誇るべき崇高な想いは持っていないので、余った昼休みを時間を全て、睡眠で無駄にする。


という、とても空虚で生きがいの感じられない、習慣というか、惰性というか、とにかく虚しいことを今日も飽きずに続けていたのだが、


今日は珍しく、生き損ない人間こと僕、

住吉春繁スミヨシハルシゲ』は——


「住吉くん。隣、ちょっと失礼するね?」


「は、はい。ぜんぜん…いいと思います。」


向ヶ丘咲雪ムコウガオカサキユキ』——本人はこの名前で呼ばれるのを嫌うらしく、みんなにサユキと呼ばせている——


という、自分以外の他の人間に。


よりにもよって向ヶ丘さんに。


天文学的なほどまでに人に話しかけられない、

この僕が、僕の帰属している学級である、


『2年E組』のヒエラルキーの最上位に佇む彼女。


王道的キャラクターを持つ彼女。


容姿端麗、博学才穎、温厚篤実の三つを、

見事に兼ね備えた、俗にいう、

『みんなに優しい完璧美少女』である彼女——


向ヶ丘さんに話しかけられてしまったのだ。


この時点で僕は彼女の持つ圧倒的なオーラを前に、たじろんでいた。


しかし、僕は一筋縄では行かぬ人間である。

鬱蒼としていて卑屈でめんどうくさい人間である。


なぜか、形容し難い、説明のできない反抗心が、芽生えてしまったのだ。


「ごめんね、おやすみしてるところに。」

「はい。」


僕がやや重圧のある返答をしてしまったせいで、彼女は少し、堪えるような笑みを浮かべながら、次の会話へと移行する。


「昨日、休んじゃっててさ。次の授業…えっと、論国かな。昨日の範囲を写したくって。」


「何で僕なんですか?…友達からラインを送って貰えば良いと思いますが。」


「——友達がいるくせに。」


取ってつけたような毒を、面と向かって、

カースト上位である彼女に言える勇気が

あるわけもなく、まさに小心者と言えるような、掠れた小声で吐いた。


「実はね、沙織たちから送ってもらおうとしたんだけど、みんな寝ちゃってさー?だからお願い!」


あいにく、僕の小言を遮るように会話をしてくれたおかげで今の段階では、変な間が生じなかった。


「住吉くんの字とっても綺麗だし。ほら、こないだの自己紹介カードとか。」


彼女を頑なに拒んでも埒が明かないと、

やっと自覚したのだろう。


そもそも、すべての能力が突出している人間に、会話能力で勝とうだなんて、愚鈍な発想である。観念して、渋々ではあるが僕のノートを差し出す。


「ありがとう住吉くん!この恩は絶対忘れないから!」


それからというもの。

駆け足で自分の席へと席を戻り——思い出したかのように僕の方へと振り返って、あ!予鈴までには返すから心配しないで!と言って——机に座り黙々とノートを書き写していた。


僕の反抗。いや、反抗と呼ぶのかさえ怪しいが、ひとまず、僕の子供の駄々のような反抗は、

失敗に終わった。


ただ、前述した通り、僕はめんどうな人間である。


僅かながらの。

ほんの小さい、反抗心の残滓、火種が、

未だ僕の心の根底にはこびり残っていた。


すべて、この日の出来事である。


そして、この最後の出来事が、決定打だった。

これまでの一連の内容が、些細な出来事でしかなかった。


帰り際のことである。やはり向ヶ丘さんは、

出来た人間だから、さいごまで僕のことを、

気にかけてくれていた。


「授業眠かったね?」だとか、

「あ、図書委員だったよね?おすすめ教えてよ!」のような健気で他愛のない話題で、

話しかけてくれていた。


今の2年E組の雰囲気を形作ったのは、

彼女の尽力があってこそのものである。

彼女の持つ卓越した対人能力。いや、魅力か。


とにかく、それらをふんだんに駆使して、

人と人の仲を取り持っていた。


それは第二学年が始まった4月7日からずっと、そうだった。どんな人にでもずっとそうだった。


僕は始業式の日から、クラス替えの日からずっと、死人のような形相をしていた。


多分新しい生活が始まってからの不安からだろう。こんな僕でも、一年生の時には友達はいたのだ。


でも、その繋がりが全部。

前触れもなく、消えてしまった。


僕の学校の何となくの拠り所が、

初めから何もなかったかのように消えていたのだ。


僕はそれからというもの。

訳のわからぬ焦燥に襲われていた。

先の見えぬ膨大な不安に、心を浮かせられたのだ。


その吐き所を失った僕は、

やってはいけないことをした。


頑張ってくれていた人に、当たってしまった。


『向ヶ丘さんってさ、独りよがりだよね?』


『え…?』


『気づかなかったんだ?僕がずっと君と話すのが嫌だってことが。』


『気持ち悪い。クラスの中心だからって、調子に乗るなよ?』


昇降口から差し込んでくる斜陽。

仄かに影かかって彼女の目がよく見えなかった。


つぐんでいたつもりの彼女の口が、

耐えれなくなっていたのが、いやでもわかった。


『あはは、えっと…。うん、ごめんね。ちょっと欲張りすぎたかも。…ごめんね。じゃあね。』


向ヶ丘さんは、少し早く、歩いた。


僕はこの時、目が醒めた。

なんて愚かなことをしたのかって。

死にたくなった。


わけもわからず、叫びたくなった。


ただ、無力さに浸ることしかできなかった。

僕は加えてクズだった。自分の浅はかな面子を、意固地になって守ろうとしてしまった。


僕は逃げた。自分の問題から。

逃げても、罪悪感に襲われるだけなのに。


僕はただ、

向ヶ丘さんが僕の視界から消えることを待っていただけだった。


その日の翌日、向ヶ丘さんは、いつも通りだった。


ただ僕と向ヶ丘さんとのわだかまりは、

すぐさまに周囲に察せられてしまったらしく、

時たま、僕のことを冷ややかで、怪訝な目で見つめるのを背中で感じる時がある。


さいごのさいごまで向ヶ丘さんは、

僕との間にあった出来事を、

何もなかったことにして僕に、

何も向かないようにしていた。


やはり僕は、小さい人間だ。


僕はあの日のことを想起してしまって、

とても死にたくなってくる。


そういえば、ちょうど僕は駅のホームにいる。

死ぬにはとっておきの場所ではないのか?


電車の予告チャイムが鳴り始めた。

僕はベンチから腰を上げて、

点字ブロックのその先にまで、足を進める。


しかし、足が言うことを聞かない。


何より、僕はその先に突っ立っていた気に、

なっていただけで整列を誘導する線で

電車が来るのを待っていた。


僕は、逃げた。


ただ、何もかも逃げた、それだけだった。


生き逃れた。


死にそびれた。


ただ、僕は背中に気持ちの悪い気配を感じていた。


目を次に開けた瞬間には、

なぜか僕は電車の正面に飛び出ていた。


すべての事象が遅く感じる。

巷に流れる自然科学系ドキュメンタリー番組の、あのスーパースローモーションを、

直に体験している気分だ。


こんな体験は一生にないだろう。

今、その一生が終わろうとしているのに、

なぜか僕は冷ややかな目で死をみていた。

いや、苦しむことがもうないのだ。


むしろ、あたたかい気持ち。


「でも、最後にごめんなさいは、言いたかったなあ。」


『待ちたまえ、春繁少年(16歳)。』


謎の声が聞こえた瞬間。

スーパースローモーションなどの次元を

超越していて、なぜか時間が静止していた。


目の前の現れたのは男だった。

立ちながら考える男のようなポーズをとっており、深刻そうに目を閉じている。


『死ぬにはまだぜーんっぜん、はやいぞぉ〜?』


天に仰ぐように両手を広げていた。

どことなく誇らしげに目を閉じていた。


『キミに、生きがいを与えよう。』

『ま、本当はここで死ぬ予定ではないがね。』


——ホーム端に立つ、いかにも芸術家の雰囲気を漂わせている白のロングコートを着ている怪しげな好青年は、いたずらに笑っていた。

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