遠く離れて

紫鳥コウ

遠く離れて

 大学受験の合格から一週間後、姉ちゃんからお祝いのプレゼントが届いた。カードゲーム『グローリア』の新シリーズのボックス二箱、初心者向けの構築済みデッキ四種……と、合格祝いにしては、なかなかトリッキーな品ではあるけれど、姉ちゃんらしくて安心する。


 ほとんど家に帰ることなく、仕事に打ち込んでいる姉ちゃんのことを想う。

 昨年の夏、突然帰省した姉ちゃんと、ひさしぶりに『グローリア』で対戦をした。バリバリ現役の姉ちゃんに勝てるはずはなく、悔しい思いをした。受験勉強の息抜きだから勝っても負けても構わない――と割り切れないのだから、すっかり《グローリアスト》の魂が戻ってきたらしい。


 次会うときにもう一度対戦しようという約束をした。大学受験が終わり、ちょっとだけ『グローリア』をしてみたかったという気持ちを見透かしたかのように届いた「お祝い」には、もうひとつ、大事なものが封入されていた。きっと、この世にひとつしかないものだ。


 それは、一枚のカードだ。魔方陣を切り刻もうとする騎士を描いたカード。

 ネットで調べてみると、日本版の特装仕様のもので、イラストを描いたのは、なにを隠そう姉ちゃんである。並々ならぬ努力の末に、イラストレーターになる夢を叶えた、姉ちゃん。その姉ちゃんのサイン入りというのなら、珍しいとはいえ、この世にいくらかはあるだろう。


 しかし、「カルタへ」と署名の入ったカードは、紛れもなくこの世でひとつきりのものだ。

 スリーブに入れて大切に保管する――のではなく、これを切札にして闘えというメッセージなのだろう。だとするならば、いつか姉ちゃんと試合をするために、デッキを作っておかなければならない。今度こそ、絶対に勝ちたい。


     *     *     *


 と、志すまではよかったのだけれど、現実には、引越しをはじめ、入学を迎えるにあたりするべきことはたくさんあり、結果的にボックスは封印されたままで、この世でたった一枚のカードだって、実家の机の引き出しのなかにしまったきりだ。

 大学生活は想像していたよりゆるく、その実、タイトなシステムで築き上げられていた。適当に過ごしていれば後々痛い目を見るし、かといって、あまり頑張っても疲れるだけで、少しは手抜きをしなければやっていけない。


 苦労をして経済学部に入った。だけど、ケインズもハイエクもフリードマンも、ぼくに今後の人生の取っ掛りを与えてくれなかった。周りは熱心にモダン・マネタリー・セオリーについて論じたり、リバタリアニズム的な生活上の実践を披瀝ひれきしあったりしていた。

 ぼくはそのノリの外側で、やみくもに人生について考えた。ベンチの上で、木の葉が日光にかれているのを後ろからみながら。


 ひとはなぜ生きなければならないのか。なにを成さねばならないのか。そもそも、なにかを成すことを課せられているというのは本当なのか。自分と他の動物との根本的な違いはなんなのか。そんなことに思いを巡らせていた。

 図書館の前を通り過ぎるときに、この中には、そういう問いに明確な答えを与えてくれるなにかが眠っているような気がしたけれど、横目に見ただけで、あの芝生の広場へとそそくさと向かってしまう。


 そんなときに、姉ちゃんがうちへ遊びにこいと連絡を寄越してきた。


     *     *     *


「ドロー、ターンエンド」

 自分のターンはカードを引くだけで、相手のターンにアクションを起こすというのが、コントロール系のデッキのテッパンの動きだ。

 相手の繰り出す〈モンスター〉を手札に返したり、〈スペル〉を無効化したりと、邪魔をしまくって、最終的には勝利をかっさらっていく。


「あの切札さえあればなあ……って思わない?」

 机の引き出しにしまった一枚のカードを思いだす。そう、あれさえあれば、どうにか逆転をすることができたのかもしれない。

「今回は、わたしの圧勝ということで」

 カードを集めてふた組のデッキにしたところで、姉ちゃんは、「なにか悩みでもあるの?」とストレートにいてきた。ぼくは、大人になりきれていない口調で、「べつに」とこたえた。


「そっか」

「うん、べつに悩みなんてないよ。ただ……」

「ただ?」

「……ううん、なんでもない」

 ぼくは、「ただ……」のあとに続く言葉を持ち合わせていなかった。それに気付いたとき、そのことこそが悩みなのだと了解した。なにに悩んでいるのかが分からない。


「かもしれない、くらいで着地できるといいね」

「どういうこと?」

「結論を出し続けながら、結論をしないことが大事だってこと」

「意味わかんないんだけど」

 姉ちゃんは床に寝そべり、それからも、分かりそうで分からないことを並び立てて、ぼくを困らせ続けるのだった。



 〈了〉

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