帰りを待つ

紫鳥コウ

帰りを待つ

 厚い靴下を穿いた足を長靴の奥へと突っ込んで、ズボンのすそまで入れ込んでしまう。手袋をはめた手でスコップを持ち、玄関の扉を開くと、道路を塞いでしまうほどの雪が積もっていた。このままでは、タイヤが埋まってしまって車が通ることができない。


 十二月二十八日の朝。人々はスコップと手押し車を各々持ち寄って、道の雪のけをはじめた。

 だれかが呼びかけたわけではない。昨晩の大雪で通りは使い物にならないという認識が、この村の人々に共有されており、なにもせずに家にもっていると、後でなにを言われるか分からないので、自然と総出で除雪作業をすることになるのだ。


 いまの内山家で雪のけという重労働を引き受けられるのは、喜一きいちただひとりだった。妻とは離別し、父と母の体力は年々落ちてきているし、息子は下宿先で卒業論文を書いているころだ。

 スコップで掘った雪を詰めると、その重くなった手押し車を若い衆が用水路へ持っていく。雪をそこへ捨ててから、水に流れるまでスコップで砕く。この作業を延々と繰り返す。


 曇り空からは、いまにでも雪が舞い落ちてきそうである。吹き抜けていく風も冷たい。若い衆は、緩やかな坂道を、手押し車の持ち手を強く握って、上の方へとのぼっていく。吹き出てくる汗が、ひんやりとした空気のせいで、氷のように冷たくなっていく。

 一時間半の除雪作業が終わるころには、また粉雪が散りはじめた。大ぶりにならないことを祈りながら、玄関でびしょびしょになった服を脱いで、炬燵こたつが出ている居間で着替えた。だんだんと温もりを加えていく炬燵に身体を任せているうちに、うとうととしはじめた。


     *     *     *


 大助だいすけは、雪曇りでうす暗くてもなお喧騒の絶えない往来を、ポケットに手を突っ込みながら歩いていた。携帯が震えた。夏菜子かなこからに違いない。

 電話にでると、もうすでに待ち合わせ場所に着いているとのことだった。腕時計を見ると、約束をした時間にはまだ余裕があった。だから、ゆったりとした歩みを崩すことはなかった。

 どうせ今日も、ホテルで肌を重ね合ってお別れするだけなのに、喫茶店でお茶をしたり、デパートで買い物をしたりと、恋人のような付き合いを求められる。そうしたことは、明日彼女とする予定があるのだから、さっさと、することをしてしまいたい。


 それでも、ひとつの弱みを握られている以上は従うしかなかった。まさか大学の講師のなかに、父の元不倫相手がいるなんて思わなかった。彼女とセフレになったあとに、そのことを知った。困惑と怯懦きょうだ、葛藤と興奮……言いようもない感情が渦巻くなかで、ふたりは肌を重ねた。

 不倫がばれて離婚した両親――父親のことを思う。天気予報がたしかならば、郷里は大雪になっているはずだ。雪のけに駆り出されていることだろう。高校生のときは手伝ってあげることができたが、進学し独り暮らしをはじめてからは、一緒に除雪作業をすることはなくなった。


 それに、あの陰気な家へ帰る気にはなれず、合コンで彼女ができたこともあり、冬期休暇は毎年、下宿先で過ごすことにしている。寂しい思いはない。これからも、特別な用事がないかぎりは実家に戻るつもりはない。

 歌番組を見て年越しのときにジャンプをしていた、無邪気な大助はもういない。時間も忘れて彼女とすることをする、そんな年末年始を彼は享楽しているし、それになんの物足りなさも覚えていない。郷愁に駆られることもない。


     *     *     *


 目が覚めると、外ではうなるような風が吹いていた。障子をあけると、辺り一面真っ白になっていた。まだひるである。このままでは、夕方にまた雪のけに駆り出されるかもしれない。

 腰や腕に痛みを感じる。だるさも抜けていない。ため息をついてしまう。このままでは倒れてしまうのではないか。しかし、そう簡単に病院へ行けるかどうかも分からない。この雪では。


 喜一は、大助のことを想った。いま、どのように過ごしているだろうか。

 寒さに震えていないだろうか。ひもじい思いをしていないだろうか。卒業論文の作成に疲れてしまっていないだろうか。なにか困ったことがあれば、すぐに連絡をしてほしい。


 そして――どうか、こっちで就職をしてこの家で暮らしてくれないだろうか。

 このまま老いていけば、父母の介護がたいへんになるし、日々の生活を成り立たせるのにも困るだろうし、なにより、雪かきはできなくなってしまうだろう。

 ひとつの家からひとりは除雪に参加しなければ、ご近所さんからどういう目で見られるか分からない。家の前だけ、雪が積もったままになっているかもしれない。


 どうして、あんな過ちを犯したのだろう。せめてもの心の支えであった、元妻への裏切りを悔やむ。唸りをあげる大吹雪は、こうした感傷を凍えつかせていく。



 〈了〉

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