第4話 いつもとは違う朝
★前回までのあらすじ
あまりにも現実離れしたユーフラテスの話を聞いた茨は、これ以上深入りするのは危険と判断し、その場を後にする。
どうにか無事に家まで帰って来た茨だったが、そこには何故か家族と団欒するユーフラテスの姿があった。しかし茨は敢えてそれには触れずにしばらく泳がせ、満を持してツッコミを放つ。その後も茨はさらに二度、ノリツッコミを放ったのだった。
~本編~
朝。チュンチュンという鳥のさえずりと、カーテンの隙間から漏れる光の眩しさに目を覚ます。未だ明瞭としない意識の中でぼんやりしていると、スマホのアラームがけたたましく鳴り出した。布団をかぶったまま枕元に手を伸ばし、持ち主よりも遅れて目を覚ましたアラームを止める。
「もう朝か……」
茨はぽつりとつぶやく。アラームを止めた後も、茨はスマホを握り締めたままベッドから起き上がれずにいた。元々寝起きのいい方ではなかったが、今朝は特に酷い。何とも言えない倦怠感が全身のまとまりついている。何か夢を見ていたような気がする。それも悪い夢を。この倦怠感も、その夢のせいだろう。
右手を持ち上げてスマホを確認すると、画面には「7:22」と表示されていた。アラームを止めてからニ十分以上経過している。このまま再び夢の世界に戻りたい気分だが、いつまでもこうしてはいられない。もそもそとベッドを抜け出して勢いよくカーテンを開けると、眩い光が部屋の中へと注ぎ込んだ。外は雲一つない快晴だ。その時だった。
「ゴーディモアルニンジー。いい朝ですねー」
不意に背後からそう声をかけられた。しかし茨は振り向かない。否、振り向けなかった。ここで振り向けば、悪い夢と切って捨てた受け入れがたい現実と向き合わなければならなくなる。
数秒の思考停止の後に意を決した茨が恐る恐る振り向くと、そこにはにこやかな顔をした倦怠感の元凶が立っていた。
(……夢じゃなかった)
それを見た茨は顔に両手を当てて項垂れた。そう、夢ではなかった。昨日の不可思議な出来事も、奇妙な居候も、全て現実のことだった。
「おやー? どうかしましたかー?」
「……」
茨はユーフラテスの問いかけをスルーし、部屋を出て一階の洗面所へと向かった。顔を洗って口をゆすいでからリビングに移動すると部屋に人の気配はなく、食卓の上にはラップのかかったハムエッグの皿と袋入りの食パンがぽつんと置かれてあるだけだった。どうやら両親と妹は既に家を出たようだ。
「冷蔵庫の中にサラダがありますよー。それと『トーストは自分で焼くこと』だそうですー」
「……目的は何?」
「目的ー?」
茨は今日初めてユーフラテスに声をかけた。唐突に問いを投げかけられたユーフラテスは、不思議そうに小首を傾げる。
「……あんたがこの家に転がり込んできた目的よ」
茨の言葉にユーフラテスは今度は反対側に小首を傾げた。
「昨日もお話ししませんでしたかねー? 元の世界に戻る方法が見つかるまで、この家を拠点にしようと思いまして―。ちゃんとご両親には許可は得ていますから、ご心配なくー」
(許可じゃなくて洗脳だろ……)
茨は心の中でツッコミを入れる。
「しかしただで住まわせていただくのも申し訳ないので、色々と皆さんのお手伝いをするつもりですよー! まずはそうですねー……」
そう言うとユーフラテスは机の上の袋に手を伸ばし、中から食パンを一枚取り出して皿の上に置いた。
「このパン、茨さんならどうやって焼きますかー?」
「どう……って、普通にトースターで焼くけど……」
「ただパンを入れるだけで自動で焼いてくれるなんて、こちらの世界の技術は便利ですねー。でも焼けるまでに少し時間がかかると思いませんかー?」
「いや、別に……」
「でも私の手にかかれば、一瞬で焼き上がってしまうんですよー!」
ユーフラテスは茨の返答をスルーして話を続ける。右手にはいつの間にか青い宝玉のついた例の杖を握っている。ユーフラテスが杖をさっと振ると、皿の上のパンが青い炎に包まれた。炎は数秒の内に消え、皿の上には程よくきつね色に焼かれたトーストが残されている。
「さぁ、どうぞ召し上がれー」
「……ありがとう」
茨は一応礼を言うと、焼き上がったトーストを一口齧った。ザクっという音と共に鼻の奥に焦げた匂いが抜け、口腔内には強烈な苦みが広がる。茨は思わず顔をしかめると、碌に噛まずにそれを飲み下した。齧り取った断面を見てみると、見事なまでに真っ黒に焦げている。程よく焼けていたのは表面だけで、中は惨憺たる有様だった。
「あららー、どうやら失敗してしまったみたいですねー。なかなか火加減の調整が難しいんですよー。私には妹がいるのですが、妹は火の扱いが上手でしてー。この間なんかも……」
ユーフラテスが弁明とも雑談ともつかない話を始める中、茨は神妙な顔で中だけが焦げたトーストを皿の上に戻した。
最早ユーフラテスが魔法使いであるということは疑いようのない事実だ。杖を振るだけで火を起こし、表面を焦がさずに中だけを焦がすなどという器用な真似が常人にできるはずがない。
(魔法使い……はぁ……)
改めて夢ではなかったと認識させられた茨は、深い溜め息を吐いた。ただでさえ寝起きで薄い食欲がすっかり失せてしまった。
「待っててくださーい。次は上手く焼いてみせますからー」
「……いや、もう十分。残った分はあんたにあげる。あと、これも食べていいから」
茨はそう言って、中だけ焦げたトーストとハムエッグの皿をユーフラテスの前にずいっと差し出した。
「いいんですかー? ありがとうございますー」
ユーフラテスは能天気に礼を言うと、トーストをバリバリと頬張り始めた。
(よく食べられるな、あんなの……)
茨は呆れと賞賛の入り混じった視線でユーフラテスを一瞥すると、再び洗面所へと移動した。歯を磨き終えると今度は二階の自室へと移動し、制服へと着替えて身支度を整える。
通学用のバッグを手に取って一階のリビングに戻ると、ユーフラテスは既にトーストとハムエッグを食べ終えていた。ユーフラテスを家に一人残していくのは不安でしかなかったが、一日中相手をしているわけにもいかない。
「それじゃあ私、学校に行ってくるから」
「確か葉さんもそう言って出かけてましたねー。学校とは何をするところなんですかー?」
「何……って、勉強するところだけど。あんたの世界には学校ってなかったの?」
「うーん、どうでしょうかー。少なくとも私はそういうところには行ってませんでしたねー」
「じゃあ、魔法はどうやって覚えたわけ?」
「魔法の基礎は祖父から習ったものでしてー。基礎を学んだ後は全て自学でしたねー。あっ、そうそう。魔法と言えば、茨さんにお伝えしておかなければならないことがありましてー」
「悪いんだけど、もう出ないといけないから……」
長話の気配を感じ取った茨は、話を切り上げて玄関へと向かった。だが――
「……開かない?」
玄関のドアノブに手をかけたが、どういうわけかびくともしない。
「何で……? 鍵がかかってるわけでもなさそうだし……」
「あー、やっぱり開かないですかー」
その声に振り向くと、杖を握ったユーフラテスが立っていた。
「『やっぱり』……?」
「実はですねー……今この家は、〇ックスしないと出られないようになってましてー」
「どういうことだよ!?」
突如告げられた衝撃の事実に、茨の絶叫が木霊する。
「それがですねー。元の世界に帰るヒントはないかと色々と調べていたら『セ〇クスしないと出られない部屋』という概念を知りまして、興味本位で試してみたら思いがけずに成功して、現在に至るというわけですー」
「興味本位で試すな、そんなもん!」
「興味や好奇心は人間の本質ですよー?」
「やかましいわっ!」
「でも安心してくださいー。セッ〇スをすれば出られますからー」
「『履いてますよ』みたいに言うな! あと、何で毎回伏せる位置を変えるんだよ! 伏字の意味を成してないよ!」
茨のツッコミは今日も冴えていた。
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