第2話 その名はユーフラテス

★前回までのあらすじ

 ひょんなことから行き倒れた少女を助けた茨は、さらなるトラブルに巻き込まれる。散歩中の犬が毒餌を食べてしまったのだ。

 飼い主の少年が泣き叫ぶ中、行き倒れの少女が杖を振ると、苦しんでいたはずの犬はたちまち元気を取り戻した。茨に何者なのかと尋ねられた少女は、自らを魔法使いと名乗ったのだった。


~本編~

「私の名前はユーフラテスです。G〇〇gle Pixelを使ってます」

「前回そんなこと言ってたか!? あと、伏字の意味がないっ! ほとんどOオーじゃねーか!!」

 茨のツッコミが冴え渡る中、アーノルドの飼い主の少年は、涙ながらに感謝を述べる。

「お姉さんたち……ほ、ほんとうにありがとう……」

「いえいえー、例には及びませんよー」

「……念のため帰ったらお家の人に事情を説明して、病院に連れて行った方がいいと思うよ」

 茨の常識的な提案に少年はこくりと頷くと、手を振りながら帰っていった。

「……」

 後に残された茨は、ユーフラテスと名乗った少女に疑いの目を向けた。

 ユーフラテス。西アジア最長の全長2800kmを誇り、人類最古の文明として知られているメソポタミア文明を生み出した川の名だ。中学校に入ってすぐの歴史の授業で習った内容だが、今でもよく覚えている。しかし人の名前にしてはかなり変だ。もしも親にそんな名前を付けられたら、一生親を恨むだろう。「神崎ユーフラテス」なんて社会で苦労すること間違いなしだ。

 だが、問題はそこではない。目の前にいるこの少女はユーフラテスというおかしな名前以上に、気になる言葉を口にした。茨は再び少女をジロリと睨みつける。

(『魔法使い』……?)

 そう、少女は自らを魔法使いと名乗ったのだ。

(いやいやいや、魔法使いって……ファンタジーやメルヘンじゃあないんだから……)

 あまりにも非現実的な話に、茨は思わず苦笑する。きっとなのだろう。そう考えるとユーフラテスという珍妙な名前も、魔女のような黒づくめの出で立ちにも合点がいく。ユーフラテスというのは芸名で、この格好はステージ衣装なのだ。

(でも、そうなると……)

 どうにか自分を納得させようとした茨だったが、説明のつかない"あの疑問"が残っている。アーノルドの件だ。

 少女が杖を振ると、泡を吹いて苦しんでいたはずのアーノルドはたちまち元気を取り戻した。あの少年がだったということも考えられるが、あの苦しむ様子は尋常ではなかった。いくら訓練を積んだとしても、犬にあんな演技ができるはずがない。

(なら一体、どうやって……)

 いくら考えたところで、納得のいく答えは出てこない。そこで茨は思いきって直接聞くことにした。

「……さっきのアレ、どうやったの?」

「『アレ』ー?」

「……だから! どうやってあの犬を治したか聞いてんの!」

 茨の言葉にユーフラテスは納得したように頷く。

「あー、そのことですかー。ですから体内の毒を転移させたんですよー。最初にお見せしたじゃないですかー?」

「でも、あれはマジックじゃ……」

「マジック? マギシのことですかー? この世界ではそう呼ぶんですねー、勉強になりましたー」

「……だから要は手品師なんでしょ?」

「いえいえ、魔法使いですよー。何なら証拠をお見せしましょうかー?」

 絶妙に嚙み合わないユーフラテスの返答に苛立ちながらも、茨は考える。

(こいつ……やべー奴だ! これ以上は関わり合いにならないようにしよう……)

「君たち、ちょっといいかな?」

 茨がそう考えを固めた時、何者かが二人に声をかけてきた。声のした方に顔を向けると、そこにいたのは紺色の制服に帽子を被った二人組の男だった。特にやましいことはないが、茨に緊張が走る。一方のユーフラテスはのほほんと呑気に構えていた。

「最近、この付近で野良猫の不審死が相次いでてねぇ。散歩中の飼い犬が突然苦しみ出して死んじゃったっていう通報も何件か受けてるんだけど……何か知らない?」

 二人組の片方の中年の警官がそう話すのを、茨は黙って聞いていた。知らないも何も、ついさっき見たのと寸分違わぬ内容だ。だが、茨はそのことについて話すかどうか逡巡した。その理由は言わずもがなユーフラテスにある。毒餌を食べて死にかけた犬が杖を振っただけで瞬時に回復したなんて話、誰が信じるだろう?

 茨が答えに窮していると、もう一人の若い警官が口を開いた。

「君……怪しいよね?」

 その言葉はユーフラテスに向けられたものだった。あまりにもストレートな物言いだが、無理もない。あんな黒づくめの魔女のコスプレをした人間がいれば、誰だって怪しいと思うだろう。警官はなおもユーフラテスに尋ねる。

「ずいぶん変わった格好だね」

「そうでしょうかー?」

「名前は?」

「ユーフラテスですー」

「ユーフラテス? それ本名? 何か身分を証明できる物は持ってる?」

「身分ー? マジックを見せればよろしいですかー?」

「いや、そうじゃなくて免許証とかマイナンバーカードとか」

「んー……何でしょうか、それはー?」

「……」

 若い警官はユーフラテスとのやり取りを切り上げると、中年の警官と顔を見合わせて二、三言葉を交わした。すると中年の警官が二人に向かって言う。

「ちょっと悪いんだけどね、色々と詳しく聞きたいことがあるから、近くの交番まで一緒に来てもらえる?」

「え、いや、それはちょっと……門限とかあるんで……」

 茨はあからさまに任意同行を拒んだ。別に自分一人だけならどうということもないが、得体の得体の知れない人物ユーフラテスが一緒となると確実にややこしいことになる。これ以上、巻き込まれるのはごめんだ。

「そもそもその人とはたまたま居合わせただけで、知り合いでも何でもありません。赤の他人です」

「まま、そういうことも含めて色々と聞きたいからさ。大丈夫、何もなければすぐ終わるから」

「いや、でも……」

 その時だった。突然、清らかな歌声が辺りに響く。驚いて顔を向けると、声の主はユーフラテスだった。

「!?」

 突然歌い出したユーフラテスに茨は激しく動揺したが、警官たちは動じない。それどころか彼女の奇行に反応を示すこともなく、何も言わずに去って行った。

 後には茨とユーフラテスの二人だけが残された。何が起きたのか分からずに呆然とする茨に、ユーフラテスはにこやかに喋りかける。

「よかったですねー、連れて行かれなくてー。これで信じてもらえましたかー?」

「……ど、どういうこと?」

「あのお二人の意識と記憶を少しだけ弄ったんですよー」

 言っている意味が分からずに当惑する茨を尻目に、ユーフラテスはにこやかに続ける。

「あのお二人は私たちのことが気になるみたいでしたから、したんですよー。ついでにここで見たことも忘れてもらいましたー」

「ど、どうやってそんなことを……」

「ですから、魔法ですよー」

「……魔法使いって、他にもいるの……?」

「いえ、どうやらでは私だけのようですねー」

「さっきから言ってる『この世界』って、どういう意味……?」

「実は私はこことは異なる別の世界の人間でしてー、帰り方が分からずに困ってるんですよー」

「……」

 その言葉に茨は絶句した。到底信じられる内容ではないが、常識では考えられないことが立て続けに起きたのは確かだ。それこそ"魔法"という言葉でなければ説明がつかない。

「さっきの歌が意識と記憶を変える魔法だったってこと……?」

「いえー、違いますー」

「違うのかよ!」

「ちょっと歌いたくなったのでー」

「ただ歌いたかっただけ!?(こいつ……考えが読めねぇ……!)」

 自由過ぎるユーフラテスの行動に戸惑いつつも、茨は彼女にある疑問をぶつけた。

「あの二人の意識と記憶を変えたのは、自分が魔法使いだって証明するため……?」

「それもありますがー、何よりあなたが困っていたようなのでー」

「わ、私のために……?」

 その言葉を聞いた茨は、力が抜けたようにふっと微笑んだ。

「まぁ……一応はお礼を言っておかないとね。ありが……」

 そう言いかけた茨はその刹那、あることに気が付く。

「……いや、そもそもあんたのせいで連れてかれそうになったんだよ!」

 茨はユーフラテスに向かって、声を上げてツッコミを入れた。しんと静まり返った公園には、茨のツッコミの声だけがいつまでも響いていた。

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