第2話 アクアリウム
少しずつ長さの違う振り子のように、揃うようで揃わない集団の足並みが、気持ちのよいスピードでトラックを駆ける。全速力ではなく、もちろんジョギングでもなく、滔々と流れるような速度はストップウォッチできっちり管理されており、半周ごとに最後尾がぐっと追い上げてきて、トップが入れ替わる。
澄夏の眼裏に白銀の輝きがひらめいた。
「イワシの群れみたいだねえ」
「ちょっ、笑わせないで」
「私、高原さんのそういう素朴なとこ好きよ」
「どっちかっていうとカツオとか、もっと大きい魚じゃない?」
「つっこむのそこかい」
今日はいつもの練習環境を離れ、陸上部員のうちおもに短距離とフィールドパートのメンバーで隣の男子高、城町高校にきている。だから、澄夏たち一年はもちろん、先輩たちも皆、少しそわそわしていた。
「こんちわーす」
「あっ、こんにちは」
ジャージ姿の男子たちが通りすがりに挨拶していく。ばらばらと挨拶を返し、たまに「えっ、なんでいんの」と知り合いから声を掛けられる者もいて、そのたびに皆の目がきらりと光った。
サッカーコートの周囲にギリギリ確保された四百メートルトラック、向こうに見える背の高いネットは野球部とラグビー部のいる第二グラウンドのもの。澄夏たちの城町女子と比べると、ずいぶん規模が大きいし、心なしか設備も充実している。城高は財界にOBがいるから強いと噂には聞いていたが、なるほどたしかに、女子高とはべつのパワーに満ちていることが見てとれた。
「おっ、すーさん」
「すーさん?」
「アンタあれほどやめろって……!」
周回を終えた魚群のなかから手を挙げたのは慧汰である。顔を覆わんばかりの澄夏に、城女サイドの頭上にぽんと感嘆符が浮かんだ。
「あれが例の」
「『おかあちゃん』か!」
もともと、稀に近隣の三、四校で合同練習することはあったものの、男女別学ということもあって個別に行き来することは少なかった。だのにあれよあれよという間に定期的な合同練習の段取りが整ったことに先輩たちは若干困惑しており、あとで変に探られるよりはと先に説明、というより弁解をしておいたのだが。
そのせいで慧汰に「おかあちゃん」の称号が与えられたのだ。
「モンペじゃないだけよくない?」
「そういう問題じゃないんですけど〜」
結ぶには短い髪をヘアピンでバチバチにとめて気合は十分、練習だってこれからだというのに、澄夏はもうへとへとの気分だ。
両校の顧問がぺこぺことお辞儀を交わし、城高の短距離主将が体育館にあるトイレと更衣室を案内してくれることになった。澄夏たちは高校三年生男子の大きさにびっくりし、それから小休憩中の部員がたむろする横をおっかなびっくりすりぬけた。先輩たち同士は顔なじみも多いが、一年生の澄夏たちにとってはほぼアウェー、いまだ真新しい揃いの学校ジャージもあいまって、まるで親ガモのあとに続く子ガモのようだ。
「どれ、どの子」
「めっちゃ速いっていうからもっといかつい女子想像してたけど、フツーにかわいいじゃん」
「何いってんだお前」
「俺あとで連絡先きこうかな」
「あいつにはまだ早いす」
まわりの部員の軽口を、慧汰が端から叩き落とす。澄夏は精一杯無視を決め込んだが、同級生たちがこれを聞き逃すはずもない。
「おかあちゃんじゃなくておとうちゃんだったね」
「もうやめて」
「これは、高原さんのメンタルが鍛えられていいかもねえ」
広いグラウンドに、先輩たちの笑い声が気持ちよく抜けていく。
新しい水槽に慣れるには、もう少し時間がかかりそうだった。
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